第5話 隣町の巫女
「へぇー鈴木くんって言うんだ、大変だったね君」
妙に気に入られてしまったのか、ラーメンをすする僕の顔を巫女のお姉さんが覗いてくる。
彼女の名前は、岩鳥=穂波(ほなみ)。この近くにある玉岩八幡の神主の娘で、巫女はバイトではなく本職らしい。僕の話を一通り聞いた彼女は、帰りに神社に寄ってく事も勧めてくれた。
もっとも、一通り話したとは言っても、霊に憑りつかれた一件の全て話したわけではない。僕が彼女に話せたのは、女の子の霊が僕を利用して呪いをかけた事と、霊が見えるようになった事くらいだ。
当然、冬三郎の事は不思議な霊能者としか言わなかったし、虐めの事や、家族の事もあえて話してはいない。
自分が虐められるような惨めな人間と思われたくなかったし、家族の事情を知られてもいい事はないと思ったからだ。
(僕に対する虐めが酷くなったのも、家の事が知られた後だっけ……)
……僕の家は、戸建ての二階建てだ。そして、その事を知られた翌日から、僕の家はお金持ちで、僕が甘やかされて育っているのだという噂がクラスに蔓延したのだ。
それは、都会に家を持つのが難しい家庭が多かったからこそ広まった誤解だろう。家は父さんが見栄を張って無理に購入したもので、毎月ローンの返済に追われて贅沢などできない生活をしているというのに、その事を知りもしないでクラスのみんなが僕に嫉妬したのだ。
一度聞いてみたいものだ、広い家に住んで貧乏に暮らすのと、狭い家に住んでたっぷりとお小遣いをもらうのと、どちらがいいか。おまけにお金持ちの息子という、周囲からのやっかみまで付いてくるとしたら、どっちがいい?
そしてそんなレッテルが貼られてしまっては、両親が僕にむしろ厳しい事を訴えたって、僕が甘ったれているだけだと思われるだけに違いないのだ。
それに、どうせもう僕の味方など誰もいない。僕の味方をしたら、僕と一緒にクラスの除け者になってしまうのだから。
「まだそんなに気になる?」
穂波さんが、自分の肩を指しながら僕に尋ねた。彼女の肩には、相変わらず不気味なドクロが鎮座したままだ。
「はい、正直言って怖いです」
「怖がるからダメなんだよ。怖がってる人の方が、霊は憑りつきやすいんだから」
そう言ってる本人が、悪霊を肩に乗せているのだから説得力はない。
(見えない人は、本当に気楽で羨ましい)
僕は黙ってラーメンをすすったが、穂波さんの肩のドクロがこっちを見ている気がしてならず、あまり味わう事ができなかった。
ガタンゴトンと、またこの店の上を電車がうるさく通り過ぎて行く。このラーメン屋に入ったのは、やはり失敗だったかもしれない。
* * *
玉岩八幡は僕が予想したとおり、商店街に来る途中にあった神社だった。縦長の敷地の鳥居をくぐってすぐ右には大きな池があり、今は暗くてよく見えないがちゃんと魚もいるようだ。
池の向こうには土俵があり、かつてはそこで奉納相撲をしていたのかもしれないが、最近使われた形跡はない。
「ほらっ、背筋を伸ばしなよ。堂々としていないと、霊が寄ってくるよ」
正面の石段を登る僕の背中を、穂波さんが掌で押す。重ねて言うが、霊を肩に乗っけたお姉さんに言われたって、説得力はない。
階段を登ったすぐ先には手水舎(てみずや)があり、手水鉢(ちょうずばち)の上には花が浮かべられていた。山田花店という看板が一緒に飾られているし、あの商店街の店が提供してくれたのだろう。僅かな電灯と月明かりの中で見た手水鉢に浮かぶ花には、どこか怪しい美しさが宿っていた。
石畳の奥に位置する、この神社の本殿の正面口はもう既に閉められていたが、左手奥の裏口はまだ開いていた。
「ただいまー、みんな集まってる?」
穂波さんは勢いよく、その戸を開けて中に声をかける。
「ほら、適当に靴をその辺に入れといて」
脇の靴箱を指しながら、穂波さんは既に草履を脱いでいる。続いてジャンパーも脱ぐと、たすき掛けにしていた帯をしゅるしゅると解き、巫女服の袖をフワッとはためかせた。
僕も急いでスニーカーを脱いだのだが、その靴箱がほぼほぼ満杯だったため戸惑ってしまう。
「わはははは……」
奥の部屋から笑い声が聞こえて来るが、なにか宴会でもやっているのだろうか?
「ほら、そこの端が空いてるよ」
「あ、はい」
僕は慌てて、靴箱の左端に自分のスニーカーをねじ込んだ。
「父さん、遅くなってごめんね」
穂波さんが玄関奥の戸を開くと、酒の香りが漂ってきた。
「おーーう、穂波か。どこ行ってた?」
「洋ちゃんとこ。ほら、あの人時々あたしが顔出さないと寂しがるからさ」
穂波さんの父親だというから、この紫の袴の人はここの神主さんなのだろう。しかし、穂波さんの肩に乗った不気味なドクロが見えないところをみると、この人に霊感や霊能力を期待する事はできない。
(もしかしたらと思って来てみたけど、無駄足だったかな?)
僕はその場でおいとましようかとも思ったのだが、それは穂波さんによって阻止された。
「ほら、遠慮せずに入って」
手を引かれて入った本堂には、ご神体と思われる鏡が鎮座していて、その前で十人ほどのおじさんやおばさんが楽しそうに酒盛りをしていた。
「この子、鈴木くんって言うんだけど、強い霊感があるらしいのよーー。霊が見えるんだって。
うちの神社に興味があるみたいだったから、連れてきちゃった」
「あ、はい」
酒盛りをしていたおじさん達の好機の視線が僕に集まり、恐縮のあまり肩をすぼめてしまう。
「へー、すっごいなー。そんな人はじめてみたよ」
「もしかして、あたしに死んだお母さんとか、憑いてない?
