エピソード 1ー2

 私は大切な人達を護るために鍛錬を始めた。

 最初に手を付けたのは座学だ。

 歴史の授業のように一から学ぶ必要のある科目もあるけれど、若く優秀な頭脳と老成した精神と知識を持つ私にとって、学業をマスターするなんて造作もないことだった。


 そうして結果を出しつつ、並行して剣術を学ぶことにした。

 魔物と戦うことが貴族の義務だが、その戦い方までは決められていない。

 私が剣術を学ぶことに父は反対しなかった。


 ただし、剣術を学ぶにあたって一つ懸念事項がある。それはウィスタリア侯爵家の騎士団が最近弱体化している、という設定があることだ。


 作中のリディア、つまり私によると、些細な問題で既に解決済み、という設定。ただし時期を考えれば、いまはその問題が解決するまえだ。

 ということで、私はただの見習い騎士として訓練場に潜り込んだ。

 結果――


「おまえのような平民の小娘が剣術を学ぼうなんて生意気なんだよ!」


 目の前で繰り広げられている光景に頭を抱えた。

 ちなみに、いまのは私に向けて放たれた言葉じゃない。指南役の騎士が、別の騎士見習いの幼い娘に向かって言い放った言葉である。

 しかも、剣術の稽古と称して、女の子をいたぶった上で、だ。


 一応、この世界にある防御アイテム、アルケイン・アミュレットを装備しているので、女の子に傷はない。けれど、そういう問題じゃない。


 ……私も、訓練のために必要なことなら文句は言わないけどね。


 戦場では未熟な者から死んでいく。自分が手心を加えたせいで生徒が死ぬかもしれない。それを理解していれば、訓練はどうしても厳しくなってしまう。


 でも、彼がやっているのはそれと違う。

 立場を振りかざし、未来ある子供をなぶっているだけだ。そして、訓練に同席している他の騎士も同じで、ニヤニヤしているだけで止めようともしない。

 周囲を見回した私は、止める者が誰もいないことを確認して溜め息を吐いた。


「ウィスタリア騎士団にこんなクズがいるなんてね」


 私の独り言が訓練場に響き、それを聞いた騎士がクルリと振り返った。


「なんだと?」


 怒気をはらんだ声、私の周囲にいた子供が一斉に後ずさった。近くの子が、「あの人に逆らっちゃダメ」と小声で教えてくれるけれど、私はかまわず前に出た。


「俺をクズと言ったのはてめぇか?」

「あら、自分がクズだと分かる程度の頭はあったのね」

「舐めてんのか、てめぇ! いいか、知らないようだから馬鹿のおまえにでも分かるように丁寧に教えてやる。俺はロスモア子爵家のマーカセだ!」


 彼は得意げだけど、要するにうちに仕える家の子ってことじゃない。しかも騎士団で騎士をやってるってことは、三男とかそんな感じだろう。

 よくそれで威張る気になれると感心する。


「弱いやつほどよく吠えるってホントよね。あぁもしかして、騎士団の中では下っ端だから、見習いをいびってストレス発散してるのかしら?」

「いい度胸だ。そこまで言うなら俺が稽古を付けてやる!」


 言うが早いか、こちらが構えるのも待たずに襲い掛かってくる。

 マーカセが持つのは本物の剣だ。シールドを張る魔導具、アルケイン・アミュレットがあるとはいえ、攻撃をまともに食らえばシールドを抜かれて怪我をする可能性もある。

 まあ、まともに食らえば、なのだけれど。


 私も剣を振るい、マーカセの一撃を上手くいなした。

 というか、まともに受ける筋力はないので、いなすしか方法がないのだけれど。とにかくマーカセの攻撃を逸らし、切り返しの一撃も軽くあしらった。


 そして相手の踏み込みにあわせ出足を剣で払うと、マーカセは盛大にすっころんだ。そうして起き上がろうとするマーカセの首元に剣先を突きつける。


「勝負、あったようね」

「……てめぇ」


 騎士の顔が屈辱に歪んだ。

 だけど次の瞬間、彼はにやりと笑って剣を素手で掴んだ。

 アルケイン・アミュレットがあるからこそ出来る芸当。だけど、剣を掴み、筋力勝負に持ち込めば勝てると思ったのだろう。彼は「攻守逆転だな」と勝ち誇る。


「いいか、俺に逆らうな。逆らったら、おまえをこの騎士団から追い出してやる」

「出来るものならやってみなさい」

「生意気なつ! いいだろう、望み通りに追い出してやる。この訓練が終わった後でな!」


 彼はそう言って剣を全力で引っ張った。

 私は剣を引かれて前のめりになる。それで体勢を崩したと思ったのだろう。彼は嫌らしい笑みを浮かべ――私の浴びせ蹴りを食らって地面の上に這いつくばった。


 だが、アルケイン・アミュレットの守りを破ることは出来なかったようだ。マーカセは屈辱に顔を歪めながらも立ち上がる。そのまま掴みかかってくるけれど、私はその場を転がって回避。スカートを翻して飛び起きた。


