高見琴乃

 高見から電話がかかってきたのは、ちょうど坂下と別れた直後のことだった。

 俺の連絡先は根津から聞いたらしい。



『今から会える?』


「もちろん」


『じゃあ私に会いに来て』



 そうして呼び出されたのは駅前の喫茶店だった。



「似合ってるわよ。いつもよりかっこよく見える」



 俺が着くと店内にいた高見は笑った。

 人の包帯姿を見て笑えるのは性格の悪さが極まっていていっそ清々しい。



「元気そうで安心したわ」


「おかげさまで」



 高見はウインナーコーヒーを頼み、俺はホットコーヒーを注文する。



「その様子だと、ちゃんと覚えているみたいね。頭を殴られたショックで記憶喪失になってなくて良かったわね」



 足を組んでいる高見の靴には見覚えがある。

 それは昨日の深夜、意識を失う直前に見たのと同じ靴だ。



「まさか、救急車まで呼んでくれるとは思ってなかったよ」


「だって本当に死んでしまったら困るもの。それくらいはするわ」



 さいわい記憶はしっかりとしている。


 昨日の深夜、学校で俺を鈍器で殴ったのはここにいる高見琴乃だ。

 もっとも、それは以前俺から彼女に頼んだことなのだけど。



「そろそろ教えてくれないかしら。あれにはいったいどんな意味があったの?」


「そうだなぁ」



 俺があの日、あの場所で高見に殴られねばならなかった理由。


 それをきちんと説明するためにはタイムマシンや、俺が経験してきた時間の往復旅行について一から順に語らなくてはならない。

 それはさすがに面倒だ。



「俺と高見が死なないためには必要な工程だったんだよ」



 そんな曖昧な言葉でごまかすことにした。



「なにそれ」



 案の定、高見は不満げだ。


 いつかきちんと順序立てて説明する日が来るかもしれないが、少なくとも今ではない。

 話したところで信用しないだろう。


 だから俺はやや強引に話題を変えることにする。



「久しぶりの学校はどうだったんだ?」


「行ってないわ」


「どうして? ケガの具合はもういいんだろ?」



 そうでなければ俺を昏倒させられるわけがない。



「面倒だからもう行かないことにしたのよ。どうせすぐに高校受験で、卒業だわ」


「簡単に決めていいのか?」


「しばらくはモデル業のほうに集中するの。そっちもまぁ、以前のようにはいかないでしょうけどね」



 高見は自分の脇腹を手で押さえる。

 その姿勢は、俺に事件の日のことを思い出させる。


 高見を刺したこと、

 坂下と逃げたこと、

 そして死にかけたこと。


 それらの小規模な大事件は誰にも知られることなく、俺たちの中だけで完結した。今後も外に漏れることはないのだろう。



「気にしているだろうから言っておくけれど、いじめ、みたいなことはもうやめるわ」



 やや投げやりな口調で高見は言った。



「意外だな。どういう心境の変化なんだ?」


「人を殴った感触って、想像してたよりずっと気色悪いものだったのよ。だからもう誰かをいたぶってるのを見ても、ストレス発散にはなりそうもないの。これもあなたの企み?」


