ランプ山を超えて

「クレくん! 起きなさーい!」

「起きてクレイ! 山を超えたわよ!」


 声と揺れに目を覚ますと、ルネとセレンがクレイの体を揺さぶっていた。眠気眼をこすりながら、窓の外を見やる。降りの山道といった道が見えず、代わりに平坦な舗装された街道のような道が見えた。窓の外に広がるのは、平原だった。ところどころに小屋が見え、小屋の近くには家畜魔物の姿が見える。


「山超えたのか」

「もったいないわね、火口を見逃すなんて」

「クレくん、本当に寝起きが悪いんだよねー」


 クレイは頭を掻いてから、大きなあくびをする。


「クレイよ、精霊洞窟はこの近くであるぞ」

「牧場ばっかだが、こんなところにあるのか」


 見渡す限り、牧場だった。街道の脇には頑強な柵があり、その向こう側でボアピッグやカウカニンといった家畜魔物がのんびりと生活している。ボアピッグは食肉と革製品に使われ、カウカニンは食肉用の種とミルク用の種がいる。食肉用の種には大きな角があり、ミルク用の種には角が無いのが特徴である。双方共に体には白と黒の斑点模様があり、ミルク製品にはその斑点模様が描かれたものが多い。


 しかし、クレイの関心はそこにはなかった。


「精霊洞窟か」


 鍵を取り出し、眺める。相変わらず金色に光り輝いており、主張が激しかった。夕暮れの陽の光を受け、ほんの少し赤く見える。


「それ、女神様のお友達から貰ったのよね? どうしてそんな重要そうなものをクレイに?」

「なんか助けたお礼みたいな感じだったな」

「不思議な感じの子だったよねー」

「まあ、あいつが女神様の友達というのなら、助けなんか要らなかっただろうが」


 ノエルの冒険譚によれば、彼女の身の回りには強者が揃っていたという。ノエル自身はもちろんだが、その結婚相手も幼馴染も普通の人間であるはずの友人でさえも、常人離れした強さを誇っていたと記録されている。実際、クレイは冒険譚で彼ら彼女らの活躍を読んで、その強さに惹かれていた。ダリアはクレイが読んでいた冒険譚には記されていなかったが、彼女もまた相当な強者であるに違いないとクレイは頷く。


「今晩はここらで夜を明かそうと思うが、異論はあるか?」

「異論なし。日も傾いてるしな」


 カーネリアンの言葉に同意すると、馬車は進路を変えた。放牧地帯に囲まれた十字路を東に進む。ここを西に進めば、精霊洞窟に到着すると彼は語った。


「今晩はここより東、フロウ村にて宿を取ろうぞ」


 フロウ村。精霊洞窟の近くにあることからそう名付けられた村には、これまでクレイたちが通ってきた街とは違う農村である。農業と畜産業を営む者たちによる村であり、食料と山越えの後の休息地を求めて多くの旅人や冒険者、商人が訪れる。そのため、大陸でも比較的大きな村になった。


 街道をしばらく東に進むと、村の門が見えてきた。簡素な柵と門に囲まれてはいるが、門番のような者は誰もいない。門も常に開け放たれており、来客を拒むような様子が一切なかった。カーネリアンが馬車を門の付近にある厩舎に停め、馬たちのための餌を給餌器から取り出し、馬の前に置く。マイカたちも彼にならい、自身が乗っていた馬車を引いた馬の前に餌を置いた。


「さあ、参るか」

「山越えつっかれた~!」

「マイカは寝てただけだろうが!」

「いやあ本当疲れたな」

「クレくんも寝てたよねー」


 仲間たちと笑い合いながら厩舎を出て、門から村に入った。木製の道が敷かれており、それ以外は一面土といった簡素な道と木造の建築物たちが目に入る。派手な装飾はなく、マナ灯の並びも街と比べるとまばらだった。いかにも田舎の村といった風情だが、門のすぐそばにそびえ立つ建物だけが異様に大きい。看板にはフロウ旅館と書かれている。山越えをした人々が大勢行き着くため、フロウ村は宿だけが立派になったのだとカーネリアンが語る。


