第15話 弱者
――その日も風の竜は、街を見ていた。
洞窟の前で伏せて、伏せ続けて。街を見て、その中心にある城を観察していた。
人と、その動き。再建されつつある
忌々しい結界の気配に――あの男の魔力と威圧。
『……』
ふと、竜は城の門に視線を向ける。そこには城から出てきたあの男がいる。
今まで見てきた
『――GUUUU』
……竜は感情を飲みこんで男を見続ける。
その一挙手一投足を観察していく。そしてついでに、男の周囲にも目を向けて……。
『……?』
そこで、竜は一つ気付く。
男の傍にいる
竜はあれは何なのだろうと不思議に思う。男とずっと近くにいる女。
……もしかして男の
――そのとき。
『――――!!』
竜は咄嗟に地に伏せる。その直後、白き奔流が竜の真上の空間を抉る。
純白の槍。巨人を消し飛ばした十字の輝き。それが街から山までの数十キロの距離を僅かな間に踏破して竜の元へ飛んでくる。
『……GI』
――轟音。
槍が竜の背後の洞窟を消し飛ばす。山が抉れる。
地形が変わり、木々が倒れ、土砂が崩れ出す。そして竜の上に降ってくる。
……しかし、竜は微動だにしない。
ただ全力で息を殺し続ける。
『――』
ただただ、見つからないように。
低い位置にあった日が昇り、また、地平に沈むまで。
……竜はその場で身動き一つしなかった。
◆
――テルネリカに好きでここに居るとか言われて数日が経った。
その間、コノエはずっと悩んでいた。
ずっと近くにいるこの少女は一体何なのだろうと。訳が分からないと。
夜眠れないくらいには悩んだ。でも答えは出なかった。
悩みすぎて、気分が晴れなくて。それでも用があったので久しぶりに城から出て――。
「――」
――嫌な予感がしたのは、そんなときだった。
コノエは槍を顕現し、投げる。
勘で投げた槍は空を割り、街から遠く離れた山の山頂付近に着弾する。
……コノエは、二本目の槍を手の中に作り出しつつ、着弾後もその辺りを注視して。
「……」
「……コノエ様? どうされたのでしょうか?」
「……いや」
しばらく観察して、しかし動くものはない。
なので、コノエはテルネリカの言葉を切っ掛けに警戒態勢を解く。
殺した気配はなかった。嫌な予感は気のせいだったのだろうか。
現地に確認しに行きたいが……山まで移動するとなれば、少しではあるが街が無防備になる。先日逃げた風の竜もいるし、軽率なことはするべきではないだろうとコノエは思った。
なのでコノエは軽く息を吐き、視線を地上に戻して……。
「……?」
……うん? と思う。
テルネリカがじっとコノエの手を見ている。いや、もっと正確に言えば、手の中の槍を見ている。
「……なんだ?」
「あの、コノエ様の槍、真っ白でとても綺麗ですね」
テルネリカが胸の前で手を合わせて言う。
目を輝かせていて、頬を少し染めてもいて。
「……そうか?」
「ええ、とても! 生命の神様の色ですよね。かつて都で見たあの方のお姿を思い出します!」
曇りのない白。とても素敵です! と、テルネリカは続ける。
その表情に影はなく、綺麗なものを見た、と純粋に言っているような感じだった。
「……」
「……? コノエ様?」
「……いや」
そんなテルネリカに……コノエは、何とも言えない気持ちになる。
そして、まあ、一般に知られている事じゃないからな、と思う。テルネリカはきっと知らないのだろう。
――アデプトの武装が白い意味。
アデプトそれぞれの性質によって色や形、能力を変える聖なる武器が、白のままだということが何を表しているのかを、きっと知らないのだろうと。
アデプトと、神威武装、そして
「……」
コノエは、笑顔のテルネリカから視線を逸らす。
そして、目的地へと一歩足を踏み出した。
今日の目的地は街。引いてはその中の結界塔だった。
◆
ここしばらく、コノエは街には出なかった。
ただ城の中で死病の治療をして、町周辺の警戒だけをしていた。それがなぜかと言えば、やさぐれていたからだ。
崩壊した街並み。枯れ果てた畑。ボロボロの服を着て瓦礫を運ぶ人々。
人を失い、家を失い、街の産業を失った街。
