悪逆のソナタ

中島健一

第1話 兄弟

 うだるような夏。夜のとばりがおり、日中さんざん照り付けた太陽の熱を冷ますように雨が降っている。そんな降りしきる夜の雨の中、暗い路地裏で僕は、血を流して建物に寄り掛かりながらコンクリートの上に腰を下ろしている男の人を見付けた。


 仕事を終えた僕は透明のビニール傘を差して、いつもの帰り道である大通りを歩いていたら、雨のせいでいつもよりも暗く見える路地裏から呻き声が聞こえてきたのだ。初めは猫か何かの唸るような鳴き声かと思ったのだが、次第にその声は強まり、男の人の呻き声として僕の頭が認識した。


 僕は路地裏へと入った。誰か倒れているのかもしれない。もしそうなら救急車を呼んで助けてあげれば良い。


 ──あの時みたいに今度は上手く助けることができるだろうか……


 僕は生まれてこのかた、人生において素晴らしい功績を残していたり、社会に対して何か貢献ができたかどうかと訊かれれば、首を横にふるだろう。助けようとしても助けることが僕にはできなかった。そうだ、僕は今までこれといって特筆すべき何かを成し遂げていない。


 自分の社会への貢献度といえば、お財布が落ちていたらそれを交番に届けたり、道を訊かれたら答えたりとその程度である。


 朝日睦あさひむつみ。それが僕の名前だ。今年で20歳となり、お酒が飲め、煙草も吸えるようになり、競輪、競馬、ボートレースなどの公営競技の投票券を購入できるようになった。


 中学を卒業して高校も無事に卒業した僕は、親元を離れて直ぐに工場で働いた。学ランを着ていた中学生の僕であろうが、ブレザーを着ていた高校生の僕であろうが、作業着を着た社会人の僕であろうが、肩書きは成長と共に変わっていったが僕の毎日は変わらなかった。いつもの通学路、いつもの公園、いつもの駅のホーム、いつもの仕事場、いつもの帰り道。それが僕の全てだった。僕は僕でそんな毎日を波風立てずに、合理的に過ごせればそれでいい。そうすれば誰からも嫌われることなく安全に生活できた。


 しかしなんだか漠然とした不安が僕の頭上に常に浮遊している気がしている。どこまでも追い掛けてくる月の光のように、僕を追い立て、不安にさせる。


 そんな不安にかられてか、時には誰かの話に耳を傾け、自分なりの意見を言いたくなることだってあったし、自分から人に話し掛けたことだってある。中学校で3回、高校で3回、それぞれ学年が変わるごとに声をかけてみたんだが上手くいかなかった。小学生の頃はどうだったっけ?たぶん今までの僕と同じだろう。


 どの時代の僕も上手くコミュニケーションがとれなかったんだ。なんていうか、その、相手と僕の価値観が合わなかったみたいな?そして社会人となった今は、先輩や工場長にも話し掛けてみたりして、でもやっぱり上手くいかない。そんな日々を僕はこなしている。


 対人でのコミュニケーションがとても苦手であることに僕は気が付いたんだ。今は専ら、SNSに自分の拠り所を置いている。というか、SNSのタイムラインを覗けば社会に参加できている気がして不安の対極である安心を得ることができるのだ。


 SNSの人達も、日々の生活に嫌気が差していた。労働の不満、芸能人の不倫、それを報道する記者たち、パパ活をしたり汚職をする議員、優遇される上級国民、街での喧嘩やマナーの悪い人達の動画等が日々更新され社会が如何に地獄のような所であるのかを嫌でも痛感させられる。


 その中でも多くの人達は『推し活』といって、自分の好きなアイドルや2次元のキャラクターを応援することに希望を見いだしていた。


 僕もそれに倣って、とある人物を推しにしようと思った。それが椎名町しいなまち45というアイドルグループに所属している小雪ちゃんだ。


 明るくて可愛くて、ファンの人を大切にする彼女が僕の生きる支えだった。


 毎日が同じ繰り返し、時にアニメを見て、漫画を読み、音楽を聴き──殆どがアイドルソングかアニソンだ──、安い給料で小雪ちゃんを応援する、それが僕の生きる道だ。それは決して不満なのではなくて、そうすることで安全で安心して過ごせるので僕はそれに満足している。


「う”ぅ~……」


 話を戻そう。


 呻き声のする方へと僕は歩みを進めた。いつもの帰り道、いつもの路地裏、いつもならこんな路地裏なんて何とも思わないのだが、雨が降って、先が暗くて見えない路地裏はいつもと違う別世界に繋がっているような雰囲気がして恐かった。だが、僕は一歩、また一歩と路地裏に入り、進んだ。


 そして血を流している男の人を発見したのだ。男の人は黒いジャケットを羽織り、中に白いワイシャツを着ていたが、腹部は血で赤く染まっていた。夏の夜、湿気と雨と血の臭い。暗い路地裏のせいで男の人の血が雨と混ざり、コンクリートの溝を埋めながら葉脈のように僕の足元にまで流れ、どす黒い水溜まりを形成していた。僕はそれを踏まないように少し股を開いて屈み、俯く男性の顔を見た。30代くらいの年齢に見えた。