「宿を取るぞ皆の者」

「リアンのおっちゃん、飯は?」

「宿に食事処があるのだ。酒も然り」

「うっし! 景気づけすっか!」


 宿に入ると、広い玄関の奥に受付があった。そこにはなぜか、見覚えのある少女が座っている。


「ダリア……か?」


 綺麗な金色の短髪に、快活な笑みを称えた幼く見える少女がクレイたちを見て、ブンブンと手を振っている。靴を脱いで用意されているスリッパに履き替えて、受付に進んだ。


「また会ったったい!」

「なんでここにいるんだ!?」

「人手不足らしかよー! やけん泊まりに来たついでに手伝いしとーとよ」


 クレイがため息をつく。


「え、このちみっこがダリア? 女神のダチの?」

「え! めっちゃかわいいじゃん!」

「イメージとだいぶ違うわね」

「ダリアよ、健勝そうであるな」


 驚く面々のなかに、一人だけ顔色一つ変えない者がいた。カーネリアンが六人分の料金をカウンターに置くと、ダリアは笑顔でそれを回収して部屋の鍵を五つ出す。


「当たり前ったい! リアンも元気そうやね」

「知り合いなのか?」

「応とも。我がスキルはダリアから賜った者である」

「そうそう! リアンには世界の調整役を任せとうったい!」

「調整役とは何かしら?」


 セレンの問いに、ダリアが腕組みをしてむむむと唸ってから、応えた。


 この世界はノエルたち魔女の家によって創られたが、基本的にはこの世界に生きる人々の自由意志を尊重するため、ノエルたちは深く介入しようとはしない。それでも世界に生きる人々の平和が激しく脅かされることがあれば、何かしらの手を打つのだと。そのためにこの世界に協力者を作っているということだった。


 カーネリアンに任せたのは、魂を封印することでしか解決できない事案の解決。先程の八咫烏の異変がそうだったように、著しく魔に堕ちて変質してしまった魂の救済や世界への脅威となった魂の封印・保管を目的として、カーネリアンに特別なスキルを授けたということだった。


 全てを聞き終えて、クレイは淡々と頷いた。


 (話が壮大過ぎてよくわからんということがわかった)


 フリントは頭から煙を出しそうなほどに唸っていたが、理解するのを諦めたのか、一転して笑っている。


「ま、いいじゃねえか。おかげで助かったしな!」

「そうね、その通りだわ」

「まー、しばらくここにおるけん、なんか聞きたかったらいつでも来んしゃい! 答えられることしか答えられんばってん」


 ダリアの言葉にめいめい返事をして、鍵を受け取り、部屋に向かった。カウンターの奥には食事処があったが、ひとまず荷物を置いて休んでから食事ということになった。階段を上がり、各々の部屋に入る。


 部屋の中は簡素だが、しっかりとしたつくりに見えた。重厚なテーブルと座り心地が良さそうなふかふかとした座面の椅子に、これまた寝心地が良さそうなふかふかとしたベッドが置かれている。冷蔵庫まで完備されていた。クレイは荷物を置いて、ベッドに身を投げ出す。ルネがそばに座り、クレイの頭を撫でた。


「おつかれさまー」

「ルネも、おつかれ」

「なんかすごいことになっちゃったねー」

「だなあ」


 ミナスを出てからというものの、色々なことがあった。ロタンではダリアと出会い、ルビードラと対峙し、調査のためにラダウに行けば悪魔でもある魔人と出会い……。ミナスを出てからのことを思い返して、クレイは思わず吹き出した。


「変なことばかりだ」

「神様の分裂した魂? を封印されたりねー」

「それについては、未だにいまいち実感がない」


 胸に手を当てるも、封印直後に感じたような痛みや異物感は胸中になく、今は清々しい気持ちだった。本当に自分のなかに魔に堕ちた神の魂の一部があるのかと、自分の記憶と体験を疑いたくなったが、治療されたとはいえ未だに痛む節々があれは現実だったと主張してくる。


「まあでも、これで強くなるといいよな」

「だねー、じゃなきゃ割に合わないよー」

「ははは、確かにな」

「すっごーく! 痛そうな顔してたからねー?」


 ルネが腕を大きく広げた。クレイはぷっと笑って、ベッドから起き上がる。


「お、今日はやるのー?」

「冒険に出てからサボり気味だったからな」

「イチテンゴ倍を高めてかないとねー」


 クレイは立ち上がり、スクワットを始めた。冒険に出る前は日課と化していた筋トレだ。重い武器や装具を身に着けて行うゆっくりとしたスクワットを十五回。それを三セット行った後、クランチや腕立て伏せなども行う。これを毎日やり、筋肉と体力を付けることで自らの基礎能力を高めていた。クレイが能力倍加レベル一でも並の冒険者よりほんの少しだけ強いのは、これらのトレーニングとルネの祝福のおかげである。


 全てのセットを終えると、クレイは息を切らしながら、乾燥肉を粉末状にしたものを水で流し込む。ルネがタオルを差し出してくる。汗を拭いて呼吸を整え、小さいテーブルの前の椅子に座った。


「さ、この調子で他の日課もやっちまおう」

「だねー、今日はどうせ飲んで寝るだけだろうし」

「フリントあたりがリアン巻き込んで騒ぐのが目に浮かぶな」

「リアンさんはノッてくるタイプっぽいしねー」

「それでマイカが爆笑して親指を立てる」


 (そしてセレンがため息を吐くんだろうな)


 仲間たちと一緒に騒ぐ光景を目に浮かべ、クレイはニヤニヤした。そうして、冒険の記録を付ける。山越えのときに寝ていたところは、ルネに補完してもらった。明日は精霊洞窟だ。リアンの想い人がいれば、戦いになるだろうことはクレイにも容易に想像できた。書き記していくと、覚悟が心にハッキリと宿るのを感じる。


 (敵が強大だろうと、誰だろうと、俺は止まらない。進み続けるだけだ)


 そう強く心に念じ、ノートを閉じた。

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