路地裏の攻防

 商業区をしばらく南に歩くと、目的の施設があった。視界におさまりきらないほどに大きな白壁の建物のまわりを取り囲むようにして、水が引かれている。白い壁にも青い彫像が張り付けられていたり、エル教の紋章が刻まれていたりと装飾がほかの建物よりも豪華だ。エル教の紋章はただ彫られているだけでなく、彫刻の溝に色が付けられており、紋章の中心には薄紫の宝石がはめ込まれていた。


 (あれはアイオライトか?)


 エル教の紋章はモルフォ蝶の羽だ。核世界においては絶滅した種だが、ノエルにとっては一番思い入れのある生き物だということで、ノエルがこの世界を作ったときにモルフォ蝶を生み出したという逸話がある。


「はー、すごいなー」

「でかいな」

「この中にいろんなお店が入ってるんだよねー?」

「そうらしい」

「よーし、入ろー!」


 今度はルネがクレイの手を引いて、フラーマモールの中に入っていく。


 内装も内装で、圧巻だった。


 店内には仕切りの壁があり、その仕切の中に多種多様な店が入っている。仕切りはあるものの、通路から全ての店の内部が見えるようになっている。店内の装飾もきらびやかで、マナ灯はほかでは見たことがないほど華美な燭台に鎮座していた。


「中もすごいねー」

「どこからどう見ればいいのかわからんな」

「だねー」

「よし、片っ端から見よう」

「やったー! そうこなくっちゃ!」


 二人は足早に歩き、目に映る全ての店に片っ端から入っていった。食料品店では少し上等な地酒を買い、ボアピッグの干し肉を百グラム購入。宝飾品店は見るだけだったが、ルネがキラキラとした宝石やアクセサリーに大はしゃぎし、クレイはそれを見るだけで満足した。


 そうして一階の店を見尽くし、二階に上がろうというところでルネが一旦手洗い場に行くと言って離れる。


 (よし、この隙に……)


 クレイは先程の宝飾品店に戻り、ルネが一番長い時間見ていたアクセサリーを見る。アイスセカンドという水のマナの影響を強く受けた宝石を涙のような形に加工して作った、シンプルなペンダントだ。アイスセカンドはサファイアという宝石が水のマナの影響を強く受け、変異してできる魔宝石という分類の石。


 水のマナを蓄えることができ、水魔法の適正がなくても蓄えたマナを放出して簡単な水魔法なら使えるようになるというものだった。冒険者にとっても実用的で、なおかつ見た目が鮮やかなコバルトブルーに変異しており、アクセサリーとして人気がある。


 とはいえ、魔宝石は非常に稀少であるため、これほどの小さなものでも相当な値段がつく。駆け出し冒険者には通常、手が出せるものではないため、ベテラン冒険者たちが魔宝石を身につけることが多い。


「すみません、これいくらですか?」


 クレイは女性店員に、アイスセカンドのペンダントを示して問う。


「金貨二枚です」

「買います。紙幣使えますか?」

「はい! 使えますよ!」


 財布から金貨二枚分の紙幣を取り出し、店員に預ける。店員はすぐに紙幣を金庫に仕舞い、ペンダントをショーケースから出した。


「先ほどのアルラウネのお嬢さんにプレゼントですか?」

「はい、そのつもりです」

「では、ラッピングしますね」


 ペンダントは綺麗に化粧箱にしまわれ、箱にかわいいラッピングが施されていく。手際よく薄青色の艶のある包装紙に包まれていき、黄色のリボンが巻かれた。手渡されたそのペンダントを大事に抱えて、一礼して店を出る。


「ありがとうございました!」


 店員の声を背にしながら、ラッピングされたペンダントをそっとポーチに入れて、ルネとの待ち合わせ場所である二階への階段を上がってすぐのところにあるベンチに向かった。


 ベンチで腰掛けてルネを待つも、なかなか戻ってこない。


「おかしい」


 手洗いにしては、長すぎる。てっきりルネのほうが先に待ち合わせ場所に到着して、クレイを待っているものだと彼は思っていた。それなのに、実際はクレイが数分間の待ちぼうけを食らっている。


 これまでの八年間、彼女がクレイから長く離れたことはなかった。数分間だけ離れることはあっても、買い物を済ませた後に数分間待ちぼうけするほどの時間、離れたことは一度だってない。ルネは一人でシャワーを浴びるときは一瞬で済ませるし、クレイが先に風呂に入っていると自分も入ってくる。


 それほどまでにクレイから離れようとしない彼女が、手洗いの後、一人で出歩くとは思えなかった。


 クレイは立ち上がり、ルネを探しに歩く。手洗い場の付近には、ルネはいなかった。


「あの! すみません、アルラウネ見ませんでしたか?」


 通りすがりの男女二人組に、声をかける。


「アルラウネ……? 見た?」

「見てないかな。見てたら忘れないでしょ」

「そうですか……すみません、ありがとうございます」


 クレイは居ても立ってもいられなくなり、駆け出す。通りすがる人全員に、同じ質問をして同じような答えが返ってくる。アルラウネは、それほど稀少な魔物ではない。とはいえ、人間の街にあれほどまでに溶け込んでいるアルラウネはそうそういない。それは、クレイにだってわかっていた。


 (声をかけ続ければ見つかるはず)


 その目論見は、当たっていた。


「アルラウネの子? さっきモールから出るのを見たよ」

「男と一緒だったな」

「男と……?」


 クレイの胸に暗く淀んだ靄がかかる。


「ああ、いかにも冒険者という感じだった」

「そうですか、ありがとうございます!」


 一礼して、駆ける。


 (間に合ってくれよ……)