 熱を冷ます冷たい雨と血を流し過ぎたせいか、男性の顔が青白く、今にも息絶えそうだった。僕は言った。


「あ、あの大丈夫で──」


 僕は言葉を切った。何故なら男性の手に銃が握られていたからだ。


「ひぃっ!!」


 僕は思わず恐怖に喘ぐような声を出し、濡れた地面に尻餅をついてしまった。ビニール傘から手が離れ、雨が僕の髪を濡らした。そんな僕に気が付いたのか男性は僕を見みて、口を開く。


「…だ、誰だおめぇ……」


「…ぼ、僕は朝日睦あさひむつみと申します…そ、それよりも早く救急車を呼びま──」


「余計なことすんじゃねぇ!!」


 突然の大声により、僕は救急車を呼ぼうと、ポケットから取り出していたスマホを濡れた地面に落としてしまった。

 

「す、すみません!!」


 僕はスマホを取り、ここから逃げ出そうとしたがしかし、男性は持っている銃を僕に向ける。


 銃口を突きつけられる経験は生まれて初めてだ。無論、多くの人はそんな経験などしたことがないだろう。他人に生殺与奪の権を握られている感覚、死を呼ぶ銃口からなんとしても逃れたい気持ちでいっぱいとなる。


「ひ、ひぃぃ!!!」


 恐怖が僕の身体を支配した。その小さく暗い銃口を目視したくない。無意味ではあるが両手で射線を遮り、目を瞑った。すると男性が言った。


「恐怖から目を反らすな……目を開けて銃口を良く見ろ」


 僕は言われた通りに動くことしかできなかった。だって言うことをきかなかったら撃たれると思ったからだ。だから恐怖に震えながらなんとか目を開けて、射線を塞ぐようにして伸ばした両手をゆっくりと引き戻す。  


 そこには先程見た、無機質で、それでいて死の香りがする空洞がある。全身が震え、恐怖のせいで雨の音も僕に打ち付ける雨の感触もしなかった。すると男性は言った。


「見たところお前は、何者にもなれねぇような中途半端な野郎だな……」


 何者にもなれない人、何者かになりたい人、そんなことをSNSで声高に叫ぶ人がいる。何者かになっていない者を追い立てる良くない風習だとSNSでは総括されていたし、その意見にたくさんのイイネが贈られていた。だが僕は反論せず黙って男性の言う次の言葉を待つだけの者になる他なかった。 

 

「俺はなったぞ……命が消えかけた今だからこそわかる……俺はなった!なれたんだ!!」


 僕は黙ったまま男性の次の言葉を恐怖と共に待っていた。


「何になれたか訊けよバカ野郎!!!」


「は、はい!!何になれたんですか!?」 


「…俺はよぉ、見ての通りただのヤクザだ。組長オヤジと弟分の次郎にハメられてよぉ……命からがら組長オヤジ達の計画から逃げたってわけよぉ……」


 それでこの怪我を負ったのか。 


「ヘッヘッへへへへ…勘違いすんなよ?この傷は逃げて、できたんじゃねぇ。その足で事務所まで行って……復讐よぉ!!」


 急に大きな雄叫びにも似た声を男は出した。またしても僕を驚かせる。


組長オヤジはぶっ殺せたぜぇ!!だが次郎は、次郎は殺せたかどうかわからねぇ……ハ、ハハハハハッ、なぁお前、むつみって言ったか?」


 僕の名前を親以外の人が呼んでくれたことに、銃口を突き付けられながらも胸をときめかせてしまった。僕は頷く。


「見ろよコレ…弾もまだまだいっぱいある……」


 男はポケットの中から大量の弾丸を手で握って、僕の前に差し出し、開く。掌から溢れた弾がコンクリートの上を跳ねて転がった。


「コイツは俺の零戦ぜろせんなんだ……むつみよぉ、折角会えたんだ、俺達兄弟にならねぇか?」


 兄弟。僕には兄弟がいない。独りっ子だった。ヤクザの間ではさかづきを交わせば兄弟や親子になれると聞いたことがある。


 僕は頷く。頷かなかったらたぶん撃たれるからだ。 


「よし、じゃあ兄弟の、俺の最初で最後の願いを叶えてくれないか?」


「ま、待ってください!」


「うるせぇ!!叶えろっつってんだ!!ぶち殺すぞ!!」


「あ、あの!貴方の名前を…教えてくだ、さい……」


 僕を睨み付ける眼光が優しく緩んでいった。


「俺はぁ、正治まさはる吾妻正治あずままさはるだ……よし、むつみよぉ、俺の胸ポケットからイヤホンをだしてくれ。なぁに襲いやしねぇよ……」


 僕は恐る恐る吾妻さんの胸ポケットを探った。この間に撃たれるのではないかと恐怖を募らせたが、無事に吾妻さんの言うイヤホンを取り出すことに成功した。このイヤホンは既にスマホなのかmp3プレーヤーなのかわからないが繋がっており、僕がイヤホンのスピーカー部分を取り出すとカシャカシャと音を立てていた。


「それを俺の耳につけてくれ……」


 僕は吾妻さんの両耳にイヤホンをつけた。


「悪いな……おっ、ちょうど第4楽章じゃねぇか……」 


 僕は首をかしげながら吾妻さんを見た。


「ベートーヴェンの交響曲第9番だ。俺はこれを聴くと妙に心が落ち着くんだ……」


 吾妻さんはそう言って、僕に向けていた銃口を自分の口に上向きに入れ、二度大きな呼吸をしてから引き金を引いた。


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 全部で30話程の物語になっております。既に全話書き終えてます。また今日の21時くらいに第2話を投稿するつもりです。

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