命は助かったが、それ以外の全てを失ってしまったような人達。あれから数日経った。たった数日だが、絶望するには十分な時間だ。
城の物見台から見る景色だと、結界塔の修復だけはそこそこ進んでいるように見えたが、街の修復はまだまだだ。終わりの見えない復興に、みな疲れているだろう。きっと雰囲気は悪くなっているだろう。治安が悪くなっている可能性もある。
だから、コノエは彼らからあえて意識を逸らし、見ないことにした。正義感ある者なら力を貸そうと積極的に関わったかもしれないが、コノエは真面目なだけだ。
「……」
しかし、そんなコノエがそれでも今日街に出てきたのは、もうコノエの契約期間が三分の二終わったからだった。残り十日。結界塔だけはそれまでに直してもらわないと、コノエが安心して都に帰れない。
コノエも結界もなければ、仮にあの風竜にまた襲われたら街は簡単に滅んでしまうだろう。だから、一度街へ降りて経過を見ようとコノエは思った。
コノエは城の正門を潜りながら、きっと荒んでいるだろう街を想像する。
かつての自分を思い出すような気がして、嫌な気分になる。だから用が済んだらさっさと城に戻ろうと決めた。
コノエは城門を潜り、続く長い階段を下っていく。
その段を一歩ずつ下りていく毎に、街の様子が見えてくる。コノエが魔物の探知を除いてあえて意識を逸らしていたその場所は――。
「――ぁ?」
――コノエは小さく呟く。そして立ち止まる。
混乱する。だって、そこには――
「……………………なに?」
――そこには、笑顔があった。
多くの人の、活気ある声があった。
資材を引いて走り回る男がいた。
炊き出しを作って、大声で人々に声をかける女性がいた。
老人が枯草を編んで縄を作っていた。
それを子供が真似て手伝いをしていた。
暗い雰囲気は無かった。
瓦礫の山の中で、それでも人の目は輝いていた。
諦めず、前を向いていた。
顔を上げて歩いていた。
「……」
コノエは、そんな人々の姿に何度か瞬きをする。
数日前と同じ――いや、より一層活気にあふれ、笑顔で前に歩んでいく人の姿に。
……コノエは、なぜ? と思う。
きっとみんな心が折れていると思ったのに。
死にかけて、苦しんで。諦めてしまっているだろうと思ったのに。
「コノエ様?」
「……」
テルネリカの声に、コノエは反応できない。
しばらく立ち止まった後、ようやく足を前に出した。
視線の先に結界塔があって、そちらへ向かってコノエは歩きだす。
ほんの数百メートルの距離。それを一歩一歩進んでいく。
――瓦礫の上に、砂埃にまみれる男たちがいた。
その男たちは一つ一つ瓦礫を運んでいた。石造りの家の瓦礫は固く、重量があって、ようやく一つ運んでも残りは文字通り山積みだった。……しかし、陽気に歌を歌いながら仕事をしていた。
――井戸の近くで、料理をする女たちがいた。
城から運ばれた大量の食材を調理し、炊き出しを作っていた。莫大な量の野菜の皮をむき、何度も井戸と大きな鍋を往復して水を運んでいた。……しかし、明るい笑顔で列に並ぶ人を迎え、送り出していた。
――人々の隙間を、縫うように走る子供たちがいた。
伝言を頼まれたり、軽い物を運ぶ子供たちだ。走る姿は幼くて、息は切れている。……しかし、荷を両腕に抱えて、自分に出来ることを精一杯頑張ろうとする姿があった。
――布を張った簡易テントの下に、老人たちの姿があった。
座ったままでも出来る小物作りや、働けない幼い子たちの世話をしていた。体が軋んでいるのか、動きは鈍い。……しかし、穏やかな笑みを浮かべて、一つ一つやるべきことを
「……」
そして、そんな姿を見ているうちにコノエは結界塔に辿り着く。
結界塔ではそこまでとは違って魔法を使った再建作業が進められていた。
土魔法で石を切り出す者、念動魔法で石を持ち上げる者。ゴーレムを使って崩れた部分を慎重に取り除く者。浮遊魔法で宙に浮き、積みなおされた壁面に魔法陣を刻んでいく者。
結界塔の復旧が急務のため、魔法を使えるものはこちらに集まっているのだろう。
その
「……」
コノエはこの数百メートルを振り返る。
そこには活気のある人々の姿があって、何度見直しても変わらない。