 シールドが壊れるまで叩きのめしてやる。


 そんな風に考えていると辺りが騒がしくなり、騎士団長のウィルフッドが現れた。

 たたずまいを見るだけでも、ここにいる他の騎士とは別格の実力者だと分かる。そんな彼が私とやりやっていた騎士に視線を向ける。


「マーカセ、これはなんの騒ぎだ?」

「だ、団長!? いえ、これは、その……そう! そこの小娘がウィスタリア騎士団を……いえ、ウィスタリア侯爵家を侮辱したのです!」


 マーカセの言を聞き、ウィルフッドはチラリとこちらを見た。

 無言で微笑みを浮かべておく。


「……彼女が、ウィスタリア侯爵家を侮辱した、と?」

「はい! 平民である自分たちへの扱いが悪いなどと、身の程をわきまえぬ発言を繰り返した末に、ウィスタリア侯爵家はクズの集まりだと言い放ったのです!」

「なるほど、貴族を侮辱するのは重罪だからな」

「まったくです。だから、身の程を教えようとしていました!」


 よくそんなでまかせが出てくるなぁと感心する。

 明らかな嘘なのに、誰も否定しない。子供達は怯えているようだけど、他の騎士がなにも言わないのは、目の前の騎士と同類だからだろう。


 ゲームにそれらしい描写があったからある程度は予想はしていたけど、ウィスタリア騎士団がここまで腐っているとは思わなかった。


 でも、私が知った以上、ウィスタリア侯爵家への侮辱は許さない。そんな敵意を込めた瞳で彼を見つめていると、それに気付いたウィルフッドが私へと向き直る。


「それで、本当はなにがあったのですか?」

「ですから――」


 マーカセが口を開くが、ウィルフッドはそれを手で制した。


「マーカセ、おまえには聞いていない」

「は? では、誰に……」


 その言葉を黙殺して、ウィルフッドは私に視線を向ける。

 まあ、こうなったら身分を隠しておく訳にはいかないわよね。と言うか、問題を解決するために身分を偽っただけなので、もう隠しておく必要もない。


「そこの馬鹿が訓練と称して、女の子をいたぶっていたから教育してあげたのよ」

「なぜいたぶっていた、と?」

「相手を思って厳しくしているのか、ただの憂さ晴らしかくらい見れば分かるわ。というか、貴方も見ていたのだから分かっているでしょう?」

「……気付いておられたのですか?」


 私は笑みを深めることで答えた。


「まさか、貴族の義務を放棄したと決めつけて、私を侮っている訳じゃないわよね?」

「……そのようなことは決して」


 殺気を飛ばせば彼は、彼は額に汗を浮かべた。

 そこで私は圧力を掛けるのを止める。


「冗談よ。傍観していたのは、彼を追い出す口実が欲しかったから、ね?」

「……お見通しですか。利用しようとしたこと、心から謝罪いたします」

「いいわ。騎士団のためを思ってのことでしょうから不問にしておいてあげる」


 私も同じ理由でマーカセを挑発したと匂わせれば、ウィルフッドは軽く目を見張った。


「恐れ入ります。まさか、そのお歳でそこまで考えていたとは、感服いたしました。それにさきほどの剣技も素晴らしい。まるで伝え聞く初代様のようでした」

「……初代。もしかして戦姫ルナリアのこと?」

「よく勉強なさっていますな。戦姫ルナリア。あるいは英雄ルナリアの名で親しまれる、ウィスタリア侯爵家の初代様です」


 『紅雨の幻域』では語られなかった事実を知り、思わずスカートの端を握りしめる。

 ルナリアは魔将を討った英雄として、侯爵の地位を賜った戦姫だ。

 だけど――


「彼女に子供はいなかったはずよ」

「ええ。初代様の亡き後は、その妹君が後を継がれました。ですから、リディア様はその妹君の子孫、と言うことになりますね」

「そう、そうだったの……」


 まさか、私が――


