11/19---11/27

 今日ばかりは塾で学んだ内容を一つも覚えていなくたって許されるはずだ。

 いや、誰が許してくれなくても俺が自分自身を許そう。



「こっちはうまくいったぞ」



 いつものコンビニへたどり着くなり、俺は根津を捕まえて報告する。

 気分が高揚しているせいか空腹は感じなかった。



「良かったね」



 ダボダボのスウェット姿の根津は、俺の興奮などどこ吹く風といった落ち着いた態度だ。



「こっちも高見さんと出かける約束を取り付けたよ」


「おぉ、すごいな。さすがに難しいと思ってたよ」



 根津は何度か表立って高見のいじめを糾弾している。

 いわば敵対関係だ。


 そんな根津から遊びに行こうと誘われたところで、高見が素直にうなずくとは思っていなかった。



「実は綺麗な高見さんに嫉妬していて突っかかってたの、あたしももっとオシャレで綺麗になりたいからその方法を教えて……って頭を下げたらあっさり交渉成立したよ」


「演劇部で主役を張れる演技力だな」


「ああいう人には自尊心を刺激するのが一番かと思って」



 意外と計算高いところがあるようだ。

 今までのイメージになくて驚かされる。


 けれど考えてみれば誰だって性格は一面的ではない。


 坂下が今と逃避行中で性格が異なるのも、事件によって変化したというよりかは隠れていた別の一面が目立つようになっただけなのだろう。


 自覚はないが多分俺もそのはずだ。



「よし、じゃあタイムマシンで仕上げと洒落込もう」


「あたしはそれでいいけれど、平尾は晩ごはんを食べてからでなくていいの?」


「それは時間旅行から帰ってきてから気分良く食べる」



 ゴールは目前なのだ。

 それならゴールテープを切ってしまってから冷やし中華を食べるほうがいいに決まっている。


 根津を急かして彼女の部屋へとお邪魔する。

 何度も入り浸っているとこの殺風景な部屋にも愛着のようなものがわいてくるものだ。


 だがこの部屋に来るのも今日で最後になるだろう。


 この長い騒動があと少しで終わると思うと、居ても立ってもいられない。



「じゃあ、えーっと、いつに送ればいいんだっけ?」


「二十七日、事件当日だ。夕方、いや夜くらいでいい。八時か、九時くらいだ」



 映画に行ったのであれば、地元に帰ってくるのはそれくらいの時間になるだろう。


 その日すべてを体験する必要はない。


 映画が済んで、坂下を自宅へ送り届けるところさえ確認できれば事件は発生しなかったことになるはずだ。



「わかった。じゃあ、いってらっしゃい。頑張ってね」



 根津の言葉と共に放たれた光が、俺を最後の時間旅行へと誘う。



***



 たどり着いたのは予定通り、二十七日だった。

 金曜日、時刻は午後九時過ぎ。


 携帯電話で日付と時間を確認した後、周囲を見回す。


 俺は屋外にいた。

 服装は制服だ。


 どこかで夕食を取った後なのか、心地よい満腹感がある。


 立っているのは学校と自宅のちょうど中間地点あたりだ。

 近くには公園と宅配ピザ屋があり、横断歩道を挟んだ向こう側にはコンビニもある。


 といってもこの時間の公園に人の姿はなく、道も閑散としている。

 日中はあまり感じないが、この人気のなさを見るとこの町も田舎だなと思う。



「今日は、その、楽しかった」



 隣からそんな声が聞こえて俺は安心した。

 言葉そのものではない。


 俺の目の届く範囲に坂下翔子がいるという事実が重要だ。


 夏場であればこの時間帯にウロウロしていることを大人に見咎められやすいが、今の季節は分厚い上着のおかげで一目で制服だとはわからない。

 だからこの時間でも問題なく出歩いていられるのだろう。



「それなら良かったよ」


「え、えへへ……」



 坂下がはにかむ姿を見ると未来の俺はよほどうまくエスコートしたらしい。


 こうして楽しそうにしている様子を見るかぎり、とてもこれから人を殺しそうではない。


 この分ならそろそろ帰路についても問題ないだろう。

 というか、おそらく今は根津を自宅へ送っている道中のはずだ。



「あ、ちょっとだけコンビニに寄っても、いい?」


「ああ、そうしようか」


「じゃあ、あの、公園で待ってて……」



 坂下はどうやら一人であのコンビニに立ち寄りたいらしい。

 ちなみにあそこは根津の祖父母が経営しているのとは別の店だ。


 コンビニくらい付き合ってもいいのだが、敏感な俺は坂下の用件を察する。


 もしも彼女がコンビニでトイレを借りるつもりであれば、俺についてこられるのは迷惑だろう。


 さすが俺。

 洞察力が高い。



「わかった。急がなくていいから」


「あ、ありがとう。じゃあ行ってくるね……」



 歩行者用の信号が青に変わると同時に坂下は慌ただしく横断歩道を渡っていった。

 何度か振り返りつつ、そのまま明るい店内へと入っていく。


 俺は街灯が一本だけという寂しい明るさの中、誰もいない公園のベンチに腰を下ろして坂下を待つ。


 どうやら根津の作戦はうまくいったようだ。

 坂下による殺人事件の発生は防げたと考えていいだろう。


 事態は良い方向に進んでいる。


 そのはずなのに、一人で暗闇の中にいると不安が足元から這い上がってくる。


 この方法は本当に正しいのだろうか。


 俺はなにか決定的な間違いを犯してしまっているのではないか。



 そもそも殺人を止めるなんてことが可能なのか。



 人の殺意を失くす方法なんて存在するのか。



 仮にこの場で坂下の犯行を止めたところで、またなにかのきっかけを得れば坂下の殺意は爆発する。

 事件が起こる時と場所が変わるだけだ。


 理想を言えば原因を根本から失くすべきだ。


 だが、高見たちによるいじめを止める方法は思いつかない。


 人間が他人の行動や思考を変える方法なんてあるのだろうか。


 現状で俺に思いつくのはたった一つ、殺人だけだ。

 そして坂下も同じ結論に至ったからこそ、犯行に及んだのだろう。


 悪い方向へ傾く思考をなんとかして食い止める。


 事がうまく運んでも、そうじゃなくても思い悩むのは小心者の悪い癖だ。

 今はこの状況を素直に良いものとして受け入れればいい。


 それに殺人事件が発生するというタイムリミットがないのであれば、他にも方法はある。


 根津に任せておくのではなく、俺もなにか行動を起こせばいい。


 根本的な解決は望めなくても、坂下のことをいくらか助けることはできるはずだ。


 それで満足することは、きっと難しくない。


 そのとき、街灯によって伸びた影が俺のもとへと近づいてくる。


 坂下が戻ってきたのだろう。

 思考にのめり込むあまりうつむいていた俺は、その影の存在に顔をあげた。


 だが近づいてきた人物を見たとき、俺は一瞬息が止まってしまう。



「デートは楽しかったかしら?」



 高見琴乃は、まるで当たり前のように歩み寄ってくると俺の隣に腰掛けた。

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