喫茶ハウルと謎の少女

 ロタン北通りを南下していると、ロタンの商人ギルドが見えてきた。ロタンでも最も広い広場、ロタン中央広場にある大きな建物。冒険者ギルドよりも一回り大きいその白壁の建築物には、商人ギルドの紋章である尻尾を咥えたヘビが刻まれている。


 中央広場の中心に大きな噴水があり、そこから東西南北に水路が伸びていた。歩きにくいようにも見えるが、しっかりとした石橋が架けられており、人々が往来したり立ち止まって水路を眺めたりしている。噴水の近くにはベンチがあり、男女二人組が何組もイチャイチャとしながら座っていた。


「はー、イチャイチャしてるねー」

「景観がいいからな、デートには最適なんだろう」

「見て見てー! あそこ! カップルが等間隔に並んでるよー!」


 ルネが指したのは、中央通りの西側にある水路の近辺。水路は広場よりも少し下がった位置にあり、土手のようになっている。橋の下の土手付近に、カップルと思しき男女二人組が等間隔に並んでいた。


 クレイは彼らを見て、ため息をつく。


「ああ駄目だ駄目だ、腹がいっぱいになる」

「心には穴が空きそうだけどねー」

「ん? そうでもないよ? 他人の不幸よりは幸福のほうが、見てて満たされるだろ」


 クレイがぽつりと呟くと、ルネがプッと吹き出した。


「鬼畜冒険者がなんか言ってるー」

「鬼畜は演技だって。それにロタンじゃまだ何もしてないだろ」

「まだ?」

「……それに滅茶苦茶やって生きたほうが面白いだろ」

「まあねー」


 中央広場の噴水が目に前に見える。建物と同じような白い建材で作られた土台には、水の精霊と風の精霊が描かれていた。水の精霊は半人半魚の女性型の魔物の姿をしており、風の精霊はドラゴンの姿をしている。


「ま、それに筋のない鬼畜行為はしてないつもりだし」

「筋の通った鬼畜行為ってなんだろうー」

「ははは! たしかに」


 噴水を横切り、南に渡る。中央広場を抜けてロタン南通を歩くと、雰囲気が少しだけ変わってきた。まったりとした雰囲気から、賑やかな雰囲気に。商業区に入ったということが、クレイにもよくわかった。人々が楽しそうに談笑しながら往来し、通りの左右の脇には色とりどりの看板を掲げた店が立ち並んでいる。


 通りの中央を走る水路の脇には、露店まで並んでいた。露天商たちはクレイとルネを見るなり、「安くしとくよ!」と声をかけてくる。クレイは少し気恥ずかしくなりながら、目当ての店を探した。


「さてさて、お目当ての喫茶店はあれかな」


 商業区に入ってすぐ右手側に、ハウルと書かれた看板を掲げた店があった。周囲の白壁とは違い、ハウルは明らかに木造建築だ。木材そのままの優しい薄茶色の壁と扉が、この街では異彩を放っているように見える。


「見るからに落ち着くお店って感じだー」

「ここも女神ノエルの逸話をモチーフにしてるのかもな」

「逸話ー?」


 クレイがミナスで行きつけにしていた喫茶店も、似たような外観だ。女神ノエルは故郷の村のある行政区を追われ神戸という街に流れ着き、そこで良くしてくれたおばさんの経営していた喫茶店がお気に入りだった。故郷の村でも、幼馴染の親が経営していた喫茶店がお気に入りで、その二つの店の雰囲気が似ていたらしい。


 女神ノエルはその二つの喫茶店で羽を休めることで、仲間たちと困難に立ち向かえたという逸話。それになぞらえて、この世界の喫茶店経営者はこのような外装の店をつくりたがるし、国もそれを推奨している。


 そのようなことをクレイが説明すると、彼の相棒は腕組みをして頷いた。


「はー、どこもノエル様への信仰が厚いねー」

「そういや今年は女神降臨の年だな」

「あー、百年に一度だっけー」


 女神ノエルは異世界を渡る力を持つ。その力を使って、自分が生み出したこの世界の様子を百年に一度、十二月二十五日に見に来るのだ。その日は、ちょうど女神ノエルの誕生日。


