神の力と悪魔の力

 エル歴千年 五月二十日 午後。


 村を出て、精霊洞窟へと向かう。精霊洞窟は先日の分かれ道を山から西に進んだ場所にある。村からは、ひたすら街道を西にまっすぐ進むだけである。朝目が覚めて宿を出たとき、ダリアは既にいなくなっていた。しばらくいるとはなんだったのか、とクレイは馬車の中で腕を組む。


「なあリアン、精霊洞窟ってどんなところ?」

「入ってすぐに広い場所があってな。そこに扉があるのだが、その扉は件の鍵が無いと入れないのだ」

「なるほど、例の悪魔娘がいるとしたらその広場か」

「であるな」


 カーネリアンは、続けて語る。精霊洞窟は、この世界を管理する精霊の一体がいる場所である。この世界にとって非常に重要な場所のひとつであるため、女神が認めた者しか入れないようになっている。その証のひとつが、例の鍵だ。カーネリアンが知る限り、鍵を持っているのは彼自信とクレイ、そして女神の友人だけだという。


 クレイは眉間にシワを寄せた。


「ん、待て、お前も持ってるのか?」

「応とも。儂もダリアより間接的にではあるが、女神からの任を得た者であるからな」

「となると、例の子がお前を勧誘したのって」

「……儂の持つ鍵が目当ての可能性が高いということである」


 だよなあ、とクレイは頭の後ろで手を組み、背もたれにもたれかかった。


「恐らく、精霊洞窟で儂を待ち構え、戦って奪う腹づもりなのだろう」

「惚れてる相手にそれやられるの、かなりきついな」

「まったくであるな。それもあり、躊躇していたのやもしれん」


 (そりゃ躊躇して当然だ。結果的にはよかったが、フリントはリアンのかなりナイーブな部分に踏み込んだんだな)


 五人を乗せた馬車は、そのまま街道を西に走っていった。のどかな牧場の風景のなかを走りながら、クレイは釘バットを手に取り、見つめる。馬車は静寂に包まれ、一歩一歩と目的地に近づいていった。


 そしてとうとう、馬車は停まった。


「あそこだ」

「洞窟? というには随分人の手が加えられてるな」


 洞窟と言われてクレイが想像するような、自然の中にぽっかりと空いた穴という風情ではなかった。前の前にあるそれは、洞窟というよりも神殿のようだ。太い柱が折り重なるように並び立ち、門を構えている。門には重厚そうな扉があった。シンプルではあるが、装飾も施されていた。モルフォ蝶の装飾。ここが、女神ノエルの関連施設であることを示す装飾にほかならない。


 そして、全体的に白かった。陽の光を反射して、まばゆく輝いている。


 クレイたちは馬車から降り、扉の前に立つ。


「準備はいいな?」

「応とも」

「いいぜ」

「モチのロンっしょ」

「ええ、その通りね」

「いいよー」


 クレイの問に各々が返し、クレイは扉に手をかけた。力を入れると、思っていたよりもすんなりと扉が開く。抜いたままの釘バットを強く握り、扉を開いた。


 そこには、カーネリアンの言っていた通りの広い空間があった。マナ灯に囲まれ、奥に扉が見えるだけの簡素な広場。どことなく、水源洞窟を思わせるような内装だった。


 そして、その広場の中心に、黒いコートを着た女性がニヤリと顔を歪ませて立っている。


「来ましたか、リアン」

「やはりここにいたか、ザクロ。精霊に仇なすなど、辞めておけと言うに」

「女一人説得するのに、仲間を引き連れてきたんですね」


 ザクロがクレイたちをキッと睨む。その眼光に射すくめられ、クレイは身震いした。カーネリアンが一歩一歩と、ザクロに歩み寄る。


「儂はお主を止めに来た。お主のいる組織には最早先はない。それはお主も知るところであろう」

「女神ですか」


 彼女が息を吐きながら言った。まるで吐き捨てるかのようだった。


「応とも。女神は三神教の存在を許さぬ」

「たとえそうだとしても、私はこんな世界、許せないんですよ」


 ザクロの手に黒い影が渦巻く。すると、影は形を変え、漆黒の剣になった。悪魔の使う影魔法。クレイは見るのは初めてだったが、すぐにわかった。説得ができるような相手ではないと。クレイがリアンの隣に躍り出る。依然として、震えは収まっていない。


