ヒールレディ・スノウドロップ

銀星石

第1話 プロローグ

 災禍が東京を襲った。

 高層ビルの群れは、まるで地獄の篝火のように燃え上がっている。スカイツリー、東京都庁舎、東京駅、この街を象徴するランドマークの数々は惨たらしく砕かれていた。

 暴力はしらみつぶしに行われていた。土地を奪うための攻撃ではない。破壊のための破壊。殺戮のための殺戮。およそ人の手によるものとは思えず、事実、人とならざる存在によって行われていた。


 どす黒い雲のように見えるそれは、昆虫に似た怪生物の群れだ。コズミックローカストと名付けられたそれは、数日前に前触れも無く太陽系の外から飛来し、イナゴローカストのように地球の各都市を散発的に襲った。

 今、東京を襲っているのは最大級の大群だった。これまでのは先遣隊であり、これは群れの本隊であると思われた。


 自衛隊は必死に抵抗したが、力は及ばなかった。彼らが使う装備と彼らが積み重ねた訓練は、宇宙の怪物を想定したものではない。

 だが希望はまだ潰えていない。

 おお、空を見よ。深紅のマントをはためかせて男が空を舞い、手のひらから閃光を放ってコズミックローカストを次々と打ち落としていた。


 彼の名はマイティフィスト。地球を守るヒーローである。

 クイックキッドが崩れるビルから目にも留まらぬ速さで人々を助け出している。

レディ・ミスティックは古代から受け継がれる神秘的な魔法で敵を焼き払っている。

 人型ロボットを操るザ・ソルジャーが愛機を盾に逃げ惑う人々を守る。 

 ライトウォリアーズ正しき戦士団。それがヒーロー達が結成したチームの名だ。

 ヒーロー達の活躍により、敵は倒され、生存者が助け出されていく。

 人々は傷つき、それは決していえないかもしれない。だが破滅には至っていない。大丈夫、ヒーローがいる。人々の心にある希望の光は確かにあった。


「今だ、マイティ・フィスト! クイーンにとどめを!」

「これで、終わりだ!」

 

 マイティフィストの拳が虹色に輝き、コズミックローカストの女王個体クイーンを殴り飛ばす。

 膨大なエネルギーを受けたクイーンの体は輝く粒子となって消滅する。


「やったぞ! クイーンを倒した!」

  

 大勢は決した。クイーンを失ったコズミックローカストは統率を失い混乱に陥る。

 ヒーロー達は残る敵の掃討に移った。


 

 若い女が少女と共に荒れ果てた道路を歩いていた。


「大丈夫、もうすぐライトウォリアーズの日本支部に到着するわ」


 女はヒーローの一人だった。名をスノウドロップという。襲撃の混乱で逃げ遅れた少女を保護し、安全な場所へ避難させている最中であった。

 少女は不安げに自分の手を引くヒーローを見上げる。

 これまでの道中、何度かコズミックローカストと戦って少女を守った。だが、そのたびに無視できない傷を負っている。


 これ以上戦えるか分からなかった。彼女は他のヒーローよりも弱かった。

 少女がくしゃみをした。顔が青ざめるほど凍えている。今日は記録的な寒波が来ていた。 スノウドロップはスーパーパワーを使って、マフラーを作ってあげた。

 フォースエナジーと呼ばれるエネルギーがある。それは超自然的な現象を誘発する力を持ち、魔力や霊力、チャクラなどと呼ばれる事もある。魔法や超能力は全てこのエネルギーによってもたらされる。

 スノウドロップは体内のフォースエナジーを物質化するスーパーパワーを持っていた。

 マフラーを少女に巻いてあげると、彼女は寒さで声を震わせながら小さく「ありがとう」と礼を言った。

 