 途方もないことだ、とクレイは感心しながら頷く。


「さ、ウンチクは程々にして飯食うか」

「さんせーい!」


 二人は吸い込まれるようにして、ハウルに入っていく。入るやいなや、「いらっしゃい」という明るい声が聞こえてきた。声の主は恰幅のいい中年らしき女性で、カウンターの向こう側でカップを洗っている。二人は手近のテーブルの前に腰掛けた。するとすぐに、水が運ばれてくる。


「はい、これメニューね」

「ありがとうございます」


 メニュー表を受け取り、ルネと一緒に眺める。対面のルネから見えやすいよう、クレイは自分とは逆向きにメニューを広げた。


「何にしよーかなー」

「朝昼兼用になりそうだし、ガッツリも悪くないな」

「んーでも私は軽食かなー」


 クレイはパラパラとページをめくり、軽食の項目を見せる。ルネは「へへへ」と笑って、ご機嫌そうに頭をゆらゆら揺らしながらメニューを眺めた。


「悪いねー」

「いいってことよ」

「決めたー! ミルクティーとボアピッグのホットサンドにするー!」

「お、うまそうだな」


 クレイはまたページを捲り、もう少しガッツリとしたメニューがないか探す。すると、定食が書かれたページがあった。ボアピッグの照り焼き定食、ヒヨドリの親子煮定食など魔物肉を使ったメニューが豊富にある。その中でも一際光を放つメニューがあった。


「すみませーん!」


 クレイが手を挙げて店員を呼びつける。すると、先程水を持ってきてくれた恰幅のいい女性が伝票とペンを持ってやってきた。


「ボアピッグのホットサンドとミルクティー、ヒヨドリのチキンカツ定食とロタンコーヒーを一つずつお願いします」

「飲み物は食後がいいかい?」

「ミルクティーは料理と一緒に、コーヒーは食後で」

「かしこまり! ちょっと待っててね」


 人のよさそうな女性が奥に引っ込み、厨房に注文を伝える。ルネが目を細めてにこやかにクレイを見ているのが、視界の端に映った。


「どうした?」

「んー? 二人でご飯食べるの久々だなと思って」

「ああー、最近あいつらと一緒に食うこと多かったしな」

「みんな一緒も好きだけどねー」


 だから今日はやけに上機嫌なのか――クレイは頷いた。


「今日は自由行動だしな。あいつらもやりたいことあるだろ」

「風俗とギャンブルじゃないかなー……」

「違いない」


 先日、飲みの最中に二人に小遣いを渡していた。ルビーが想像以上に高値で売れたため、普段の仕事の取り分よりも金額が多かった。クレイは二人の満面の笑みを思い返し、笑う。


「情報収集できそうかなー? あの二人」

「風俗の女の子は情報通が多いらしいし、カジノも人が集まる場所だ。心配要らんだろ」

「二人が忘れてさえなければねー」

「大丈夫だろ、そのへんはしっかりしてる」


 二人は、頭は決してよくない。フリントは乱暴なところがあるし三十秒以上物事を考えられないが、仕事はしっかりとこなす。マイカも性と金にだらしないところがあるが、約束だけは破らない。ここ一ヶ月で、クレイは二人をそのように評価していた。


 それからしばらく談笑していると、ルネの食事と料理が運ばれてきた。


「わーい! ありがとうございまーす!」

「ふふふ。礼儀正しい子だねえ。たんとお食べよ」

「はい!」


 ルネの態度に気をよくしたのか、カウンターに戻っていく店員の足取りがさっきよりも軽いように見える。ルネは料理を前にして、クレイの顔をチラチラと見ていた。


「別に待たなくていいんだぞ」

「そー? じゃあ遠慮なくー!」

「おう、食べな食べな」


 ルネが「いただきまーす!」と手を合わせて、ホットサンドにかぶりつく。サクッとしたいい音がクレイの耳に届いた。ルネは一口かじって飲み込むと、目を大きく開く。その目がキラキラと輝いているように、クレイには見えた。


「おいしい!」

「そうみたいだな」


 ホットサンドを笑顔で頬張るルネを見て、クレイは微笑む。そうこうしていると、クレイの料理も運ばれてきた。店員に礼を言って、手を合わせて料理に手を付ける。サクッとした衣の歯ごたえの中に、ヒヨドリの柔らかく淡白な肉が包まれていて、二つの食感が楽しい。


