「申し訳ありませんが、旦那様は出かけていらっしゃいます」

 応対に出たのは自分とそう年の変わらない、若い執事だった。焦げ茶色の短い髪に鋭い目つき、背の高さも申し分ない。

「そうでしたか。いつお戻りになりますか?」

 と、僕がたずねると執事は答えた。

「予定ではあと二十分ほどですが、中でお待ちになりますか?」

「いいんですか?」

「ええ、客人は手厚くもてなせと常々言われておりますので」

 にこりと笑った彼は、どこか執事っぽくなくて好印象だった。こういう人間は融通がきくものだ。

 僕が安心して笑みを返すと、彼が扉を大きく開けた。

「どうぞ、お入りください」

「ありがとうございます」

 案内されて通されたのは応接間だ。敷かれた緑の絨毯じゅうたんはやわらかく、調度品や家具はどれも立派なものばかりだった。

 うながされるまま、僕は革張りのソファへ腰を下ろした。

「すぐにお茶とお菓子を用意してまいります」

 と、執事が頭を軽く下げてから出ていき、ふと静かなことに気がついた。彼以外に使用人の姿がない。足音も噂話をする声もない。

「……ケチなのか?」

 建物の大きさは男爵家の半分程度だが、それでも十分に広い。二階建てだから上には部屋が少なくとも五つはあると思われる。これだけ立派な家に暮らしていながら、使用人が一人だけなんてありえない。何か理由があるのか、ただ単にケチなだけか。

 執事が戻ってきて、紅茶とお菓子をテーブルへ置いてくれた。

「ひとつ聞きたいことがあるんですが」

 と、僕が切り出すと彼はすぐに顔を向けてくれた。

「何でしょうか?」

「あなた以外に使用人がいないようですが……」

 合点がいった様子で執事は返す。

「はい、おりませんよ」

「雇う予定は?」

「ないでしょうね」

「ということは、あなたが炊事洗濯掃除まで?」

「犬の散歩もやっております」

 そういえば庭に白い大型犬がいたのを思い出す。犬小屋から頭を出して眠る姿は平和そのもので、ちょっと撫でたいと思ってしまった。

 いやいや、今はそれよりも執事の話だ。

「大変じゃないですか?」

「かれこれ十五年ほど仕えているので慣れました。掃除が多少行き届かなくても、旦那様は見逃してくださいますし」

「な、なるほど」

 スィルシオ・オルテリアン氏、もしかすると個性的な人物かもしれない。噂では富裕層の生まれだという話だったが、もしかするとこれまでに会ってきたタイプとは違う可能性が出てきたぞ。

 ティーカップを手にし、そっと口元まで持ち上げて香りを吸いこむ。柑橘系の匂いがついた濃い色の紅茶だった。

 すると今度は執事が言った。

「私からもいくつか、おたずねしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、どうぞ」

 クッキーへ手を伸ばしつつ返し、視線は彼の方にやる。

「投資家というのは、具体的にどういったお仕事なんでしょうか?」

 必ず聞かれる定番の質問だ。僕はすぐにいつもの答えを返した。

「簡単に言えば事業者に資金を提供し、利益が出たらその何割かを受け取るんです。それが僕の利益になり、投資を繰り返すことでさらなる利益を得る、というものですよ」

「なるほど。それでは、旦那様にもそうした話を?」

「ああ、いや。今日はただ挨拶に来ただけです。仕事の話はおいおいで」

 数回ほどうなずき、執事は新たな質問を口にした。

「もしや、他の方にも?」

 ――いずれ僕の噂は広まる定めだ。それなら先に白状したって変わらない。

 僕は素直に答えることにした。

「ええ、先ほど男爵家へ挨拶に行きました」

「そうでしたか」

 彼は賢そうな顔をしており、さっきの質問の感じからしても僕が何をしているか、大方予想がついていることだろう。

 別にかまわないさと内心で自身へ言い聞かせ、紅茶を飲む。すると彼は眉尻を下げながら言った。

「すみません。同年代の方とお話をする機会があまりないものですから、ついいろいろとお聞きしてしまいました」

「ははは、別にかまいませんよ」

 と、無性にほっとして笑い飛ばせば、執事も安心したように笑う。彼とはいい友人になれそうだ、と思ったところでひらめいた。

「そうだ。君の名前を聞かせてもらってもいいかい?」

「私はタルヴォン・ファルクレインです。みなさん、ルーヴォと呼んでくださいます」

「それじゃあ、ルーヴォ。君は十五年前からここにいると言ったよね」

「はい」

「ということは……えぇと」

 まだオルテリアン氏が帰ってこないことを祈りながら、僕は少し声をひそめた。

「男爵家のお嬢さんのことも、ご存知で?」

「もしかして、ニャンシャ様のことですか?」

 聞き返されてはっとした。そうだ、男爵家には忘れてはならない有名人がいる。美少女だと噂されている末娘のニャンシャだ。

 僕が気まずい顔をすると、ルーヴォは怪訝けげんそうに眉を寄せた。

「どうかなさいましたか?」

「いや、ごめん。僕が聞きたいのは彼女じゃなくて、メロセリス嬢のことなんだ」

 もちろんニャンシャ嬢のことも気になる。どれほどの美少女なのか、いつかはこの目で確かめたい。しかし、今知りたいのは姉のメロセリス嬢だ。

「メロセリス様、ですか」

 と、ルーヴォは考え事をするように少し遠くを見つめる。

 話しがたい事情でもあるのかと思い、僕は言った。

「実は昨日の昼間、川辺りで絵を描いている彼女を見たんだ。男爵家の娘さんだとは思わなくて驚いたんだが、その……」

 思い出すだけで頬が熱くなってきた。――あんなに美しく可憐かれんな女性、初めて見た。

 タルヴォンが気づいた様子で問う。

「まさか、彼女に好意を抱いてしまったと?」

「……うん」

 思わずうなずいてしまった。

 彼の方を見られなくて僕はうつむく。今にもため息でごまかしたいところだが、その前にタルヴォンが言った。

「そうでしたか。彼女は内向的で大人しい方ですね。妹君が派手な方なので、メロセリス様はどうしても地味に見えてしまいます」

「そうか、地味なのか」

 言われてみれば、たしかに派手な女性ではなかった。しかし、美人じゃないわけではないと思う。

「幼い頃から絵を描くのが好きで、性格的に少々暗いところがありますね。気の弱い方ですので、小さな頃にはいじめられていたこともあったでしょうか」

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