第6話 隣国からの貴賓?


 三日後の夕方――。

 本日もマリアローズは、書類と戦っていた。涙ぐみそうになるのを堪え、キレ散らかしそうになるのを我慢し、ハロルド陛下の嫌味に耐えながら、頑張っていた。


「はぁ、終わったわ。やっと、やっと帰れる……!」


 マリアローズが思わず泣きそうな笑顔で右手の拳を大きく握った時の事だった。

 また一番上の抽斗を見ていたハロルド陛下が、それを閉めると不意に告げた。


「マリアローズ様、この後ソニャンド帝国から大切な客人が来るんだ。俺に同伴してくれ」

「えっ」


 虚を突かれてマリアローズは、目を見開いた。


「そ、そんなお話、聞いていませんわ……! 私は、帰るのです……帰る……帰りたい」

「帝国からの客人を蔑ろにするわけにはいかないだろう、皇太后陛下」

「どうして朝言って下さらなかったの?」

「今思い出したからだ」

「はあぁぁ!?」


 マリアローズは思わず巻き舌になり、強ばった笑みを浮かべながら怒った。

 隣国からの客人となれば、正装して出迎えなければならない。思わずマリアローズは壁の時計を見る。


「何時にいらっしゃるの!?」

「もう来ている。宰相閣下が接待中のはずだ。俺とマリアローズ様は、公務の都合で夜に会うと伝えてある」

「夜……夜、ね? まだ夕方だわ! 急いで着替えて参ります」


 慌ててマリアローズは窓の外を見た。そこには綺麗な橙色の空が広がっている。


「? 別にそのドレスで構わないだろう」

「構うのです! ドレスは女性の武器なのです!」

「何を着ても似たり寄ったりに見える。顔が同じだからな」

「見る目が無いのですね! それにどうせ私は、陛下から見たらその辺のカボチャと似たり寄ったりの顔に違わないでしょうけれど! 陛下はいいですわね! 麗しいお顔で!」

「――まぁ俺は鏡を見慣れてはいるが」

「とにかく! 着替えて参ります!」


 こうして慌ててマリアローズは、後宮へと戻った。そして侍女長に状況を伝えて、皆に準備を手伝ってもらうこととなった。首元が深く大胆に開いたアンティークグリーンのドレスと同色の長い手袋を身につける。白い首から肩、背中が見えるノースリーブのドレスはとても上品で美しい。マリアローズは、前正妃様から受け継いだ大きなエメラルドのついた首飾りを身につける。それと同時進行で侍女には、髪をまとめてもらった。


 本来であれば二時間はかかるだろう準備を、三十分で終えた頃、侍女達はいい仕事をしたという顔で笑っていた。それに笑顔を返し、急いでマリアローズはハロルド陛下のもとへと戻る。するとこちらも一応礼服に着替えていたので安堵した。


「それで? 帝国のどなたがいらっしゃるの?」

「秘密だ」

「は?」

「秘密だ」


 繰り返された言葉に、マリアローズは唖然とした。何を言われているのか分からなかった。


「お忍びなんだ。俺と宰相閣下以外には、身分を知らせたくないそうだ」

「で、では……私が同伴する意味はないのでは?」

「いいや? 王族としては挨拶を欠くわけにはいかない相手だということは伝えておく」

「……曖昧ですね。とにかく、失礼がないように振る舞えと言うことですか?」

「それは常に意識したらどうだ? 特に俺に対して」

「そっくりそのままお返し致しますわ。参りましょう」

「仕切るな」


 ハロルド陛下が歩きだしたので、その一歩後ろを煮え切らないような気持ちでマリアローズは歩いた。


 階段を上に進み、三階の客間へと向かう。本来、ここは国内の高位貴族の内、文官の仕事に就いているものが、臨時で泊まる部屋だ。国賓らは、旧宮殿にある迎賓の塔に滞在する事が多い。不可思議に感じつつ、マリアローズは扉の前で立ち止まったハロルドを見る。


 するとハロルドが、いつも浮かべる上辺の笑みで、マリアローズを一瞥した。


「では、参りましょう、皇太后陛下」

「ええ」


 手を差し出されたので、ちょこんとマリアローズは指をのせる。それからすぐ、ハロルド陛下が扉を開けた。そしてマリアローズをエスコートするように中へと進む。


「遅くなりました」

「いいや、急に来たのは僕の方だからな」

「歓迎致します」

「ああ、感謝するよ。ハロルド、元気そうだね」

「クラウドも元気そうだな」


 ハロルド陛下を呼び捨てにするのだから、相当高位な相手なのだろうなと考えながら、マリアローズはクラウドと呼ばれた青年を見る。黒い髪をしていて、切れ長の目が印象的だ。瞳の色は、ロイヤルパープルで、アメジストを彷彿とさせる。彫りが深く、通った鼻筋をしていて、ハロルドや、ソファに座っている宰相閣下とはまた違った野性味のある整った造形の持ち主だった。ハロルドと同じくらい背が高そうに思える。だがあまりまじまじと見るのも失礼だろうと、視線を流そうとした瞬間、バチリと目が合った。