 チキンカツというのは女神ノエルが好きな料理だったと、クレイは冒険譚で読んだことがあったが、食べるのは初めてだった。揚げ物は、ヒヨドリの柔らかい肉質によく合う調理法だ。衣をつけて揚げることにより、ヒヨドリの柔らかさがかえって強調される。


 カツにかかっているソースは、さっぱりとした酸味があり、揚げ物の油っこさを中和してくれるようだった。


 二人は料理をあっという間に平らげ、息をついた。食べ終わってすぐに、コーヒーが運ばれてくる。


「うまかったなあ」

「宿屋の女将さんに感謝だねー」

「本当にそれな」


 ロタンコーヒーも、芳醇な香りの奥に仄かな酸味があり、食後にちょうどいい味と風味だった。口中がさっぱりとして、口の中にわずかに残るカツの脂が流されていくような心地よさを感じる。


「さて、次はどうするか」

「クレくんは行きたいとこあるのー?」

「んー、強いて言うなら武器屋かな」

「武器屋ー?」


 クレイは腰のベルトから、いつもの小さい杖を引き抜き、テーブルの上に置く。杖には細かいキズが入っていて、ボロボロだった。


「おー、なんか歴戦のって感じになったねー」

「殴るための武器じゃないからな」


 この杖は小さい。太さはそれなりにあるが、殴るのに向いているリーチではなかった。そもそも杖というのは、体内や空気中・地中などにあるマナを効率よく魔法として放出するための装置に過ぎない。魔法は手で放つこともできるが、杖を使うほうが早く、そして効果的に放つことができる。


 そんな杖を殴打に使うのは、クレイくらいのものだった。


「それに、師匠から貰ったものだし壊したら……なあ?」

「……殺されるかもねー」

「そうそう、だから殴るための武器を見繕いたい」

「だけどその杖はどうするのー? 持ち歩きたいでしょ」

「お守りにでもするよ」


 小キズがたくさん付いた杖の表面を、サラリと撫でる。学校で居場所をなくしつつあった子供の頃、親のいないクレイの世話をしてくれたお姉さん。クレイは彼女のことを師匠と呼んで慕い、師匠もクレイに多くのことを教えた。この杖は、彼女が旅立つときにクレイに手渡したものだ。


 (持ち歩かないと殺す、壊しても殺すだもんな)


 師匠の言動を思い返して笑いそうになるのをこらえていると、突然大きな音がした。何かが割れたような甲高い音だ。


「てめえ! なにしやがんだ!」


 店の奥のほうから、怒号が聞こえる。見ると、奥のテーブルに座っている強面の男性二人組の足元にガラスの破片が散らばっていた。その破片のすぐそばには、小柄な金髪の少女が立っている。彼女は大きな杖を両手に持ち、頭を下げた。


「ごめんなさい! 杖が当たるっち思っとらんで!」

「揉め事みたいだねー」

「だな」


 頭を下げる彼女に、強面の男たちは顔を赤くしている。


「ごめんで済むか! 見ろよ! 服が汚れちまってんだろ!」

「弁償するけん!」

「おいコラてめえ! 弁償で済むかよ!」

「どげんしたらよかと……?」

「決まってんだろ、なあ?」


 思わず、クレイの口からため息が漏れる。彼女をジロジロと見ている男たちの目線に、覚えがあった。ミナスにいるとたまにルネに悪さをしようと近づいてくる男がいたが、彼らの目線はそのときの輩と同じように見える。露出している彼女の太もも付近に、彼らの視線が注がれていた。


 (どいつもこいつも、同じような目しやがって)


「しゃあない、行ってくるわ」

「私も行くよー」


 二人が立ち上がり、揉めている三人に近づく。


「おい、そこらへんにしといてやれよ」


 クレイが声をかけると、男たちの視線が突き刺さった。


 だが、一瞬で視線がルネの胸元に移るのがわかる。服を着ているとはいえ、ルネの露出度は高い。彼女は服を着はするが、露出度の高い服装を好む。アルラウネとしての本能なのか、肌を日光に晒したいようだった。


 だから、男たちの視線を集めてしまう。何度も感じてきた男たちの視線の移り変わりに、クレイは拳を強く握る。


 (気に入らん)


