11/18---11/29

 宣言通り、放課後になるとすぐ俺は家に帰った。


 なので坂下とは球技大会のとき以来、まともな会話はしていない。

 元々頻繁に話をするような仲ではないので、気にするようなことでもないけれど。


 帰宅後、普段はしない昼寝をして未来への不安をごまかす。


 不安があるとき、眠れなくなる人と、反対に眠ってごまかす人がいると思うが俺は後者だ。

 俺にとって、睡眠が一番の現実逃避だ。


 そうして夕方に目を覚まし、着替えて塾に行った後、いつものようにコンビニへ立ち寄る。



「平尾、なんか今日変だよ」


「どこが?」


「冷やし中華の食べ方。いつもは慎重に具を並べてるのに今日は全部混ぜてる」


「たまには時間を重視して、早く食べられる方法を選ぶ日もある」



 そのままぞんっと一気に冷やし中華をかきこむ。

 愛のない食べ方をしてしまったが、この後のことを考えると、できるだけ時間を短縮していきたい。



「よし、食べ終わった。根津の部屋に行こう」


「やる気なのはいいことだけど、ちょっと心配」


「俺のどこが心配だって言うんだよ」


「そう言われると、うまくは言えないけど」



 うーん、と唸る根津とともに二階にある彼女の部屋へと上がる。


 相変わらず根津にはまだ月末に起こる出来事を話していない。


 話したところで根津にはあまり関係のないことだ。

 ……というのが建前で、心のどこかでまだ疑っているというのが本音だ。


 現状、月末に俺を殺すことができる関係者は根津だけなのは間違いない。

 動機はさっぱりわからないし、性格的にもほぼありえないけど、未来のことは誰にもわからないだろう。


 本気で疑っているわけではにけれど、多少は警戒してしまう。

 いわゆる半信半疑。


 どちらにせよ、事件の発生を防げば問題ないはずだ。



「それで、いつに送ればいいの?」



 腑に落ちない様子ではあるが、根津は懐中電灯型タイムマシンを準備してくれる。


 根津の目的と俺の目的が奇跡的な一致を果たした後、初めてのタイムスリップだ。

 俺としても気合が入る。



「十一月二十九日の日中がいい。さっと行って必要な情報を聞きだしたらすぐに戻ってくる」



 できればすべての用事を今日のうちに終わらせて、枕を高くして眠りたいものだ。


 そのためにやらなくてはならないことは大きく分けて二つ。


 まず二十九日へタイムスリップして、未来の坂下翔子から事件が発生する時間と場所を聞き出すこと。


 おそらくは二十七日の夜だというところまではわかっているが、場所は依然として不明なままだ。


 次に、事件発生直前にタイムスリップして坂下の犯行を防ぐ。


 この方法ではいじめの問題も、坂下の境遇も、高見の慢心も、なにひとつ解決しない。

 だが少なくとも殺人事件は発生しない。


 そのことには客観的に見ても大きな意味があるはずだ。


 個人的には自分が殺されずに済む、という点がもっとも大きな意味をもつ。



「わかった。じゃあ行くよ」



 そして懐中電灯が光った。



 ***



 目を開けると、ざるそばがあった。

 横には天ぷらも添えられている。


 いわゆる天ざる、結構お高い料理だと気づくと共に、耳の中に店内の喧騒が流れ込んできた。


 俺はまず周囲を見回す。

 どうやら外食中らしい。


 十一月末にざるそば、というのはいかにも俺好みの選択だ。



「夏じゃなくてもおそばっておいしいんだね」



 対面に座った坂下がつるつるとそばをすする。


 口ぶりから察するに、やはり俺の要望でこの店を選んだのだろう。

 壁にかけられた時計は十一時半頃を指しているから、きっと昼食だ。


 体感としてつい十分ほど前に冷やし中華を食べたような気がするが、未来の身体は空腹を訴えてきている。

 そのせいもあってか、そばはおいしい。


 そばに舌鼓を打つことに八割がた集中しながら、残った二割で現状把握につとめる。


 今回もタイムスリップには成功したようだ。

 予定通り二十九日の日中へたどり着くことができている。


 この時間ではまだ逃亡生活は続いているらしい。


 これがどこにあるお店なのかはわからないが、さほど重要でもないだろう。

 いや、そばがおいしいからできればもう一度くらいは食べに来たい。


 いつかもう一度ここのそばを食べるためにも、まずは自分の死を回避する必要がある。



「あのさ」


「んー?」



 坂下は朗らかな表情で首をかしげる。

 その顔は、つい先日鼻血を出していたときの姿とは似ても似つかない。


 どちらが良いのかなんてわざわざ言葉にするまでもないだろう。


 同一人物のはずなのに、なぜか今のほうが綺麗に見えるくらいだ。

 精神的なものはそれくらい外見にも影響を与えているのだろう。


 そんな坂下を見ていると、喉元まで出かかった質問を口にすることができない。


 食事がおいしいのは良いことだ。

 それを幸せに感じられることは、もっと良いことだ。