「そこまで考えてはなかったよ」



 しかし、高見らしい理由だ。

 改心したわけではないのが、実に彼女らしい。



「そっちはどう? 私を刺したご感想は?」


「嫌な質問だな」


「刺された身としては聞いておきたいじゃない。ほら、結構な痕が残ったのよ」



 高見は立ち上がり、俺の方に近づいてくる。



「見せなくていいって」


「なら触って」


「そっちのほうが難易度が上がってるぞ」


「それくらいはしてくれてもバチは当たらないと思うけれど」



 どうやら高見は俺の罪を自覚させたいらしい。


 仕方なく俺は左手を差し出す。

 高見はそれを掴むと自分の服の中へと入れた。


 高見の体温は高く、手首から先が急にあたためられる。



「ほらここ」



 高見の言うとおり、なめらかな肌に歪な起伏が生まれているのがわかった。



「どう?」


「困ってるよ」



 故意にやったことではない。

 決して褒められた行為でもない。


 でも今となっては必要だったようにも思える。



「そうね、私も似たようなもの。あなたにどんなことを言えばいいのか、迷ってる」



 高見は自由な方の手で俺の頭にまかれた包帯に触れる。

 俺たちは同時に互いの傷に触れ合うという奇妙な体勢になっていた。



「謝ってほしくないし、私も謝らない。それでいい?」


「ああ、俺はそれでいいよ」



 以前聞いた高見の哲学に則るなら、刺したことと殴られたことでトレードオフだ。



「私を刺したことについては、おかげで退屈しなかったから許してあげる。だから私があなたを殴ったことは、私の柔肌をさわらせてあげたことでトレードオフにして」


「待て、そんな取引は嫌だ」


「刺殺未遂と撲殺未遂の交換よりも、こっちのほうが色気があっていいと思わない?」


「こんなやりとりに色気はいらない」


「とにかくこれで痛み分けにしましょう。坂下さんにもそれで納得するように伝えておいて」


「坂下はもう、高見たちのことなんか眼中にないよ」



 逃避行の間からすでにそうだったのかもしれない。



「実はね、ずっとあの子のそういうところがが気に入らなかったの」



 高見は珍しく俺から目をそらして、窓の外を見つめていた。

 ただ、俺の手からは傷痕を通して高見の体温だけが伝わってくる。



「私は美人よ。学校どころか市内で一番と言っても過言ではないわ」


「言い切ってくれるぜ」


「でも眉も髪も整えず、爪も無造作に伸ばしたまま、メイクも覚えなければきっと校内で一番綺麗程度に落ち着いていたと思うの」


「謙虚なのかどうか判断に困るよ」



 しかし言いたいことはわかる。



「綺麗になって、それを維持するためには努力が必要だわ。それを怠っておきながら、人をいかにも見た目ばかりで頭の軽い女みたいな目で見下すような、そういう子が嫌いだった」


「坂下がそうだったとでも言うのか?」


「さぁ、どうでしょうね」



 自分がやってきた努力を怠る人間が許せない。

 その感情は理解できる。


 だからといって、高見のやったことが肯定されるわけではない。


 高見もまた、そんなつもりはサラサラないはずだ。

 今話したのだって、いつもの気まぐれなのだろう。



「さて、私もこれからについて考えないといけないわね。どうしようかしら。今までのストレス発散が使えないんだから、新しく面白いことを見つけないと」



 高見は大人っぽい見た目とは対照的に性格は無邪気で、だからこそ誰よりも残酷なのかもしれない。



「そうね、そろそろ男女交際に熱を上げるのもいいかもしれないわ。平尾くん、私をキズモノにした責任を取ってくれる?」


「それは勘弁しろ」


「なにが不満なのかしら。私、あなたの周りにいるどの女よりも綺麗なつもりだけど」


「その性格だよ」


「あら、人を中身だけで判断するのは良くないわよ」


「普通は見た目だけで判断するなって言うんじゃないか、それ。第一、恋愛は退屈しのぎにならないみたいなことを言ってただろう」


「あんなことがあれば考えも変わるわ。それにキスも意外と悪くないってわかったし。一応確認しておくけれど、あれが平尾くんのファーストキスよね?」


「どうだろうな」


「はっきりして」


「なんでだよ」



 そういえば根津もやたら話題にしたがっていた。

 俺もまったく関心がないとは言わないが、こう何度も言及したい話題でもない。



「ねぇ、ところで平尾くんはもう志望校を決めたの? 良かったら教えてくれない?」


「良からぬことを考えてないよな」


「私なりに、退屈からもっとも遠ざかる方法を模索しているつもりよ」



 微笑む高見を見て、人の性格とは死にかけても治らないものなんだな、と思った。


 その点については、俺も人のことを言えないのだけど。

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