 世界を救える力は無く、寒さに凍える少女に気休めのようなぬくもりしか与えられない。無力感にくじけそうになる。

 だが本当にくじけるわけにはいかない。スノウドロップは歯を食いしばって傷の痛みを押し込み、膝に力を注ぐ。


「支部が見えてきたわ。もうすぐよ」


 安心させるように少女を励ます。

 少女は泣きそうになるのを懸命にこらえながら歩き続ける。

 その二人の前に1匹のコズミックローカストが現れた。ヒーロー達の掃討から逃げてきたのだろう。手負いだが、それゆえに死に物狂いで襲いかかってくるだろう。


 スノウドロップはフォースエナジーを物質化して剣を作り、少女をかばうように立つ。

 次に一つのスーパーパワー、活性心肺法を使った。フォースエナジーを肺と心臓に浸透させて身体能力を大幅に強化する技だ。

 

「どこかに隠れていて」


 少女は恐怖で足が震えていたが、かろうじて理性が勝った。横転した大型トラックの陰に隠れる。

 これまでの戦いで消耗しており、万全ではなかった。

 だが戦わねばならない。後ろには守るべき命がある。

 コズミックローカストは目から光線を放つ。それを剣で弾き飛ばしながら接近した。

 懐に飛び込むと、コズミックローカストはカマキリの鎌のような腕を振るう。戦車の装甲すら切り裂く刃を紙一重で躱した。


 スノウドロップは残る力全てをふり絞り、剣を敵の胴体に突き刺した。

 奇怪な悲鳴を上げ、コズミックローカストはどさりと倒れた。

 周囲を素早く見渡す。今倒した個体以外に敵の姿は無い。


「もう、大丈……」


 少女を呼ぼうとした時、光線がスノウドロップを背後から貫く。

 致命傷を受けた彼女は路上に倒れた。


「スノウドロップ!」


 少女が悲鳴を上げながら駆け寄る。


「ごめんなさい、私はもうここまでよ。ここから先は一人で逃げて」

「私を助けてくれた人を見捨てられない!」

「あなたが助からないのは自分が死ぬより恐ろしい。だからお願い。逃げて」

「……ごめんなさい。私を助けてくれたのに、助けられなくてごめんなさい……」

 

 少女は頬を涙でぬらしながら、ライトウォリアーズ日本支部へと駆けだした。

 その背を見て、安堵した。

 死を目の前に、彼女は自分の人生について想う。生まれてから20年。決して愛されず、蔑まれてばかりの人生だった。

 スノウドロップは悪の科学者がバイオテクノロジーで生み出した人造人間だ。

 まだ培養槽で胎児だった頃に彼女はライトウォリアーズの手で保護された。


 生まれてきてはならない命だった。それでもなおヒーロー達の慈悲によって生存を許された。

 スノウドロップは生まれながらに背負わされた罪を償うために、物心ついた時から正義のために働いた。

 たった一人で良い。ほんの一瞬だけで良い。いつか愛される時が来ると信じ続けた。

 しかしついぞ誰にも愛されなかった。

 悪人が作った人造人間に許される権利は生存のみで、愛情までは許されなかった。

 自分はここで死ぬ。

 未練は無かった。蔑まれてばかりの人生が終わってくれるなら、むしろ安らかですらあった。

 強いて心残りがあるとすれば、読みかけていた小説の結末が気になる程度だった。

 その小説に登場する悪役は、スノウドロップと同じように誰からも愛されない少女だった。

 その悪役は自分を蔑む者達を恨み、一つの国を滅ぼそうとした。

 悪役の行動は決して同意できないが、しかし誰にも愛されなかった境遇に限っては共感できた。

 小説は主人公が悪役と対決する直前の場面までしか読んでいない。


「ロベリアがどうなったか、結末が知りたかったな」


 スノウドロップは小説の悪役について想いながら息を引き取った。



 ロベリア・クルーシブルは悲鳴を上げながら飛び起きた。呼吸は乱れ、心臓が早鐘を打つ。


「今の夢は何?」


 生々しいなんてものではない。スノウドロップなる自分でない自分の20年ほどの人生を一晩で体験した。最後の日の凍えるような寒さと、命を奪った光線の熱さは本物のようにすら感じた。