「ようザクロとかいう悪魔娘。説得に来た丸腰の相手にいきなりご挨拶だな」

「不遜ですよ、人間。悪魔に丸腰の者などいません」

「そうかい。大人しく説得される気が無えってことでいいのか?」

「ええ、そう取って貰わなければ困ります」


 カーネリアンが肩を落とす。


 しかし、一瞬にしてまた肩に力が入ったようだ。彼の手にも影が渦巻き、影が彼の拳を覆い、硬質な棘となった。クレイはそれを見て一歩下がり、舗装が剥げた地面に釘バットを突き刺す。


「クレイ、お主らは下がっておれ。これは儂の戦である」

「ああ、言われずとも下がったよ。存分にやってこい」

「大人しく休ませるとお思いですか?」


 彼女が言うと、クレイの眼前に黒い影が現れた。影はみるみるうちに人の形に変わり、やがて姿を現す。背中に翼が生え、額からは角が生えている。悪魔と魔族の特徴を両方併せ持つ人類種のようだった。クレイたちを囲む彼女は、物言わずクレイたちを睨みつけている。宝石のように綺麗な赤髪のその女は、ぬらりと立ち、無言で手に影の剣を生み出した。


「彼女は魂なき抜け殻……黒兵と我々は呼んでいます。彼女は恐れを知りませんし、忠実に命令に従います。命令は……あなた方の殲滅です」


 彼女が冷たく感じる声色で言うと、黒兵と呼ばれた女が剣を構える。肌にピリピリとした痛みを感じ、思わず半歩下がってしまった。そんなクレイの前に、フリントとマイカが躍り出る。


「な、お前ら何やってんだ」

「クレイ、あいつはヤベえ。普通に戦えばまず死ぬぜ」

「クレっちは生きなきゃでしょ。だから――」

「俺等はお前とルネを、パーティから追放する」

「は……?」


 (なんだよ、今更……なんでこんなときに……)


 言っている意味が、クレイにはよくわからなかった。これまで幾度も、パーティから追放されようと策を弄してきた。全て失敗に終わり、なんだかんだここまでズルズルと、流れに身を任せるかのように旅を続けてきた。クレイは唇を噛み、目の前の二人を見据える。


 (ふざけんなよ、そんなの……)


 何度も言葉を反芻して、ようやく理解できた頃には、黒兵がフリントに襲いかかっていた。その光景を前にして、クレイは釘バットを強く強く握りしめる。掌に血が滲むほどに強く。そうして、クレイはハッとした。


 (そっか、俺は……確かにバカだな)


 黒兵に斬りかかられるフリントを突き飛ばし、黒兵の剣を釘バットで受け止め、弾き返す。


「おま、逃げろって!」

「ふざけんなよお前ら! 追放されようとしてる俺を散々持ち上げて、受け入れておいて! 今更都合のいいこと言ってんじゃねえ!」

「クレっち!」


 右から真っ黒な影の腕が迫る。釘バットで粉砕し、本体が怯んだ隙にフリントを起き上がらせた。奥でリアンとザクロが戦っているのが見える。互いに影の腕を伸ばし合い、魔法を放ち合い、剣と拳を交差させている彼らを見て、クレイは胸の奥底が熱くなるのを感じた。


「俺はお前らといるのが楽しくなってきちまったんだよ! お前らと壁を超えたくなったんだ! 責任取れや馬鹿野郎共が!」

「クレイ、あんた……よく言った!」


 セレンがクレイの隣に並び立ち、杖を構える。迫る影の腕を焼き払い、本体に追撃。水魔法で相殺され、水蒸気が舞った。


「勝てそうもない相手には、みんなで立ち向かわなきゃダメだよー!」


 ルネが土魔法で作ったドリル状の土柱を黒兵に放つ。黒兵は影の腕でガードしようとしたが、貫かれ、自身の腕から血を流した。


「ルネ、お前……いいのか?」

「隠してる場合じゃないでしょ!」

「……ちっ、わあったよ。たく、しゃあねえ奴らだぜ」

「まったく、どうなっても知らないかんね!」


 フリントとマイカがそれぞれの武器を構え、敵を見据える。クレイは釘バットを構え、地面を蹴った。その瞬間、クレイの体が宙に浮き、一瞬の加速感の後、背中に衝撃が走る。釘バットを壁に突き立て、ぶら下がるようにして地面に降りる。釘バットを抜き、再び構えた。


