第2章 ジークハイドの教授【1】

 もうすぐ夏季休暇が終わる。他の攻略対象とヒロインに会う機会が増えれば、僕が本当に悪役令息ラゼル・キールストラと別人になったという確信が持てるようになるかもしれない。

 ゆうてもジークハイドとアラベルは家族だからね。人より許容範囲が広いのかもしれないから。家族内外で比べるのは大事なことだよ。

 秋の空気が混ざりつつある風を浴びながら、僕はふと思った。

 まだラゼルの魔法を試していない。

 アラベルと一緒に魔法学の勉強に熱中していたため、なんだかんだ魔法を試す機会がなかった。王立魔道学院に戻る前に、ラゼルの魔法の力を確認しておいたほうがいいかもしれない。

 そう思い立ち、屋敷の裏庭に向かった。キールストラ公爵邸の裏には規模の小さい演習場があり、簡単な魔法の練習ができる。魔法一族として成り立って来たからこその構造だ。助かる。

 演習場には的が設置されている。今回、試してみようと思っているのは、攻撃魔法「氷槍ひょうそう」だ。その名の通り、氷を槍にして攻撃する魔法で、難易度はそこまで高くない。まずは簡単な魔法から試していくのが安全だろう。

 的から五十メートルほど離れ、頭の中で氷の槍を降らせるイメージを固める。そうして振り上げた手に合わせて降り注いだ槍が、爆音とともに地面を抉り取った。

 さすが破滅を招く呪いの悪役令息……。キールストラ家の血筋も相俟って、凄まじく膨大な魔力量だ。この魔力の調整が上手くいかないうちは、全力で魔法を使用するのは危険すぎるようだ。

「何をしているんだ」

 呆れた声に振り向くと、ジークハイドが裏庭に出て来るところだった。先ほどの轟音を聞いて様子を見に来たらしい。

「学院生活が再開される前に、自分の魔法の力を試しておきたかったんです」

 素直に話した僕に、ジークハイドは目を細める。

「お前は魔法実習の授業もサボるくらい魔法を使っていないからな。魔法を極力、使わないようにしていただろう。だから魔力調整が下手でもおかしくはないな」

 ゲームでは授業の詳細は語られていなかったが、どうやらラゼルはサボり魔だったようだ。優秀な血筋を持っていたとしても、魔法は訓練しなければ上達しない。極力、魔法を使わないようにしていたのなら、確かにジークハイドの言う通り、魔法がまともに使えなくてもおかしくはないのだろう。

「そんな調子では怪我人を出す。自分の中の魔力のすべてを集中させるからそうなるんだ」

「確かに、全力で打ってました……」

「お前の魔力量なら、三割程度の出力でもいいくらいだ」

 そもそも僕はラゼルの魔力値を把握していないため、三割程度と言われても想像がつかない。まずは自分の能力値を確認するところから始めなければいけなかったようだ。

「……僕は、呪いの子という陰口を実力で黙らせようとは思っていないんです」

「そうだろうな。言われても気にしていないだろ」

 陰口や悪口は「言いたいやつには言わせとけ」の精神でいるから、言われていたとしてもあまり気にしない。ラゼルの「呪いの子」は、境遇と外見によって囁かれる陰口でしかない。現時点で破滅を招くことはないのだから、言われていても特に弊害はないだろう。

「でも、僕がまともに魔法を使えなければ、陰口は『キールストラ家の呪いの子は魔法をまともに使えない出来損ない』に発展します。キールストラ家にとって最悪の陰口です」

 キールストラ公爵家は優秀な魔法使いの血筋だ。それを活かすことで成り立ってきた。しかし、僕が魔法をまともに使えないとなると、その歴史に傷ができることになる。庶子であることは言い訳にはならない。キールストラ家の人間である以上、完璧とまでは言わずとも、魔法を使えるようにならなければいけないのだ。

「だから、魔法の練習を頑張ってみようと思うんです。家名のために」

 胡散臭かったかな、と考えていると、ジークハイドは小さく息をつく。

「被害を出さないために見張らせてもらう。怪我人を出されたり屋敷を破壊されたりしたら困る」

 僕にとって意外な言葉だけど、もしかしたらこれをきっかけにジークハイドと仲良くなる好機かもしれない。ジークハイドは優秀な魔法使いに違いない。見張りついでに教えてもらえば、良好な関係を築く第一歩になるかもしれない。ジークハイドが教えようという気になるかはわからないが、接点を増やすことが大事だ。アラベルをいじめなくなったことで、ほんの少しだけ警戒心が薄くなったようにも感じている。この機会を逃す手はない。

