第8話 初陣


「……ぇ……え!?」

「……」


 慌てるテルネリカを己の影に隠しながら、コノエは部屋の中を見る。

 瘴気が漂い、紫がかった視界の中には、まだ数匹の魔物がいる。


 先程殺した魔物と同じ巨大な狼――狼魔ガルムと呼ばれている魔物だ。

 冒険者ギルドの等級では中級。まあ等級なんて参考程度にしかならないけれど、とにかくそのくらいの魔物だった。


 その魔物達は警戒するように唸っている。コノエに向けた視線を逸らそうとせず、しかし、少しずつ後退している。

 そしてその中の一匹、一歩下がるその足元にはまだ生きている人間が――。


「――」


 ――コノエは足を踏み出す。次の瞬間には部屋の向かい側。扉の前にいる。

 その直線から弾かれるようにして全てのガルムが吹き飛び、壁の染みになる。


「……君はこの部屋に」

「は、はい」


 コノエは部屋の中にいた生き残りに治癒魔法を飛ばしつつ、テルネリカに待機するように指示する。そして廊下へと飛び出して――。


「これは……」


 ――眉を顰める。厄介なことになっている、と思う。

 廊下は、人の死体とそれを食らう魔物で埋め尽くされていた。


(……やはり、結界は完全に破られているのか)


 廊下に蔓延る魔物共を拳で一息に殴り殺しながら、ため息を吐く。

 何か特殊な方法で入り込んだのではなく、街を守る結界――都市結界は完全に突破されているようだ。


 加えて、転移門まで侵入を許している。転移門は基本的に城の中にあり、城は防衛拠点でもある。

 つまり今魔物で埋め尽くされているここは、城下に住まう民が、最後に逃げ込むところだった。


 ……それがこの状態ということは。


(……これはもう駄目かもしれない)


 城の中に満ちている瘴気の濃度も高い。薬があっても、一日も経たないうちに死病を発症してしまうような濃度。

 テルネリカには悪いが、もう生き残りなどほとんどいないのではと。


「――ん?」


 そこで城内部の索敵をして気づく。

 城の奥。大きな広間。謁見の間に当たるような場所に人の気配がある。それも十や二十じゃない。数千を超えるような生命反応があった。


「……まさか、避難が成功しているのか?」

 

 謁見の間の扉の前では、大きめの魔物の反応と、それに抵抗する人の気配が――。


「――っ」


 ――息を飲む。速度を上げる。転移門周辺の魔物を一掃する。

 そして、謁見の間へと向かって走り出す。


 城を全力で駆ける。しかしその途中には道を塞ぐように魔物共がいる。

 それをコノエは――。


 ――決壊したバリケードの瓦礫、そこに背を預けてヒトを食っていた豚鬼オークを瓦礫ごと殺す。群れを成し、騒いでいる矮鬼ゴブリンを叩き潰し、狼魔ガルムを率いて走る人狼ワーウルフを共々磨り潰す。玄関ホールを飛び回っていた翼人魔ハーピー共を空間ごと削り殺し、城の配管に潜み、内部から人を目指していた魔鼠まそ共に魔力を流し込み消し飛ばす。


 コノエに気付き、僅かな間に隊列を組んだ霊鎧リビングアーマーの中隊を鉄屑にし、壁に潜んでやり過ごそうとした浮霊ゴーストに魔力を叩きつける。逃げる吸血鬼の心臓を背中から胴体もろとも抉り抜く。


 道を塞ぐ魔物も、呆然とする魔物も。陰に隠れる魔物も。逃げ出す魔物も。

 その全てを皆殺しにしながら城を駆け上がって――。


 ――そして、僅かな間にコノエは謁見の間に辿り着く。

 この街の、おそらくは最後の防衛線。ここが破られればもう死ぬしかないような、そんな最後の扉。その前には数匹の巨醜鬼トロールと。


「おおおおぉおお!」


 一人の、騎士がいた。血にまみれて、片腕を無くし、片足を無くし、死病に侵され、魔力は枯れて、それでも立ち塞がる騎士がいた。ここは通さぬと、剣を手に叫ぶ男がいた。


 その男に、トロールが笑いながら手を伸ばし――。


 ――磨り潰す。焼き尽くす。

 トロールは生命力が強い。だから一片の肉片すらも残さぬように、コノエは腕に纏う生命魔法の出力を高める。塵一つも残さぬように殺し尽くす。


「……あ、なた、は」


 呆然と呟く男に治癒魔法をかけ、その奥の扉にも極大の治癒魔法を叩き込む。千を超える人がいてもある程度は治せる魔力を込めたので、きっと何とかなるだろうとコノエは思い。


「……掃討が終われば治療に入る。準備を」


 一声かけ、男の腕と足が生えてくるのを確認して、近くの窓に足を掛ける。

 そしてそこからコノエは外へと跳躍した。


 城の内部はある程度殺した。転移門と謁見の間の周辺は特に念入りに殺した。しかし――。


(……三匹)


