第10話 夢


 ……コノエは夢を見る。

 それは日本にいた頃の夢だ。かつての夢。


 コノエの、半生。コノエという人間の作られ方。

 何故コノエがこうなってしまったのか。その理由。

  

 ――コノエは物心ついた頃には一人で生きていた。

 一番古い記憶は、大きな荷物を持った両親が家から出て行く姿だった。幼く、何も知らないコノエがただただ泣いている記憶だ。


 コノエには最初から家族がいなかった。家庭はコノエが生まれたばかりの頃に両親の浮気がきっかけで崩壊していた。食事を作るのは雇われた家政婦の仕事だった。


 友人はいなかった。進学前の時間をほとんど家の中で孤独に過ごしたコノエは外を知らなかった。だから、学校に通いたての頃に孤立して、嘲笑われて。それは卒業するまで変わらなかった。


 家政婦は仕事だけをした。食事はあった。服は洗濯されていた。

 しかし、言葉はなかった。いつも無表情にコノエを見ていた。


 教師はコノエを邪険にした。面倒ごとを運んでくる厄介者とみなして、コノエが孤立していても、石を投げられていても、むしろコノエを責めた。


 ……それが、幼い日のコノエだった。ずっと一人だった。

 そして、一人のままに成長した。誰も傍にはいなかった。


 だから、上の学校に進学しても、就職してもコノエは一人だった。

 事務的な会話だけして、それ以外は出来なかった。


 だって、コノエは好意を知らなかった。悪意ばかりを知っていた。誰も彼も、裏で己のことを嫌っていると思った。そして、一度そう思うと何も言葉が出てこなかった。人を疑いの目で見る癖が出来ていた。


 ――そしてそれは今に至るまで変わっていない。


 ああ、そうだ。コノエは、疑うことをやめられなかった。

 コノエは何年経っても、幼い日のトラウマを乗り越えられなかった。コノエは変われなかった。


 もちろんコノエも人間が悪い人ばかりでないと習っていた。そのはずだった。

 でも、ずっと疑ってそうやって生きていたから。コノエはもうその形で固定されてしまっていた。


 本当はカウンセリングにでも行ったら良かったのかもしれない。

 誰か一人にでも助けを求めれば良かったのかもしれない。しかし、そうは出来なかった。そうは生きられなかった。人を信じられなかった。


 結果、最後まで一人のまま生きて、一人で死んだ。

 手を握ってくれる人も、悲しんでくれる人もいなかった。それが日本人コノエの一生だった。


 ――だから。

 そんな人生だったから。


 二十五年前のあの日、コノエは惚れ薬という言葉に惹かれた。

 人ではなく、薬にこそ救いを見た。


 薬なら、疑わなくていい。人の心は信じられなくても、薬はきっと信じられる。薬を飲んだ人は、コノエのことを好きになってくれるはずだった。


 そのためなら、いくら血を吐いても耐えられた。死ぬほど苦しくても、なんとか歩き続けることが出来た。何年も、何十年でも。その日を想うとなんとか頑張れた。


 歪んでいる自覚はあった。正しくないと思っていた。

 それでも、コノエにはもうこの生き方しかない。間違って生きてきた人間は、こうすることでしか誰かと一緒にいることは出来ないと。


 コノエはそう思ったから――。


『――それは、違うよ』


 ――あれ? とコノエは思う。

 どこからか、声がした。


 コノエは夢現の中、不思議に思う。

 どこからか優しい声が聞こえた気がした。聞き覚えがある声。昔、ずっと昔に一度聞いたような――。


『――あなたは間違った子じゃないよ。あなたは人のために頑張れる優しい子だよ』


 心地よい声だった。優しい声だった。そして、何だか温かいものを感じた。

 だからコノエは体から力が抜けていく。ずっと寒かったのに、何だか羽毛にでも包まれているような気がして――。


『――大丈夫。きっと、大丈夫だから』


 コノエは不思議に思いながら……ふと意識が浮上するのを感じる。きっと目が覚めようとしている。体が温もりに包まれたまま浮き上がっていって。


 ……そして、その最後に。コノエはなんだか頭を撫でられたような気がした。


 ◆


「……あぁ」


 コノエは目を覚ます。瞼を開けると、目の前に馴染みのない天井があった。

 城の客間の天井だ。ここ一週間ほど滞在しているけれど、ベッドで寝たのは昨晩が初めてだったから。


「……くぁ」


 あくびをし、城や周囲の索敵をしながら体を起こす。問題はない。魔物の反応は近くにはなかった。

 昨晩は二度ほど魔物が近づいて来て、迎撃のために目を覚ましたが、それ以外の襲撃はないようだった。


 今は活発に動き回る人の気配だけがあって、だからコノエは首筋を掻きながらベッドの上でぼうっとして。


「……なんだか、気分がいいな」


 ポツリと呟く。不思議なくらい爽快な目覚めだった。

 コノエは以前から、疲れているときには悪夢を見ることが多い人間だった。だから、今回もきっと嫌な夢を見ると思っていた。なにせ七日七晩の後だ。コノエの今までの人生でも上から十番目に入るくらいには疲れていた。なお、一番はアデプトに認められたときの最終試験だ。