子供たちの明るい笑顔。手伝いをし、時にはおやつを貰って食べたりもしている。
老人たちは手を差し伸べられ、尊重され、時には意見を聞かれている。
数日前より、荒むどころか雰囲気が明らかに良くなっている。
――弱者が、笑っている。
「……なぜ」
意外だった。こうはならないと思っていた。
こんな過酷な状況で、弱者が虐げられないはずがないと思っていた。だってコノエは虐げられた人間だ。弱者として踏みつけにされながら育ってきた。
幼い日、親に見捨てられたコノエはどこに行っても邪魔者だった。
手を差し伸べてくれるものなどいなかった。親戚も、教師も嫌なものを見る目で見た。だからコノエは耐えて、耐えて、気が付いたら今のような人間になっていた。
「……なぜ」
人間ってこういう生き物だっただろうか。
コノエは不思議に思う。だって、皆辛かったはずだ。死病になった。全身が腐ったりもした。アデプトの治癒魔法には精神を癒す作用もあるが、それでも心が折れてもおかしくなかった。自暴自棄になってもおかしくなかった。
辛かったのに、苦しかったはずなのに。
それなのに、なぜか皆笑っている。男も、女も。子供も、老人も。
「……なぜ」
コノエにとっては信じられない光景。
嘘なんじゃないかと疑いたくなる……いいや、実際に疑う。目の前の光景は全部表面だけで裏で子供たちは痛めつけられているのではないかと思う。
「………………」
「……あっ、痛っ!」
そんなときだった。ちょうど、と言っては悪いが、すぐ近くで子供が転んだ。
まだ幼い少年。おそらく十歳に満たないくらい。あまり綺麗ではない服。細い体。そんな子が勢いよく転んで、手や膝を強く擦りむいてしまう。
少年は倒れたまま痛みに呻いている。
僅かに上げられた顔には涙が浮かんでいて。
コノエは、その子に近づく。
確認させてもらおうと思った。
「……」
「……うぅ、痛い…………ぅ、え?」
コノエがその子の傍に膝を突くと、その子はコノエの姿を見て、目をパチパチとさせる。瞬きで押し出された涙が頬を伝っていた。
「……アデプト様?」
子供がぽかんと口を開けて呟く。
コノエはそんな子の頭に手をかざす。
「……?」
子供はコノエの手を不思議そうに見ている。
自らの上にある手をじっと見つめている。
「……」
コノエはそんな少年の姿に、体から少し力が抜ける。そして頭に手を置いて、軽く治癒魔法をかける。
少年の体が一瞬光って、膝と手の傷が綺麗に治った。
「……あっ……アデプト様! ありがとうございます!」
子供がコノエを見る。キラキラとした目だった。
凄いものを見るような、憧れるような、そんな目だった。
「……」
コノエは立ち上がり、また歩き出す。
そして、先ほどの治癒の感覚を思い出した。
子供の体には、手と膝以外の傷はなかった。
服の下に殴られた傷もなければ、傷跡もなかった。
つまりはコノエの邪推は否定されたということだ。
影で痛めつけられた子供はいなかった。
……まあ、とは言っても、もちろん一人がそうではなかっただけだ。
他の子どもたちは違うかもしれないし、陰には痛めつけられている子はいるのかもしれない。いやその可能性も高いと、疑り深いコノエは思って。
「……」
でも。それでも。それなのに。
コノエはなんだか、ほんの少しだけ。
……かつての幼い自分が、どういうわけか。
少しだけ、笑えた気がしたんだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……」
――そんなコノエの後ろで。
テルネリカは一人、瞬きをしていた。
首を傾げ、不思議そうにコノエを見ていた。
少し背を丸めて歩く後姿を、ただ見ていた。
そして、思い出していた。これまでのコノエの姿を。
テルネリカは二十日間ずっとコノエの傍にいた。ずっと見ていた。だから、コノエの言葉を、表情を、仕草を脳裏に浮かべて。
「………………………………」
テルネリカは、悲しそうに目を伏せる。
そして、小さく頷いた。
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