 ――まだ、この魔物たちを統率する長がいる。

 城にいた複数種類の魔物たち。本来なら群れぬ魔物たちを無理矢理従えるだけの力を持った魔物が残っている。


 その強大な力に、コノエは転移門から出てきた瞬間から気付いていた。凡百の魔物など比べ物にならない圧倒的な力。

 冒険者ギルドの区分なら中級ガルムの三つ上、災害級に分類される魔物。それが、この街の周りに三匹いる。


 そしてその一匹こそが。


『GOOOOOOOOOOOOOO!!!!!』


 百腕巨人ヘカトンケイル数多あまたの腕を持つ、巨人である。

 瘴気色の空の下、身の丈が百メートルを優に超える大型の巨人が立っている。そいつは城から飛び出すコノエを狙い、拳を振り下ろしてくる。


 一つでも人の何倍もの大きさの拳。それが数十、コノエとその周辺を磨り潰さんと迫り――その拳は、城ごとコノエを粉砕できるような軌道を描いていた。明らかに狙っている。


 当然だ。こちらが最初から気づいていたように、あちらも最初からコノエに気づいている。

 上位の魔物は知能も高い。コノエが現れてからずっと、ヘカトンケイルはコノエを見ていた。その目的と弱みを探っていた。


 コノエが・・・・人を助ける・・・・・姿を見ていた・・・・・・

 故に、ヘカトンケイルはその助けた人ごとコノエを狙う。突如現れた強敵を打ち倒すために、使える手段を全て使ってコノエに相対する。


 超広範囲の攻撃がコノエに迫ってくる。避けてもダメ。撃ち落とすのも難しい。

 迎撃し、破壊した拳が一つでも背後に流れれば、謁見の間にいた人々がどうなるか分からない。それを止めたければ――。


「……顕現」


 ――消し飛ばすしかない。


 だから、コノエは一つ手札を切る。

 その全身から光が漏れ、刹那の内にコノエの右手に集まる。それはアデプトの生命魔法の極致。邪悪を滅ぼすために神より与えられた神威武装。


 ――聖十字槍うつろのやり


 コノエの右手に槍が現れる。それは白に染まっている。

 アデプトそれぞれに形と色が違う固有の武装。コノエのそれは、神様はじまりと同じ色をしていた。


『GU!!??』


 神威が放たれる。ヘカトンケイルの体が震える。拳の勢いがわずかに弱まる。それは拳を引こうとしたのか、避けようとしたのか。


 しかし、そのときにはコノエの準備は終わっている。

 十字槍は白雷を纏い、コノエの右手によって振りかぶられる。


「――」


 閃光が走る。視界を白が塗りつぶす。

 それは時間にすればごく僅かで――しかし確かにその力を世界に刻み付けた。


 光が消えた後、そこには膝から上が消し飛んだヘカトンケイルの姿がある。

 その莫大な質量は光に浄化され、塵と消えた。


「……」


 コノエは、その結果に一息――


「――」


 ――つけるはずがない。気を抜くなどありえない。

 だって、コノエは空にある気配をずっと警戒していた。


 この街にいた三匹の災害級。その二匹が残っている。

 姿を現さないままに、その二匹はずっとコノエを見ていた。ヘカトンケイルが拳を振り上げている間も加勢せずに、ずっと。しかしそれは逃げ腰だったわけではない。ただ勝機を探っていただけだ。


 ――だからこそ、二匹のうちの片方が動き出したのは、ヘカトンケイルが消える直前だった。

 コノエがヘカトンケイルに槍を放つその直前。


 つまりはヘカトンケイルですら、ただの囮だったということ。

 同じ災害級でさえ捨て石にするその正体は、コノエの探知が間違っていなければ、竜に分類される魔物だった。


 風をつかさどる竜、その下級種である。

 もちろん、下級種といえども人が油断などできる存在ではない。竜である。太古の昔より魔物の頂点に君臨し続けてきた最強種。


 その魔力は世界の理を支配する。

 風の竜なら、世界に満ちる大気を己の力とする。


 コノエは知っている。

 風の下級竜は、空気抵抗をゼロにできる。そして、そのゼロにした空気抵抗を己の推進力に変換できる。


 ――故に、その速度は音を優に超える。

 高度二千メートル。遥か上空にいた竜は瞬く間に加速し、音速の三倍へと到達する。体長十メートルを超える巨体が三秒と経たないうちに地上へ落ちてくる。


 巨人を討伐し油断した瞬間。いや、油断しなくても、体勢は崩れている。

 その一瞬のうちに人の視界の外側から襲い掛かる。それが風竜の必勝の策だった。


 コノエはヘカトンケイルを討伐した直後の腕を振りぬいた姿。武装も使い、手の中は空だ。

 風竜の企みは成功していた。コノエは確かに弱体化していた。


 ――だから、かの竜に一つ誤算があったとすれば。

 ――今、襲い掛かろうとしているのがアデプトだったということ。それだけであった。


 コノエに襲い掛かる竜は気付いただろうか。

 一秒の百分の一にも満たない僅かな時間の中で――コノエと竜の目は、確かに合っていた。


 コノエは、腕を振りぬいたままに跳躍する。

 高く跳び、魔力で空を踏みにじる。その足を軸に体を回転させて――。


「――――!!」


 竜にコノエの回し蹴りが叩き込まれる。

 それは竜の防壁も鱗も貫いて、体を完全に粉砕する。


 ――風の竜は己が敗北したことにすら気付かぬまま、街の外まで吹き飛ばされて森に落ちた。


「……」


 コノエは着地し、空を見る。

 その視線の数キロ先には三匹のうちの最後。もう一匹の竜がいた。


 その竜は、少しの間動かずにその場に留まって……コノエの視線に気づいたのか、旋回して去っていった。


「……無理、か」


 コノエは少し悩み、追わないと決める。

 それよりも先にするべきことがあった。


 コノエは城の中に入る。

 残った魔物の掃討と、治療をするために。


 治癒魔法を叩き込んだ結果だろうか

 謁見の間の方では人の気配が動き始めていた。


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