「ところでハロルド。そちらの優美な女性は? きみの許婚か?」

「いいや。こちらは俺の継母の、マリアローズ・エルバ・パラセレネ皇太后陛下だ」


 ハロルド陛下の紹介に、クラウドが驚いた顔をして声の方を見た。


「そうか、お母様……か。お若いな」

「俺よりも年下だからな」

「なるほど。その歳で寡婦か。辛くなったいつでも僕がお相手するぞ」


 納得した顔をしてから、ニッと口角を持ち上げてクラウドが笑う。それから唇を一度舐めた。


「……クラウド」


 あからさまに不機嫌そうな顔をして、ハロルド陛下が低い声を出す。

 何故なのかハロルド陛下が不機嫌になったが、大切な客人の前ではまずいのではないかと考えて、マリアローズはフォローをする事に決めた。


「いつもハロルド陛下がお相手して下さいます! なので辛くありません」


 すると今度は派手にハロルド陛下が咽せた。口に手を当て咳き込んでいる。


「夜会のお話ですよね? 必ず、私を伴って下さいます。まだハロルド陛下には正妃様がおりませんので。なのでダンスのお相手は、主に私がしておりますし、私の相手もハロルド陛下がなさって下さいます」


 にこやかにマリアローズが述べると、ハロルドが脱力し、クラウドはパチパチと瞬きをしてから笑い返した。


「そうなんだ。へぇ。そうなんだ……うん。純粋なのですね、皇太后陛下は」

「どうぞマリアローズとお呼び下さい」

「そうさせてもらうよ。僕のこともクラウドと」

「クラウド様」


 二人が微笑交じりに穏やかに話し始めると、ハロルドは片目だけを半分閉じた左右非対称な顔をしてそれを見守っていた。時折ハロルドは、そちらを楽しげに見る。マリアローズもつられて見てみたが、何が面白いのかよく分からなかった。


「――という前正妃のために、前国王が造園させた王宮中の各地にある庭園はいずれも美しいのです」


 マリアローズは、国賓によくする雑談を披露した。するとクラウドが両頬を持ち上げて頷いた。


「それは実に興味深い。ぜひ見てみたいよ。マリアローズ、よかったら明日、案内してもらえないかな?」

「ええ、構いませ……」


 笑顔で言いかけて、マリアローズは声を飲み込んだ。

 彼が本当に国賓ならば、絶対的に案内する場だ。しかし現在はそうではない。優先するべきは、彼なのか書類なのか。まだ机の上には、書類が山積みだ。三秒くらい、マリアローズは思案した。


「……ん。構いませんことよ! 私、ご案内させて頂きます」


 けっして、書類をやりたくなかったわけではない。優先するべき人物だった場合のリスクを考えただけだ。蔑ろにして、あとでこの国が大変なことになったら困る。なにせ相手は、帝国の要人らしいのだから。


「ありがとう。ハロルド、いいよね? 案内してもらっても」

「別に。好きにすればいいだろう」


 何故なのか無愛想になったハロルド陛下の声に、思わずマリアローズは軽く睨む。しかし顔を背けたハロルド陛下は、マリアローズを見ようともしなかった。


「では、また明日」


 クラウドの声に、マリアローズが頷く。


「滞在中、なにか不便があれば言ってくれ。では、また」


 ハロルド陛下はそう言うとマリアローズを促して退出した。

 続いて部屋を出たマリアローズは、思わずハロルドの腕を引く。


「大切なお客様なのでしょう!? あの態度はなんですの!?」

「お前が悪い」

「はぁ!?」

「行くぞ。明日も手短に案内しろ」

「何故です? 城内の配置を知られてはまずいのですか?」

「そうじゃない!」


 ハロルド陛下がじっとマリアローズを見おろした。


「お前な、あのな、マリアローズ様? お前は女で、あちらは男だ」

「はぁ、そうですけど?」

「なにかあったらどうするんだ?」

「なにか?」

「……もういい」


 そのまま疲れたようにハロルド陛下が歩きはじめたので、首を捻りつつマリアローズも歩いた。こうしてその日は、解散となった。




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