なんだか、まだ見守られている気がしてならないんだよ」
そう言って、膝でにじり寄って来たおばさんを僕は凝視してみたが、何の姿も見えなかった。
「いえ、なにも」
「えーー、本当にーー?」
半ば冗談のつもりで聞いたのだろう、おばさんはがっかりした風でもなく、ニコニコと笑みを讃えている。
「でも、あたしには憑いてるんだよねー。
肩に骸骨が乗ってるんだって♪」
「ええー、本当かい? そいつは凄いなーー」
禍々しいドクロが見えないせいだろうか、穂波さんに霊が憑いていると聞いても、この場に居る誰もが恐れてはいなかった。それとももしかして、この神社に居るだけで、結界か何かで護られているとでも信じているのだろうか?
なんとなく不安に思った僕は、念のため他にも霊が漂っていないかと神社の中を見渡してみたが、穂波さんのドクロ以外は何も見つけられなかった。
「あの、ところでこの集まりは一体?」
「みんなが都合のいい日を選んで、こうやって氏子さん達と宴会してるんだよ。
こういう楽しい事っていうのは、定期的にやってると運気が良くなるからね」
笑顔の神主さんが、僕の質問に答えてくれた。穂波さんの父親というだけあって、この人も朗らかな人柄のようだ。そばに居てくれるだけで、どこか安心する。そんな人だ。
「ラーメン屋の洋ちゃんは、店があるからなかなか来られないんだよねー、残念ながら」
コップに日本酒を注ぎながら、穂波さんが笑っている。
(おや?)
穂波さんの肩に僅かに異変があった。なぜだか乗っていたドクロがキョロキョロとせわしなく、周囲を見渡し始めたのだ。一体あの悪霊は何をするつもりなのだろう?
「あの、穂波さん。肩に乗ったドクロの様子がおかしいんですけど?」
「あー、それじゃあもうすぐかしら?」
「え? これから何かあるんですか?」
「ん-、何もないわよ」
一体どういう事だろうか? 僕には穂波さんはもちろん、この場に居る人達が一体何を考えてるのか分からない。霊がいると信じているは確かな筈なのに、なぜ霊を恐れずにいられるのか、全く気が知れないのだ。
「それより、ジャンパーくらい脱ぎなよ。
オレンジジュースもあるから、そこの紙コップを一個もってきて」
「あ、これですか」
ジャンパーを畳んで紙コップを差し出す僕に、穂波さんが大きな瓶からジュースを注いでくれる。
「もっと、良い色の服着た方がいいよ」
「え?」
僕がジャンパーの下に着ていたのは、灰色と白のチェック柄のホロシャツだった。無難な色で落ち着く服だったのだが、何か縁起でも悪いのだろうか? 確かに、お葬式などに使われる色ではあるけれど。
「そういや、師範代。うちの健司の様子はどうです?」
今度は少し白髪交じりの中年のおじさんが、穂波さんに話しかけてきた。
(師範代? 穂波さんが? 巫女じゃなかったの?)
僕は真意を確かめるべく、穂波さんに注目した
「大丈夫よ、健司君。ちゃんとあたしの言う事聞いてくれるし、稽古もサボったりしてないから」
やっぱり、巫女じゃなかったのだろうか?
「あの、師範代とか、稽古とか、なんの話でしょうか?」
「曽祖父さん(ひいじいさん)の代の時に、うちの神社の境内を借りて道場代わりにしていた古武術家がいてね。その人に弟子入りしてた曽祖父さんも、免許皆伝をもらっていたから、そまま家で引き継いで古武術教室もやってるのよ。
今は氏子さんの中から希望する人にただで教えているくらいだけどね。もしかして、鈴木君も興味あるの?」
「あ、いえ……」
武術など、僕には無縁の話だった。昔から憧れはしていたが、体力に自信がある訳でもなく、また親に習いたいと願い出たところで”そんな暇があるなら勉強でもしていろ”と言われるのがオチだ。そもそも、武術を習おうなんて人の中には絶対に乱暴者が混ざっている筈だし、僕はそいつらのターゲットにだってなりかねないのだ。
だから、どうせ僕には向いていないに違いないと自分に言い聞かせ、諦める事にしていたのだ。
(おや?)
いつの間にか、穂波さんの肩に乗っていたドクロが、浮き上がってもう天井近くまで昇っている。
「どうしたの、天井なんて見上げて?」
「いえ、穂波さんの肩に乗っていたドクロが、なんかあそこら辺を浮いてるんですよ」
天井の方を指さす僕を見て、穂波さんと周囲の大人たちが一緒にその指先を目で追っている。
「へええ、もう離れちゃったんだ。成仏するかな?」
(え? なんだって?)
神主さんの言葉に、僕は唖然とした。この神社に入ってから穂波さんも、この神主さんも何もしていない。祝詞(のりと)の一つだって唱えていないのに、宙を舞うドクロは居心地が悪いらしく、ゆらゆらと頼りなくさっきから右往左往をし続けているのだ。
「あ、消えました!」
ドクロは僕たちが見守る中で、スッと天井の方に舞い、その姿を空気に溶かすようにして跡形もなくなっていた。その姿ばかりでなく、なんとなく感じていた不気味な気配さえもだ。
「それじゃ、お祓い完了ってとこかしらね」
穂波さんは、日本酒の入ったコップを傾けながら、僕に向かって明るく笑いかけるばかりだった。
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