(……どうしてだろう)


 とにかく、気持ちよく起きられたのがコノエは不思議だった。

 もちろんコノエも悪夢を見たい訳じゃない。しかし今まではほぼ必ず見ていたのにいきなり見なくなるとそれはそれで不思議なものだ。コノエは首を傾げて。


(……神様?)


 ふと、そんな言葉が浮かんでくる。

 何故そう思ったのかはわからない。昨日まで力を貸してくれていたからだろうか。


 今はもう気配がないから、きっと都に帰ったのだろう。神様も忙しい身の上なので、ずっと近くにいてアデプトを見ているという訳にもいかないだろうし。


(――そういえば、夢と言えば)


 連想ゲームの要領で、コノエはかつて聞いた噂話を思い出す。休憩室で他のアデプト候補生が話していたのが耳に入ってきたことがあった。


 神様から力を借りると、その晩に神様の夢を見ることがあると。魔力を貰うときに神様との間にパスが繋がるらしい。そのときに後ろめたいことがある者は、神様が夢に出てきて、こんこんと説教をされるのだとか。


 まあ、もちろん噂だし、信憑性はない。

 今回も気分がいいだけで神様は見ていないし……というか事実だったら、惚れ薬奴隷ハーレムなんて考えている自分が説教されないはずがない。


(……神様は)


 コノエは、神様を想う。

 真っ白な神様。人ではなく、その上の存在。天上のお方。


 ……だから、だろう。

 コノエは、神様を疑えない・・・・


 対面していると、つい緊張がほぐれる。目の前の笑顔は、その優しさは、言葉ではないが故に、心に直接伝わって来る。コノエにとっては生まれて初めての感覚。それ故にコノエは何度も神様の元へ通って――。


「――いや、それは、いいか」


 コノエは頭を振る。そして思考を打ち切って、起こしていた体をまたベッドに横たえる。

 そして大きく息を吐いた。今日はもう少しゆっくりしていても許される。何せ大仕事を終えたばかりだ。雇い主テルネリカからもしっかり休んでくれと言われていた。


「……」


 ……一応、もう一度魔物の気配を確認して、人の動きも見て。

 緊急事態が起きていないことを真面目に確認する。そして、もう一度コノエは大きく息を吐いた。


「……ふぅ」


 改めて、コノエは体から力を抜く。

 初仕事は、思ったよりも大事になった。


 最初の計画では、こうじゃなかった。

 まあ、計画というほど大層な見通しはなかったけれど、もう少し楽な仕事というか……どこかで死病の診療所でも開いて、金を稼いでいこうか、なんて思っていた。


 ゆっくり金を稼いで、今年中に目標が達成出来ればいいかなと。

 それが、あれよこれよと言ううちに、町全体の救援だ。


 なぜこうなったのかと言えば、あのときあの子テルネリカを抱えたからで。


「……」


 ……まあ、後悔するような事ではないけれど。

 自分にだって、人を助けられたことを喜べるくらいの善性はあるのだ。コノエは己のことをそう思っている。


「……まあ、なんにせよ」


 なんにせよ、目標はもう目の前だ、

 二十日と少し後には金貨千枚が入ってくる。屋敷も買えるし、奴隷も買える。薬もそれほど高くはないだろう。


 コノエの薬物奴隷ハーレムは、すぐそこまで来ていた。

 そうだ、今度こそ、コノエは――。


「……ん?」


 と、そんなことを考えていると、ノックの音が部屋に響く。


『コノエ様。テルネリカです。もうお目覚めでしょうか』

「……ああ、覚めてるよ」

『着替えをお持ちしました』


 入ってもよろしいですか、と言うテルネリカに、どうぞとコノエが返す。

 コノエはベッドから起きて、軽く頭と寝巻を整える。そして扉が開くのを見届けて――。


「――?」

「コノエ様、こちらをどうぞ」


 ――あれ、と思う。コノエはテルネリカを二度見する。

 テルネリカはそんなコノエに笑顔で畳まれた服を差し出して


「……コノエ様?」

「……ああ」


 揺れるフリルに、白と黒のエプロン姿。

 ロングのスカートが、テルネリカの動きに合わせて揺れていた。


 ……コノエは何度か瞬きをする。

 何故ってそれはテルネリカがメイド服を着ていたからだ。


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