「なんだ? そこの女が代わってくれるってか?」

「俺らはそいつでも構わねえぜ!」

「なわけねえだろ、頭沸いてんのか」

「んだとゴラ!」


 座っていた男たちがテーブルを強く叩いて、立ち上がる。二人とも背が高く、クレイは見下される形になった。グラスを割ったらしい少女が、サッとクレイの影に隠れる。


「なあいいだろ、弁償してくれるんだからそれで勘弁してやれよ」

「うるせえ! 勘弁するわけねえだろクソが!」

「おい兄貴、こんな男無視してこの魔物やっちまおうぜ」


 うるせえと叫ぶ男の弟分らしい額に傷のある男が、ルネの腕を掴む。ルネが「きゃっと」小さい声をあげた。その声に、クレイは腹の奥底が煮えるような感覚を覚えた。自然と、握られた拳に青筋が浮かぶ。


「おい」

「へっへっへ……表行こうぜ?」

「無視すんなよ」


 クレイを無視してルネの腕を引っ張り、歩き出そうとする男の腕をクレイが掴む。


「んだよ、ちび坊主」


 振り向いた弟分らしき男にドレインフラワーの蔓が伸びる。一瞬で掴まり、蔓がマナを吸い成長し、茨になった。自由になったルネがクレイの背中に隠れていく。


「なっ……! てめえよくも!」


 兄貴分らしき上裸の男が、クレイに殴りかかる。頬に強烈な痛みを感じながら、ドレインフラワーの蔓を伸ばした。藻掻いているが、すぐにぐったりと力なく腕を垂らす。蔓が茨になり、マナを十分に吸収したことを示していた。


「そこで干からびてろクズが」


 白目を剥き、顔を引きつらせながら、男たちは動かなくなる。あっという間に、彼らは萎んでいった。クレイは茨を消して、カウンターに向けて頭を下げる。


「すんません、騒がせてしまって」


 カウンターから女性が出てきて、二人の亡骸を見つめてため息をついたあと、彼女はクレイに向き直る。


「悪いのはこいつらさ。間に入ってやれなくて悪かったね」


 女性が大きな杖を持った少女に頭を下げる。


「ここの店主のハルというもんさ。嬢ちゃん、今日のお代はいいよ」


 ハルという店員がもう一度頭を下げてから、カウンターに引っ込んでいく。箒とちりとりを持って戻ってきた。ガラスの破片を掃除している。


 少女はクレイに向き直り、頭を下げた。


「助かったばい! ありがとう!」

「ん? いや別にいいよ。気に入らなかっただけだ」

「そーそー、素直に弁償だけされてたらよかったのにねー」


 ルネが言うと、少女が笑う。それからローブのポケットに手を突っ込んで、何か金色に光るものを取り出し、クレイの手を取った。クレイの手に、金色の鍵のようなものが渡される。クレイはそれをまじまじと見つめた。


「これは?」

「お礼くさ! お兄さん強くなりたかやろ? これはそんための鍵ばい!」

「なんでそんなこと――」

「こん鍵ば使うとやったら、ナーランプの精霊迷宮に行ったらよかよ!」


 彼女はクレイの質問に答えず、それだけ言って踵を返す。


「待て、お前名前は?」

「ん? ダリアったい!」

「ダリア……覚えとくよ、ありがとう」

「また会えたらよかね! ばいばーい!」


 ダリアは手を振って、店の外へと小走りで出ていった。クレイは手に握られた鍵をポーチに入れて、席に戻る。


 (変な子だったな……)


 なにか腑に落ちない気持ちを抱えながら、少し冷えてしまったコーヒーを啜る。ルネが残ったミルクティーの入ったカップを持ち上げ、クレイを見ていた。


「ん、どうした?」

「いやー、ありがとうねー」

「いつものことだろ」

「あはは、たしかに」


 二人して飲み物を飲み干し、クレイは代金である銀貨一枚と銅貨二十枚分の紙幣ををテーブルの上に置く。ハルが駆け寄ってきてお代は要らないと言ってきたが、クレイは頑として譲らなかった。根負けしたハルが代金を回収し、カウンターに引っ込んでいく。


「よし、じゃあまず武器屋を探すか」

「わかったー!」


 そうして二人は、喫茶ハウルを後にした。

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