酔っ払いの使命感

「死んでる、のか?」

 胸に穴の空いたスィルシオおじさんを見て、オレは喜びを隠しきれなかった。口角がひきつり、今にも興奮しそうになる。数十分前の出来事を思えばなおさらだったが、大人のオレは不謹慎であることも分かっていた。

 口をぎゅっと閉じて平静であるように気をつける。――いつかこんな日が来ると思っていたんだ! これは彼の自業自得だ!

 オレはおじさんが嫌いだった。嫌いというか、信じていなかった。彼には何度も嫌な目に遭わされたからだ。


 この街でスィルシオおじさんは誰もが知る有名人だった。

 オレが物心つく前、中心部に紡績工場を作ったのが彼だという。それまでうちの畑の他、小さな店がいくつかしかなかった街に、人々が働ける場所と安定した賃金を与えたのだ。

 親父や爺さんは最初こそ毛嫌いしていたが、おじさんは街を文字通り豊かにした。すると住人が増えて、うちの野菜や果物も売れるようになった。わざわざ隣町まで売りに行かなくてもよくなったのだ。

 結果的に親父たちはおじさんに感謝し、友情を築いた。間近で見ていたオレたちもまた、おじさんをすごい人なのだと子ども心に認識したものだ。

 しかし、それはおじさんの策だった。善人のように振る舞っているだけで、本性はカスのクズだったんだ!


 少し前まで、彼は定期的に街の子どもたちを屋敷に招待していた。オレも弟のノエトと一緒によく遊びに行った。おじさんの家では貧富の差など関係なかった。裕福な子どもと貧しい子どもが一緒に遊び、同じおやつを食べていた。

 おじさんは時に絵本を読み聞かせ、時にゲームをし、生きていくのに必要な勉強を教えてくれた。子どもはみんな彼のことが好きだった。彼もまた子どもたちを愛していると、そういう風に見せていた。

 十二年前――オレが十歳の頃――だっただろうか、ある時女の子たちが一人の子を寄ってたかっていじめていた。おじさんの見ていないところで、である。

 看過かんかできなかったオレは急いで間に入り、彼女を助けた。

「何してるんだよ!」

 はっとした女の子たちは嫌悪をあらわにこちらをにらむと、すぐに去っていった。

「大丈夫だったかい、ロセ」

 いじめられていたのは男爵家の長女、メロセリス・レインスウォードだった。淡い金髪はゆるく波打ち、ぱっちりとした目の中にある茶色の瞳が綺麗な、控えめに言っても可愛い子だった。

 自分より二歳年下の彼女に、オレは純粋な心配から提案をした。

「さっきのこと、おじさんに言ったら? きっと助けてくれるよ」

 メロセリスは泣きながらうなずき、一緒におじさんの元へ行った。書斎だった。

「スィルシオおじさん、話があるんだ。さっき、メロセリスが庭で――」

 何か書物をしていたらしい彼は「ああ、何だか騒がしかったようだね」と、オレたちを見ずに言う。

 この時に何か変だなと思ったが、子どものオレはメロセリスの背中をそっと押した。

「あっ、あのね、エルミンちゃんたちが意地悪するの。わたし、やめてって言ったのに」

 ようやく顔を上げたおじさんは、何を思ったのか微笑んだ。

「なんだ、そんなことか。大丈夫だよ」

「だい、じょぶ……?」

 メロセリスが小さな声で繰り返し、オレはただ立ちつくす。何を言われたのか分からなかった。いや、分かったけれど理解できなかった。

 そんなオレたちにかまわず、おじさんは

「君たちは外に出て遊んでいなさい。すぐに私も行くから」

 と、再び書物を始めてしまった。

 オレははっとしてメロセリスの肩を抱き、書斎から出るようにうながした。その時のオレができる精一杯のことだった。

 ――メロセリスへのいじめはその後も続いた。毎回止めに入れたらよかったが、そううまくはいかない。結局、いじめの中心人物が街を出ていくまで、彼女はずっといじめられていた。

 結局おじさんは一度もメロセリスを助けなかった。いい人だと思っていたから、混乱したし信じられなかった。だが、それだけではない。


 今から八年前。おじさんが養女としてミランシアを引き取り、一緒に暮らし始めてからだ。

 この頃には遊びに来る子どもの数が少しずつ減っていて、場所によっては静かなのが普通だった。

 オレはその時、玄関ロビーで本を読んでいた。ふと顔を上げると周囲には誰の姿もなく、庭から声も聞こえてこない。ノエトがどこにいるのか気になって探すことにした。

 一階には自分以外に誰もいなかった。階段を上がって二階へ行くと、屋敷の中で一番広い子ども部屋がにぎわっていることに気づいた。

 そっと近づいていくと、扉越しにミランシアの無邪気な声がした。

「このケーキ、おいしい!」

「そうだろう? みんなのためにルーヴォに用意させたんだよ」

 と、おじさんの声まで聞こえてきて、オレはその場から動けなくなった。室内からは他の子どもたちの声も聞こえ、ノエトの声もその中にあった。

 彼は一部の子どもだけを集めて、楽しくケーキを食べていたのだ。依怙贔屓だった。

 愕然として頭が真っ白になった。――何で? どうして? オレが何かした?

 悲しみはやがて苛立ちへと変わり、きびすを返して庭へ出た。

 メロセリスが一人、隅の方に座りこみ、スケッチブックに絵を描いていた。

 歩み寄っていき、隣にそっと腰を下ろす。

「ロセ、ずっとここにいたの?」

 彼女は鉛筆を握った手を、おもむろに止めた。

「うん。みんな、どこか行っちゃったし」

「……そうだな」

 どうやら、彼女もオレと同じで呼ばれなかった側らしい。

 まさか他の子どもたちが楽しくケーキを食べているなんて、そんな残酷なことを口にできるわけがない。しかし、彼女はかすれるような声でつぶやいた。

「わたし、お兄様やニャンシャちゃんとは違うから」

 はっとした。彼女はとっくに気づいていたのだ、自分が呼ばれない側の子どもであることに。

 ああ、あの人はクズだ。これまでは子どもみんなにケーキを食べさせてくれたはずなのに。ううん、そうじゃない。元々彼は善人ぶっていただけで、お気に入りの子どもたちと過ごせればいい人だったんだ。

 尊敬や好意がはっきりと憎しみへ変わった瞬間だった。

 その直後、タルヴォンがにこやかに微笑みながらオレたちの元へやってきた。

「お二人とも、ここにいらしたんですね。クッキーを持ってきたので、三人で食べませんか?」

 使用人のはずの彼に「ルーヴォも食べるのかい?」と、たずねたら、彼はいたずらっ子のように笑った。

「旦那様には内緒ですよ」

 つられてオレとメロセリスも笑い、こっそりとクッキーを食べた。おじさんは信用ならないけど、ルーヴォは信用してもいい人だと思った。

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