 周囲を見渡す。ロベリアは四方を本棚に囲まれていた。ここはクルーシブル家の敷地にある離れだ。読書家で有名な先々代の当主が作らせたもので、小さな図書館といってもいいくらいに大量の蔵書が保管されている。

 

 ここで寝起きするようになって1年は経つはずなのに、どういうわけか今は初めて見る場所のような気がしてしまう。心境の変化で慣れ親しんだ風景が違って見えるように、あの夢をきっかけに何か不可逆の変化が訪れたようだ。

 きしむ音を立てながら扉が開き、見知らぬ女が入ってきた。

  

「誰!?」


 ロベリアはベッドから飛び出し、剣を生成して構えた。


「えっ!?」


 自分がたった今した行いに彼女は戸惑った。


「これは夢の中でスノウドロップが使っていた力。私は魔法が使えないのに」

「その様子だと前世の記憶を思い出したようね」


 前世の記憶。

 そう言われたら、この不可解な心境の変化にすとんと腑に落ちた。

 

「ああ、そうなのね。私は

 

 それを口にした瞬間、ロベリアはスノウドロップになった。

 

「あなたは誰?」


 スノウドロップは再び女を問う。


「私はフェイトブレーカー。あなたにこの世界の運命を変えて欲しい」

「運命?」

「そうよ。あなたは未来を知っている。ロベリアとしての人生を振り返ってみなさい。前世の記憶があるのなら、ここがどういう世界なのか分かるはずよ」


 生まれ変わった後の人生にどんな意味があるというのか? スノウドロップは疑問に思わずにはいられなかった。

 確かに普通の人生ではない。

 円卓王国の名門貴族であるクルーシブル家に産まれたロベリアは、10歳の時に魔力に覚醒したが、魔法を一切使えない無属性だったために無能の烙印を押し付けられた。

 以来、一つ上の姉をのぞけば、両親と使用人達はロベリアを蔑むようになり、クルーシブル家の敷地内にあるこの離れで世間から隠れるように過ごしている。


 そこまで思い返し、スノウドロップはようやくフェイトブレーカーの言わんとしている事を理解した。


「〈光の継承者〉と同じ世界……」

「その通り、ここはあなたが前世で読んでいたファンタジー小説が現実化した並行世界よ」


 信じがたい話だが、しかしロベリアとして生きた実体験が現実であると証明している。


「もしこの世界で小説と同じ出来事が起きるなら、6年後には内戦が発生する……」

「もし、ではないわ。必ず起きるのよ。誰かが運命を変えない限りはね」

「あなたは運命を変えたいの?」

「ええ、そうよ。私は運命を変えるために世界そのものに作られた超自然の存在なの。その使命を果たすために、私には魂を別世界から転生させる力を与えられている」


 フェイトブレーカーはスノウドロップの手を取る。


「ロベリア・クルーシブルは内戦を引き起こし、この国を滅ぼそうとする小説の悪役。でも今は、スノウドロップという正義の心が宿っている。お願い。この国に生きる人々のために運命を変えて」


 スノウドロップは前世では過酷な戦いに従事し、命を落とした。

 生まれ変わってもなお、命がけの戦いは終わらない。しかし……


「分かったわ。最善を尽くす」


 生まれ変わってもなお、愛されずに蔑まれる人生となった。前世と同じく、誰も愛してくれないのに、正義のために戦わねばならない。

 しかしスノウドロップは逃げたりしない。彼女に宿る正義の心は不滅だ。

 この世界は架空ではない。ロベリアとして生きた10年の人生が紛れもな無い現実であると証明している。

 多くの人々が円卓王国で暮らしている。その人たちに惨たらしい死の運命が待ち受けているのなら、それを阻止する。

 それは正しいのだ。命がけの仕事をするのに、正しい以上の理由は必要ない。

 スノウドロップは正義の味方なのだ。

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