“The life is beautiful” to you④

 季節が変わり、数度の席替えを繰り返し。小夜子と話すことはまずなかった。あたしが援助交際をしているのではないかという噂は広がっていて。直接本当かどうか聞かれることもあったけれど、「噂はいい気はしないけど、家が厳しいからそれはないかな」と言って笑っていればみんな納得した。


 脳内にセックスの文字しかない猿みたいな男子の瞳は、べたべたとしていて気持ち悪かった。お前らみたいな人たちとはあたしとは寝ることなんてできないのよ。だって、貴方たちの身体は少しも、汚れていないのだから。


 そういうこともあってか、確信を持ってあたしを責めるような人はいなかった。陰口を聞いたことはあるにしても、だ。それは否が応でも覚えた化粧のせいもあるだろう。父親に美しくなるようにと脅され、怯えながら化粧の練習をさせられた。仮面のように塗りたくられる化粧品たちが、本当のあたしを覆い隠すようで怖かった。だから、高校生になった今でも化粧は男と寝るとき以外は最小限にとどめている。


 だが、そんな化粧のおかげで、周りはあたしという確証を得ることができなかった。あたしによく似た人が深夜の池袋にいることは噂されていたけれど、自分が深夜に出歩いていることを先生がいる前では公には出来ない。だから、先生たちから尋ねられたことはない。校則が、先生が厳しい学校で良かったと思う。


 そんなある日のことだ。その日は少しだけ冬の気配を感じられる深夜の晩秋だった。いつものようにあたしを買ってくれた男と池袋の西口を歩いていると見知った顔を見つけた。いや、見つけてしまったと言うほうがこの場合は正しいかもしれない。


 顔見知りといっても、すぐには名前が出てこないような、そんな子だった。それでも、目を合わせることだけは流石に避けようと、ふっと視線を目をそらしたが、遅かった。その子はあたしとばっちり目が合うと、朗らかな笑みを浮かべた。


「あっ大川おおかわさん」


 その、のんびりとした声を聞いた瞬間。思考がとある人物に辿り点く。


「い、飯田さん……」


 気が付けば声を絞り出していた。


「あれ? もしかして知り合い?」


 男がにやにやとした笑みを浮かべて尋ねる。あたしはとっさに知らないと叫びたくなったが、向こうはあたしの存在に確信したようで、てくてくと近づいて来てしまう。どうやら塾か何かの帰りのようで、彼女はまだ制服姿だった。


「やっぱり大川さんだー。学校と化粧が違うから一瞬分からなかったよー」


 男が何かを言う前にあたしは小夜子の手を取って走り出していた。後ろで何か男が喚いていたが知ったこっちゃない。確かに、期待を裏切ってしまったのは悪いと思うが、まだお金も貰っていないのだからとやかく言わないで欲しい。


 その日履いていた靴がヒールじゃなくてよかったと走りながら思った。人もまばらになった池袋駅のコンコースを走り抜け、先程とは反対の東口に出る。東口は北口と違い、飲み屋や二十四時間営業のファストフード店が数多く展開していることもあってか、キャバクラやネカフェ、ホテルが目立って見えない分健康的に感じられた。


「ど、どうしたの大川さん……?」


 信号を大急ぎで渡り、フクロウの顔を模した警察署の近くで立ち止まる。流石に警察の前までは追ってこないだろう。あたしと小夜子は両手を膝について息を整える。何も聞かされずに突然こんな事になったのだから怒ってもいいはずなのだが、彼女の声には怒気は含まれていなかった。


「内緒にしてて!」


 あたしは両手を合わせて息も絶え絶えに懇願する。自分の思っていた以上に声が出ていたようだが、今はそんなことは気にしていられない。ただ、言わないで欲しい。誰に? それは分からない。ただ、不思議とそれしか考えていなかった。


「えーっと……」


 ゆっくりと顔を上げると、小夜子が困った顔で立っていた。あたしと違いもう息は切れていないようで、落ち着いた様子でこちらを見ていた。そう言えば、彼女はソフトボール部に入っていると聞いたことがあった。あののんびりとした様子からは想像出来ないな、などと考えていたが、どうやら今の状況を見るとそれは本当のことらしい。


「とりあえず、マック行く? ここじゃその格好は流石に目立つと思うから……」


 小夜子が指さしたビルには小さなマックが併設されており、あたしもクラスの人たちと共に何度か利用したことがあった。


「えっ……あぁ、うん……」


 自分の格好をもう暗くなったショーウィンドーに映すと、思わず吹き出してしまった。必死に走ったからだろう。男に買って貰うためにと綺麗に整えていたはずの髪は乱れ、ホラー映画の貞子のようだに見えた。はっきりは見えないが、化粧も汗で少し崩れてしまっているようだ。小夜子の些細な気遣いが嬉しくて、「ありがとう」と思わず呟いた。

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