6話 望まぬ来訪者(侵入者)


 深皿によそって目の前に置いたポトフを、スプーンですくう。

 グリモアのそんな些細ささいな仕草にも、なんだか気品を感じて、背中に力が入る。

 

 スープをひとくち口に含んだ彼の表情は――変わらない。

 不安にかられた俺は、ごきゅんと喉を鳴らしてから、聞く。

 

「……どう?」

「なるほど」


 なるほど、て何!? 美味しいの、美味しくないの? どっち!?


「あたたかい、とはこういう感覚か。それに、舌の上に、さまざまな要素を感じる。これはなんだ? じわりと浸透するような」


 そうか! 初めての食事だった!


「それって、グリモアにとって、好き? 嫌い? 良い、悪いでもいい」

「良い」

「ああ~よかった! んじゃあ、こう言ってくれ。『おいしい』」

「うむ。おいしい。あの材料でこれが出来上がるとは。素晴らしい技術だな」


 目を細めながら今度は干し肉を食べるグリモアの、尖った耳の先がぴくぴくと動いている。

 もぐもぐしているから動くのか、おいしいから動くのか――ボケたばあちゃんの世話をしていたとき、意思や気持ちを確認したいが言葉が通じない時は、表情や仕草で様子をうかがっていた。その癖で、じっと観察してしまう。

 

「心配するな、シンの命は取らない」

「え!?」

「他の料理も、食べてみたいしな」


 グリモアなりの気遣い? に、思わず笑ってしまう。

 

「……そっか! 俺はまだこの世界のことを知らないから、色々教えてくれ」

「わかった。旅をしながら、説明しよう。わたしが知っていることも、少ないだろうが」


 なんだか、旅が楽しみになってきたぞ。


 そうしてふたりで食事をしていると、グリモアが険しい表情でいきなり立ち上がった。


「どした!?」

「侵入者だ」

「は!?」


 ぼん! とまた黒スライムになって、ビュン! と飛んでいく。


「えええええ……」


 ダイニングにぽつんと置いていかれた俺が思ったことは、侵入者が誰かってことや恐怖よりも、

「料理が冷める!」

 だった。


 


 ◇

 



 

「ひゃあああああ」

「うるっせ!」

 

 黒スライムのグリモア(めんどくさいから、と勝手に名付けた)が、親猫が子猫にするように首根っこをくわえて運んできたのは、白い魔導士ローブ姿の女の子だった。髪の色がピンクだし、大きな眼鏡をかけた目は、青い。またファンタジーな存在が現れたぞ、とワクワクよりめんどくさいの方が勝る。


 グリスラがダイニングで口を離すと、彼女はどさりと床に尻もちを突いた。


「いった!」

 

 涙目で腰をさする彼女は、座ったまま俺を見上げて驚いた顔をする。


「あなた! 異世界の魔物! 生きてる!?」

「はいはい。いきなり失礼なやつだな」

「ライナルト様は!?」


 ライナルト――紳士のフリして服を脱がせた男の名を、俺は絶対に忘れない。


「ここにはいないぞ」

「まさか……殺しちゃった!? ひどいーーーー! うわああああんーーーーー」


 勝手に泣き始めた。やっぱり俺の勘は当たった。めんどくさい。

 

「なに言ってんだよ、そもそも来てないって」

「うそつきいいいいひどいいいいいいい」


 それまでバサバサと飛んで様子を見ていたグリスラが、ぼん! とまたグリモアに戻る。


「ライナルトというのが騎士のことならば、わたしが訪問を許可していないからな。森で道に迷っているだけだ」

「えっ!」


 振り返った女の子は、グリモアを見てまたギャアアアアアと悲鳴を上げた。うるさい。

 

「お前は、解錠の魔法を使っただろう。だから連れてきた」


 女の子は泣きながら首を横に振り、説明も耳に入らない様子で、床に尻をつけたままじりじりと後ろへ下がる。ホラー映画で俳優がこんな演技をしたら、たぶん監督に「ありきたりだね」ってダメ出しされるだろう。

 

 動揺する彼女の代わりに、俺が聞いた。

 