「――さっきからなにを言っているんですか、団長!」


 怒鳴り声を聞いて我に返る。そうだ。いまはこちらの対処がさきだ。そう思って視線を戻すと、マーカセがウィルフッドに詰め寄るところだった。


「早くあの身の程知らずを罰してください! あの小娘はウィスタリア侯爵家を侮辱したんですよ? 許されないでしょう!?」

「侮辱しているのは貴様だ!」


 ウィルフッドが拳を振るう。

 マーカセは吹き飛び、無様に訓練所の床に倒れ込んだ。


「な、なにをするんですか、団長!」

「まだわからんのか! 私は最初からおまえの所業を見ていたのだ!」


 頬を押さえて起き上がろうとしていたマーカセは、その言葉に息を呑んだ。そして言い訳を探すかのように視線を彷徨わせる。


「な、なにか、誤解があるようですが、俺は指導をしていただけで……」

「あのような所業が指導なものか! いままで訓練のためだと言って誤魔化してきたようだが、今回ばかりは相手が悪かったな。彼女こそが、ウィスタリア侯爵家のご令嬢だ!」

「…………は?」


 マーカセが信じられないと目を見張った。同様に、ほかの者達の視線も私へと向けられる。それらの視線を一身に受けながらカーテシーをする。


「ウィスタリア侯爵家が娘、リディアと申します。見知りおく必要は……ありませんわね。もう会うこともないでしょうから」


 含みをもって微笑むと、青ざめた彼がなにか言おうとする。けれど、それを無視してウィルフッドへと視線を戻した。


「それでは、彼らの処罰はお任せします」

「ふむ。リディアお嬢様はどうするのが妥当だと思われますか?」


 軽く眉を上げる。

 彼の部下の失態だ。私が口を出せばウィルフッドの汚名に繋がる。ゆえに口出しはしないつもりだったのだけど、求められたのは試されている,ということかしらね?

 であるなら、当主の娘として毅然とした返答が必要だ。


「未来ある子供をなぶるのは、その芽を摘み取ることになるわ。つまり、ウィスタリア侯爵家に害する行為と言えるわね。だから、彼らはウィスタリア騎士団に必要ないわ」

「――ま、待ってくれ!」


 解雇をほのめかされ、マーカセが悲鳴を上げる。そこに追い打ちを掛けるように、ウィルフッドが事もなげに言い放った。


「お父上ならば、彼らの実家と、近隣の貴族への通達もなさるかと」

「なるほど、ではそのようにしましょう」


 つまり、彼らはもうどの騎士団にも所属できない、と言うことだ。

 それを理解したマーカセは膝からくずおれた。

 そこに、他の騎士達が詰め寄る。


「おい、マーカセ、どういうことだ!」

「おまえが大丈夫だって言うから、信じたんだぞ!」

「――う、うるさい! おまえらだって、散々甘い汁を吸ってきただろ!?」


 こうして、マーカセ達は部屋から連れ出されていく。想定外の出来事だったけれど、私はたしかに原作のストーリーを変えることに成功した。

 こうして、剣術の修行は予定通りに開始する。子供の身体で剣を振るうことには戸惑いもあったけれど、過去に身に着けた戦闘技術はいまも忘れていなかった。

 私はすぐにいまの身体で戦うことに馴染んでいく。


 余談だけど、この世界はかなりゲームと同じ仕様のシステムがある。

 たとえばアルケイン・アミュレットは遺跡で手に入れるアイテムを使って強化をすることが出来るし、称号やレベルアップによる能力の強化をすることが可能なのだ。


 この世界の誰もが知る常識だけど、私はそれらの情報にこの世界の誰よりも精通している自信がある。いますぐに使うことは出来ないけれど、そのうち利用する機会もあるだろう。

 そのときのためにも、私はいまは出来る努力を続ける。

 

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