「くっ……魔族の神通力か」

「魔法に腕に神通力、厄介すぎるぜ」

「セレン、潜伏をかけろ」

「わ、わかったわ!」


 セレンが言うと、クレイたちの体が一瞬光りに包まれた。次の瞬間、クレイは自身を含め全員の姿が見えなくなった。そこにいるはずなのに、認識ができない。そこにいるという気配すら感じられなくなった。クレイは釘バットを構え、敵に突っ込んでいく。敵はキョロキョロとあたりを見渡し、影の腕を明後日の方向に飛ばした。


「がっ……」


 フリントのうめき声が聞こえた。次の瞬間、懐二飛び込み、一閃。メキメキと音を立てながら、黒兵の体が吹き飛んだ。すかさず水が飛び、黒兵の体が水圧によりさらに吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。その瞬間、どこからか放たれた炎弾が彼女の体を焦がす。


 しかし、火傷を負ったそばから再生していく。悪魔の持つ恐ろしいまでの自然治癒力に驚きつつも、クレイは焼ける彼女の胸に釘バットを突き立てた。パリン、と何かが割れる音が響く。


「やった!」

「魔族の核が割れたわ!」

「あとは首を飛ばすだけだ!」


 釘バットを振り抜く。


 瞬間、クレイの体が地面に叩きつけられた。


 (な、何が起こった!?)


 見ると、黒兵の姿が無かった。キョロキョロと見渡すも、姿が見えない。


「クレくん! 上!」


 ルネの言葉に見上げると、いくつもの氷柱が回転しながら迫っていた。地面を転がり避けるも、一つがクレイの左腕を貫く。血が吹き出し、気が遠くなるほどの痛みに襲われ、声も出ない。それでも力を振り絞り、彼女に向けて釘バットを構える。


 (核を破壊したときに位置を悟られたか)


 自身の左腕を見ると、血だけが浮いているように見えた。潜伏も、これで意味を成さなくなった。気が付かれずに接近することは、もうできない。痛みに喘ぎながらもなんとか思考をまとめようとするが、視界がだんだんとぼやけてくる。


 (奴の姿がぼんやりとしか見えない……もうダメなのか)


 そう思った瞬間、心臓がドクンと一際強く波打った。急速に視界が晴れ、代わりに遠のいていく。まるで窓の外を見ているかのような感覚がしたと同時に、自身の身体が勝手に動いたように感じた。窓から見たような視界で、自分の手が動くのが見える。


 また次の瞬間、クレイは意識を何者かに呑み込まれていくのを感じた。


 クレイの体は、彼の意図を無視して動き続けている。ポキポキと首を鳴らし、釘バットを構えた。目が赤く染まり、体から影が漏れている。彼を見た仲間たちが、目を大きく見開いた。


「よう……随分と勝手してんじゃねえか! おお!? 黒兵の分際でよォ」


 言い放つと同時に、クレイの体は黒兵の懐に潜り込んでいた。まるで、黒兵のほうから吸い寄せられてきたかのようだった。


「抜け殻は大人しく土に還るんだなァ!」


 釘バットが振り抜かれ、黒兵の体を吹き飛ばした。瞬間、クレイの手から光の矢が放たれる。八咫烏が使った光の矢が無数に黒兵の体に注がれ、貫いた。


「おい、あれクレイか? どうしちまったんだあいつ」

「ううん、あれクレくんじゃないよ!」

「クレっちじゃない……?」


 クレイの光の矢は止まらない。黒兵の体が何度もビクビクと痙攣し、体から血を流している。


「つまり、あのとき封印した魂に意識乗っ取られてるってことじゃないの?」

「そ、それだぜきっと!」


 黒兵の体の痙攣が止まり、光の矢も止まった。黒兵の首が千切れ、地面に落ちる。クレイの体は釘バットを手放し、ふうと息を吐いて項垂れる。体の筋肉が急速に弛緩していった。駆け寄るルネに肩を預け、ぼそっと呟く。


「まだここまでか……後は頼んだ」


 そうして、クレイは倒れ込んだ。

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