「かいじょうの魔法って?」

「普通の人間は、城には入れないようになっている。それを唱えると、ここまで来られる」

「なるほど」

「誰か殺したい人間は、そうやって勝手にここに来る。今迷っている騎士は、無理やり入って来た」

「なるほどねえ!?」


 だから俺を運んできた騎士たちは、『付き添えるのはここまで』と言っていたのか。

 

「あたしは! ライナルト様を助けようと思って!」


 泣き叫ぶ女の子に、俺は言った。


「とりあえずさあ……あんた、誰? まず名乗れよ」


 この世界の人間って、基本無礼だよな。


「あ……エミー、です……」

「エミー。俺はシン。こいつはグリモア。腹減ってる?」

「え」

「見て分かるだろ。食事中だったんだ」


 ポカンとしたエミーから、きゅるるるると腹の音が聞こえた。

 

「ほう? お前にも腹の虫がいるのか」


 興味深そうに覗き込むグリモアに、エミーは飛び上がる。

 

「ぎゃあっ」

「……うるさいな……命、取るか」


 俺、危うく頷きかけた。あっぶね。


「グリモア! 一応ほら、ちゃんと話聞こうぜ。俺の時みたいに。な?」

「シンはうるさくない」

「俺はほら、あきらめてたからさ。エミー、静かにしような」

「……(こくこく)」

「腹減ってるだろ。そこ座れ」

「(こくこく)」


 必死に歯を食いしばって頷く態度を見ると、素直ではあるらしい。

 彼女が勢いよく立ち上がると、ローブの前合わせの中でバインと胸が揺れた。そこだけ遠近法バグってる。


「あー……あのさ、エミーって何歳? 俺は二十五」

「じゅう、はちです」

 

 ピンク髪で眼鏡のロリ顔で巨乳の、十八歳の魔法使い、ということになる。属性盛りすぎだろう。

 

「また、アニメかよ……」

「あに?」

「ああいや。待ってろ、すぐ持ってくる」


 立ち去りかけると、エミーがひっと息を止めた。

 斜め前にグリモアが座ったからだろう。だが当のグリモアはそれを無視して、スプーンを口に運び、眉根を寄せる。


「あ~……冷めたよな。温め直そうか」

「!」


 がたりと椅子から立ち上がったグリモアは、俺の分のスープ皿も持って歩いてきた。


「シンのも」

「うわ~、優しいな、グリモア! ありがとう」


 そういう俺たちのやり取りを見て、エミーが「えっ……仲良し……?」と驚いているが、面倒なので無視する。


 キッチンに戻った俺は、小鍋に一人分ずつポトフを戻して魔導コンロで温め直しながら、グリモアに言ってみた。


「なあグリモア。その道に迷ってる騎士だけどさ……知り合いってか、召喚されたときに助けてくれたんだ」


 服は脱がされたけど、庇ってくれたのは確かだ。


「何しに来たのか、話聞くだけでも……いいかな?」

「わかった」


 あっさり了承されたので、逆に驚く。

 

「いいの?」

「……今までここには、わたしを殺しに来る人間しか訪ねて来なかった」


 再び熱々になったポトフの入った鍋を眺めながら、死神は言う。


「シンを見て、違う者もいると思えた。だからいい」

「すげえ嬉しいけど。そんな素直に信じたら、騙されるよ?」

「大丈夫だ。その時は命を取ればいい」


 人は死んだら終わりだけど、死神の『傷ついた心』はどうなるのかな。

 俺には、そっちの方が心配だった。


「んじゃ約束してくれないか、グリモア」

「なんだ」

「俺がもしもお前を騙すことがあったら、理由を聞いてくれ」

「理由?」

「うん。俺が話す理由を聞いて、それでも騙されたって思ったら、殺していいよ」


 赤い目がぱちぱちと瞬く。


「わかった。理由を聞いてからにする」

「約束な!」

「約束」


 途端に、廊下に「ひゃあああああああああ」という悲鳴が響き渡る。


「!? なんだ!?」

「その騎士を、呼び入れた」

「はや!」


 驚いていると、ガシャガシャと何かの音が近づいてきて――


「シン殿っ! シン殿おおおっ!」


 開けっ放しのキッチンの扉から、聖騎士のライナルトが飛び込んできた。


「うわ~めんど」


 思わず口から本音が飛び出たのは、許して欲しい。

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