 だから、それを台無しにするような質問はできなかった。



「俺のかぼちゃの天ぷらとそっちの大葉の天ぷら、交換してくれない?」



 とはいえ、ここまで間抜けな提案でごまかすことはなかったのかもしれない。

 坂下はきょとんとしていたが、すぐにまた笑顔に戻る。



「うん、いいよ」


「ありがとう。助かるよ」



 すっかり打ち解けた様子の坂下と天ぷらを交換する。

 俺はいったいなにをやっているんだろう。



「ねぇ、平尾くん。放課後の教室で、初めて会った日のことを覚えてる?」


「覚えてるよ。忘れるほど昔のことでもない」



 タイムスリップを始めてから日付には敏感になっている。


 それまでは最低限曜日さえ把握していれば毎日を過ごすのに不足はしなかった。

 だが今はそうも言っていられない。


 少なくとも今月は何日に、どんなことが起きたのかを詳細に把握しておかなければならない。


 坂下と初めて放課後の教室で遭遇したのは、十一日だ。

 あの頃はまだタイムマシンの存在も知らず、未来に起こる事件の存在にも気づいていなかった。



「私、本当はあの日に高見さんを刺すつもりだったんだ」



 世間話をするような調子で、坂下はそう打ち明けた。


 坂下が自ら率先してそんなことを打ち明ける理由はない。

 だからきっと、さっき俺がなにか深刻なことを尋ねようとしたのを敏感に察したのだろう。


 俺はいったいどこまで迂闊なのか。

 我ながら悲しくなってくる。



「あの人には放課後の教室に来てもらうようお願いしてたの。でも私との約束なんて守ってくれるはずもなくって……でももしかしたらと思ったら帰ることもできなくて、そのときに足音が近づいてきたからすごく緊張した」


「それで入ったきたのが俺だったのか」


「うん。人生で一番ドキドキしているときに、予想外のことがまた起こったから、心臓が破れちゃうかと思ったよ」



 迂闊な俺は坂下がリストカットを目論んでいたのだと誤解した。


 だが坂下はあの時点である程度、殺人に対する覚悟を固めていたらしい。

 そこに俺が水を差すことによって順延になったのだろう。



「だからね、平尾くんには感謝してるの。これまでも、今も、ずっと私によくしてくれているから」


「買いかぶりすぎだよ。俺はただ行き当たりばったりなだけだ」


「ううん。私を助けようと意気込むんじゃなくて、自然に接してくれたから。だから私は救われたんだよ。あなたが居てくれるから、毎日安心して眠れるようになったの」



 だから、と坂下は続ける。



「なにか力になれることがあるなら遠慮しないで言ってほしい。私は、平尾くんの言うことなら、どんなことでもきいてあげたいから」



 坂下が秘密を打ち明けたのは、さっき俺がそばと一緒に飲み込んだ質問をもう一度口にする機会を作るためだったようだ。


 大きな気遣いを感じさせる態度に俺は考える。


 これは厚意なのだろうか、それとも恩義なのだろうか。


 どちらにせよ、状況は俺にとって都合の良いものとなりつつある。



「どんなことでもいいのか?」


「う、うん……」



 俺の確認に、坂下は若干の緊張をにじませつつうなずいた。


 ここから俺が取るべき行動は一つだ。


 事件が起こった日のことを詳細に話してもらえればいい。


 その当時俺が居合わせていたようだが、事件のショックで忘れたとでも言えばさほど不審がられることもないだろう。


 だがその質問をすることは、今の温和で幸せそうな坂下を、かつての怯えた被害者だった頃の坂下に戻してしまうことでもある。


 関係ない。

 この未来は事件を阻止すると同時に消えるんだ。


 俺と坂下の逃避行はそれですべてなかったことになる。


 そうわかってはいても、目の前にいる坂下の表情が曇らせることができそうもない。


 これは優しさなんかじゃない。

 ただ情けないだけだ。


 俺は自分の目標を叶えるために全力を尽くすことのできない臆病者だ。


 そんな自覚があっても変えることができないのであれば、もうその事実を受け入れるしかないだろう。

 自分が小心者で、臆病者であることに、なんらかの意味を見出すしかない。


 もう事件について尋ねる気はなくなった。


 かといってこの状況でなにも言わないのも変だろう。

 せっかくの気遣いを無駄にしてしまうことになる。

 だからここはあえて当たり障りのない質問をして乗り切ろう。



「じゃあ好きな食べ物でも教えてもらおうかな。今日は俺の好みに付き合わせたから」


「付き合わせたなんてそんな……私もおそば好きだよ」


「なら良かった」


「だから……また一緒に食べられるといいね」



少しためらいがちに坂下はそう言った。

俺はそれに大きくうなずく。


きっとこの約束も、事件を防ぐことで消えてしまうのだろう。


それはなんだかさみしいことのように思えた。

ただの感傷だけど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る