「魔力の出力を三割に抑えてやってみろ」

 ジークハイドの言葉に従い、僕はまた指先に意識を集中させる。この時間も短縮できれば、いざというとき魔法を放つのが早くなるだろう。そうなるのが理想的だ。

 とにかくいまは、魔力の出力を抑えることだ。ジークハイドに見張られていて少し緊張するけど、慣れたら気にならなくなるはず。

 僕は意識の集中を解き、的に向けて氷槍を発動する。しかしそれはまた爆発的な威力となり、地面を抉り取った。それでも、さっきよりはマシになった気がする。

「魔法のセンスがないようだ。実習をサボって正解かもしれないな」

 ジークハイドが冷たく言い放った。そんなに言わなくてもいいのに。

「でも、いずれ必要になるときがあるはずです。自分の身を守るためにも……」

 もしかしたら、ヒロインが僕を破滅させるために攻略しようとして来ることがあるかもしれない。ラゼルには破滅の運命しか存在していない。それを楽しむヒロインの可能性もゼロではないだろう。

「身を守るため?」

「あ、いえ、なんでもないです」

 平和で治安の良いこの街で、身を守る手段が必要になるほど危険な目に遭うことはそうそうない。それこそ、破滅の運命にある人間でなければ。



   *  *  *



「魔力回路を意識してみるといいかもしれないよ」

 助言を求めたアラベルは、魔法学の参考書を開きながら言った。

「魔力回路?」

「人間の中には、血管のように魔力が張り巡らされているんだ。それが魔力回路だよ」

 妹の設定語りでは聞いたことがない単語だ。妹が重要視していなかったのかもしれないが、ゲーム上では明記されていない設定なんかもあるのだろうか。製作陣内では存在した設定、とかもあるのかもしれない。

「魔力回路すら知らないとは」

 冷ややかなジークハイドを適当に流し、僕はアラベルに続きを促す。

「魔力の流れを意識すれば、放出量を調整できるよ。自分の中の魔力の流れを掴むところからかもしれないね」

「なるほど……。意識したことないけどできるかな」

 意識したことないどころか、以前は魔力すら持っていなかった。

「魔力は集中すれば感じ取れると思う。血流とは違う流れが体の中にあるはずだよ」

「そうか……。やってみるよ。ありがとう」

 アラベルの微笑むはだいぶ警戒心が薄くなったように見える。僕がアラベルを虐げることはないと、わかってくれているのかもしれない。それに合わせてジークハイドも徐々に警戒を解き始めているような気がした。まだまだ心を開くには程遠いだろうけれど。


 湯浴みを済ませベッドに入ると、僕は仰向けになって自分の体の中に意識を集中させた。なんとなく、血流とは別に温かいものが流れているような気がする。ラゼルには魔法の知識はあるはずで、自身の魔力を感じ取るくらいの能力はあるようだ。

 このまま目を閉じていると、そのまま寝てしまうなんて古典的な展開があるわけ……――







 あるんだよな、これが。

 気付いたときには朝日が昇り、カーテンの隙間から広い寝室を照らしている。結局、魔力回路の存在は掴めたんだか掴めてないんだか、その結果すらわからないというしょうもない結末となった。


 朝食の席に着くと、僕はアラベルに言った。

「寝る前に魔力の流れを探ってみたよ」

「どうだった?」

「快眠だった……」

「……そっか……」

 アラベルはなんとも言えない表情をしている。そうなることがわかっていたような、はたまた呆れたような。きっとどちらもだ。そうなると思っていたが本当にそうなるとは、といったところだろう。

「魔力の調整は、魔法を使っていくうちに掴めるよ。練習すれば身につくはずだよ」

「そう……。頑張るよ」

 優秀な魔法使い一族の名門キールストラ公爵家の血筋である以上、おそらくアラベルも僕より魔法が上手く使えるだろう。それは当然だ。僕自身は魔法を使ったことがないし、ラゼルは授業をサボってまで魔法を使わないようにしていた。アラベルより未熟であることは間違いないだろう。せめて練習だけでもしてくれていれば話は変わっただろうに。

 朝食を終えると、僕はさっそく演習場に出た。もうすぐ王立魔道学院での生活が再開される。授業には真面目に出たいし、魔力の調整くらいできるようになっておかなければついて行けないだろう。