 店を出て、あたりを見渡す。モールの近辺には、物陰と言えるようなものがない。モールの裏手も通りから丸見えだ。クレイは手近な路地を探し、駆け出す。通行人にアルラウネを見なかったと問いかけながら。


「アルラウネ……? さっき見たな」


 モールを出てから五人目に声をかけた男が、そう答えた。クレイは息を切らしながら、「どこで?」と短く問いかける。


「あっちのほうだ。歓楽街の境目あたり」

「……ありがとうございます!」


 男が示した方へ一目散に走る。


 商業地区と歓楽街の境目付近にある建物と建物の隙間という隙間を確認し、ルネの姿を探す。一つ、二つ、三つと探していくが、いなかった。


 四つ目に確認した路地裏に、彼女はいた。四人の男がルネを囲んでいる。手には武器が握られていた。男たちの足の隙間から見えたルネの花弁を彼は見逃さず、釘バットを抜いて駆ける。


 男の背後から振り抜く。メキメキという音を立て、男の体が吹き飛び、すぐ近くの壁に当たり、ドンという低い音とべちょっと湿った音を鳴らした。その瞬間、一瞬だけ何か光ったが、クレイは大して気に留めず目の前の男たちに集中する。


「な、なんだ!?」


 クレイに気づいて男たちが彼を見る。ルネもまた、正面のクレイを涙目で見ていた。彼はルネの手を引っ張り、自分のもとへと手繰り寄せ、自分の背後に隠す。男たちは血走った目でクレイを睨み、武器を構えた。


「よくも俺等の仲間を!」

「お前らこそ、よくも俺の大事な家族にそんなもん向けてくれたな……」

「家族? オイオイ魔物だろ! 女魔物なんてなあ! 人間様の慰み者になるしか価値がねえだろうが!」


 その言葉に、クレイの額に青筋が浮かぶ。今しがた発言した男めがけ、ドレインフラワーの蔓を伸ばした。男はニヤけ面を浮かべながら、器用に身を翻し、壁を蹴り、ナイフを飛ばす。飛んでくるナイフを釘バットで打ち落とすと、眼前に拳が迫る。


 鼻に強烈な痛みを感じながら、「クレくん!」と叫ぶルネの声にかろうじて意識を保つ。脳が揺さぶられたのか、男たちの顔がハッキリとは見えない。


「路地裏で戦いを挑んだのが運の尽きだぜ!」


 腹部にナイフが迫る。クレイはぼんやりとする視界でそれを捉え、ナイフを持つ男の手を左手で思い切り殴った。


「痛え! どんな力してんだこいつ……て、は?」


 ナイフを持っていた手が男の手首から離れ、吹き飛ぶ。男が言葉にならない声をあげた。膝をつき手首を持って呻く男に釘バットを突き立てる。鈍い音を立てながら、男は血の中に沈んでいった。


「一人のみならず二人までも!」

「これならどうだ! ファイアボール!」


 男の手に炎が集まっていく。


 (クソ、まずいな)


 避けようにも、この狭い路地で避けてしまっては背後にいるルネに当たる。彼女はクレイの背後で震え、路地から逃げられずにいる。炎は、アルラウネにとっては弱点だ。絶対に避けられない。かといって、草魔法では防ぐこともできない。


 放たれる前に殺すにも、その隣にいる身のこなしの軽い男が邪魔だ。


 (クソ、仕方ねえ)


 ポーチから慌ててラッピングされたプレゼントを取り出し、箱の中からペンダントを取り出す。ペンダントを握り、念じた。


 (頼む、溜まっててくれ)


 男の手から巨大な炎弾が放たれる。クレイはペンダントを握りしめながら、ペンダントからマナを体に通し、右手の釘バットに流すイメージをする。それをそのまま放出することをイメージした瞬間、激しい水流が釘バットから放たれた。


 炎弾が掻き消える。蒸気があがった。


 蒸気に紛れ、眼前の男たちの懐に入る。思い切り地面を踏みしめ、釘バットを振った。確かな手応えとともに血しぶきが舞い、蒸気が赤く染まる。断末魔をあげる暇もなく、二人は亡き者になった。


 釘バットを背中に差しなおし、血の付いた手をハンカチで拭う。涙を流すルネに近寄り、膝をついた。ルネの頭を撫でてから、ペンダントを彼女の首にかける。


「悪いな、遅くなった」

「クレくん……これ」


 ルネが涙を浮かべながら、ペンダントに手を添える。クレイは頬をかきながら、彼女に笑顔を向けた。


「本当は綺麗なラッピングと一緒に渡したかったんだけどな」


 せめて残った箱だけでもと、箱をルネの手のひらに乗せた。ルネは涙を拭って、その手のひら大の箱を抱きかかえる。


「でも、なんで?」

「ん? お前今日が何の日か忘れたのか?」

「……あ」

「誕生日おめでとう。まあ、こんな血なまぐさい場所で言うことじゃないけどさ」


 クレイが笑いながら言うと、ルネが吹き出した。


「本当だねー。でも、嬉しいよ、ありがとう」

「どういたしまして。さ、ここから出よう」

「うん!」


 クレイはルネの手を握り、路地裏を出る。幸い、賑やかな商業区と歓楽街の境目ということもあってか、騒動に気づいている人は誰もいないようだった。足早に離れ、商業区からも出る。


 ルネの手は、商業区を出るまで、震えていた。

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