 ひとまず魔力の流れを掴むところからだ。魔力の存在はなんとなく感知できたし、あとは魔力の比重を意識するだけだ。

 五十メートル先の的を見据えつつ、体の中の魔力を感じながら目を瞑る。魔力の流れを意識して、それを放出する際のイメージを頭に浮かべた。

 見知った景色で例えると、川が下流に向かうほど細くなっていく、というようなことかな。細くならないと水門を通れない、みたいな。水門と魔法を置き換えて、集中させた魔力を最適な量で放出する……。

「いたっ」

 左肩に手刀が落とされるので、僕は思わず声を上げた。何事かと振り向くと、ジークハイドが小さな攻撃をして来たようだ。

「なんですか!?」

「隙だらけだな」

「練習中なんだから隙だらけで当たり前じゃないですか!」

 これが実戦だったら危険な隙になるが、練習中は集中せざるを得ない。そうしなければ、僕はまだ魔力を操作できないのだから。

 それにしても、こうしてジークハイドが邪魔して来るとは思っていなかったな。僕にはまったく関心がないと思っていたけど、そういうわけではないみたいだ。

「まさかそこまでできないとはな。できないからサボっていたのか?」

「サボるからできなくなったんです。血筋としてはもっと上手くできるはずなんですから」

 キールストラ公爵家の直系の血筋であるジークハイドとアラベルには敵わないだろうが、僕にも半分はその血が流れている。申し訳ないことに、実母の血筋がどれほどの魔法使いだったかは覚えていない。それでも、半分でもキールストラ家の血が流れていれば、本来ならもっと巧みに魔力を操れたはずだ。

 僕がまた練習に戻ろうとすると、ジークハイドが僕の左肩に手を置く。その手のひらから、何か温かいものが体の中に流れ込んで来るのを感じた。

「魔力の流れを感じ取れ」

 ジークハイドの手を介して、僕の体内を魔力が循環する。意識を集中させると、流れの規則性が見えてきたような気がした。

「魔法を放出する寸前、出力を抑えることをイメージすればいい」

「ホースで水を撒くときに口を指で窄める感じですね」

「まあそれでもいいが」

 ジークハイドが何が不服なのかはわからないが、そうイメージするとなんとなくわかりやすい。ジークハイドのガイドを頼りに氷槍を発動する。地面を抉るほどの威力は出なくなったが、まだ的を大破させてしまうほど激しい一撃だった。

「まだ出力が高いな。いまので五割程度だ」

「これで五割……」

 いまでもだいぶ抑制したつもりだったが、操作感がまったく足りていないらしい。前世の世界には魔法どころか「魔法に似たもの」すらない。体から自発的に放出するもので、目に見えない念とはまた話が違う。魔法は到達した瞬間に物理的な力になる。同じ物理でも打撃とはまったく違うのだから、僕にはこの短期間で掴むのは不可能なのではないかとすら思ってしまう。

「だが、これである程度はわかっただろ。あとは勝手にやってくれ」

「はい。忙しいのにありがとうございます」

 僕が微笑みかけると、ジークハイドの眉が微かに震えた気がした。

「屋敷を破壊されても困るからだ」

 素っ気なく言い放ち、ジークハイドは屋敷へ戻って行く。

 案外、ツンデレタイプなのかもしれないなあ。

 なんにしても、助言してもらえるのはありがたい。そうでなければ、五割にすら到達しなかっただろう。魔力の絞り方はなんとなくわかった気がする。あとはひたすら練習するしかない。

 それにしても、ラゼル・キールストラの肉体を使っているのにここまでできないとは。いまは精神が違うけど、体に染みついた感覚でもっと使えると思っていた。僕が魔法を上手く扱えなくてもジークハイドとアラベルが怪しむ様子はないし、ラゼルはよほど魔法を使っていなかったようだ。

 ラゼルはキールストラ家を嫌っていたような気がする。なんとなくその感覚が残っている。だから魔法を使わなかったのかもしれない。その鬱憤を晴らすためにアラベルを虐げていたのではないだろうか。将来的に父と義母を殺すのも、何か恨みのような気持ちがあるのだろうか。

 ジークハイドはそれに気付いていたのかもしれない。警戒していたのは、そのためだったのだろうか。そうだとしたら勘が鋭すぎるようにも思うけど、あの洞察力の高そうな視線はなんでも見抜いてしまうような、そんな気がした。





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