第5章【2】

「イェレミス研究所の研究内容を見抜けなかった失態は、娘である私が手ずから解決することでプラマイゼロよ」

「このあとはどうなるのですか?」

「順当に行けば、イェレミス研究所で大量にウイルスを取り込んでクリーチャー化した所長と戦うわ」

「どういった戦いになるか、殿下にはお伝えしたほうがよろしいのでは?」

「そうね……。殿下とレイラさんには伝えておきましょう」

 クリストバルとレイラを追い、ふたりの入って行った部屋を覗くと、ふたりは何やら神妙な面持ちで話している。ベアトリスが壁の陰に隠れると、ニーラントも身を潜めた。

「ですが、ベアトリス様とのご婚約は……」

「正式な決定事項ではない。それに……ベアトリスは、なんと言ったものか……王妃という座に収まる人間ではない、と言うべきか……」

 言い淀むクリストバルに、何が言いたいのかしら、とベアトリスは眉をひそめる。ニーラントを見遣ると、笑いを堪えているような顔をしていた。

「……彼女のことを、私は妹のように思っている。私の婚約者として縛り付けるよりも、もっと自由に生きるべきだ。なにせ、ああいった性格だし」

 クリストバルが苦笑いとともにそう言うとレイラも小さく笑うので、どういう意味よ、とベアトリスは低く呟いた。ニーラントは堪えきれなくなったようで、肩を震わせている。

「そもそも、ベアトリスが私との婚約を了承するはずがないよ。だから……レイラ。私と結婚してくれ」

 優しく手を取り、クリストバルが静かに、しかし力強く言う。レイラの空色の瞳が揺れた。

「ですが……私は平民です。殿下とは釣り合いません」

「身分がすべてではないよ。平民が王宮に召し上げられた実例はいくらでもある」

「それに私、光の魔法くらいしか取り柄がありません」

「充分だよ。私はこれほど助けられているのだから。きみの力はベアトリスも認めているんだよ。自信を持っていい」

 認めると言ったつもりはないけど、とベアトリスは眉根を寄せる。

「……本当に、私でよろしいのですか……?」

 レイラは徐々に涙声になる。クリストバルは優しく微笑んだ。

「きみがいいんだ。他の誰でもない。私は、レイラにそばにいてほしいんだ」

「……はいっ……!」

 そのとき、レイラを眩い光が包む。それは一瞬で弾けて消え、クリストバルとレイラは顔を見合わせて首を傾げた。

「お嬢様……」

「ええ。これで、レイラさんが『聖なる祈り』を発動させるための準備が整ったわ」

 物語はクライマックス。レイラをもうひとつの発動条件であるレベル三十まで育てれば、あとは所長との戦いが待つのみである。

「ですが、レイラ嬢が『聖なる祈り』を使えるなら、お嬢様は戦わなくてもいいのではありませんか?」

「私が戦いを前に大人しくしていると思う?」

「……思いません」

 ニーラントの言いたいことはわかる。だが、いまさら身を引くことはできない。レイラは「聖なる祈り」を使えるようになったとは言え、まだひとりで完璧に戦えるとは言えない。

「所長は『聖なる祈り』だけでは倒せないわ。先に弱らせる必要があるの」

「討伐隊に任せれば……」

「さっきも言ったけど、イェレミス研究所の研究内容を見過ごしたのはお父様の失態よ。娘である私がその後始末をする必要があるわ」

「…………」

「だけど、これで作戦を決められるわね」

 まだ何か言いたそうにしているニーラントの視線を断ち切り、ベアトリスはクリストバルとレイラの前に進み出た。

「よろしいかしら」

 肩にかかる髪を払って言うベアトリスに、クリストバルとレイラは取り合っていた手をわたわたと離す。ふたりともどこか気まずそうだ。

「最後の作戦会議といきたいのですけれど」

「あ、ああ、そうだね。広間に戻ろう」

「はい!」

 ベアトリスに見られていたと思ったのか――実際に見ていたが――、ふたりの頬は赤い。ぎくしゃくとしながらべトリスより先に広間に向かって行く。

「いまさら何をまごまごしているのかしら」

「イチャついていたところを人に見られていたら、気まずくもなりますよ」

「いまさらすぎて腹が立ってくるわ」

「まあまあ……」

 広間で待っていたふたりは、それまでの雰囲気を消して真剣な表情を浮かべている。

 ふたりに歩み寄り、ベアトリスはひとつ咳払いをした。

「諸悪の根源はイェレミス研究所の所長ですわ。所長は自ら大量にウイルスを取り込み、クリーチャー化します。所長を倒さない限り、ゾンビは消えませんわ」

「所長は強いんですか?」

「いままでの中で一番に強いと思っておいて間違いないわ。そして所長を倒すためには、あなたの祈りの力が必要になるわ」

 ベアトリスの言葉に、レイラは目を丸くする。

「何を驚いているの。いままでだってそうだったじゃない」

「あ、いえ……いままでは、あくまで補助だと思っていたので……」

「なんという甘い認識。研究所ではあなたが主戦力よ。そのつもりでいなさい」

「はい……!」

 レイラは自分の魔法に随分と自信がついたようだ。嫌味を言い続けた甲斐があったというものだ、とベアトリスは満足して頷く。

「研究所ではクリーチャーも大量に湧いて来ます。クリーチャーをショットガン、雑魚ゾンビをライフル及びサブマシンガンで殲滅いたしましょう」

「わかった」

「後発隊のおかげで弾は充分にあります。出し惜しみをする必要はないでしょう。手榴弾、閃光手榴弾、赤いドラム缶を駆使すれば戦いが優位に進みますわ」

 このアイテムとトラップの有用さは、いままでの戦いで証明できたはずだ。おそらくイェレミス研究所の至るところに赤いドラム缶はあるだろう。

 クリーチャーの中で最も強敵なのが、ディルクとウォンスだ。他のクリーチャーには名前すらついていないため、さほど苦戦しないはずだ。

「広まった場所や赤いドラム缶のある場所では、強いクリーチャーが出て来ると思っておいて間違いはありませんわ。狭い通路では大量に雑魚ゾンビが湧きます。基本的にそれを頭に入れておけば問題ありませんわ」

「はい!」

「所長は最も広い場所で出て来ます。隠れ場所と赤いドラム缶があるはずですわ」

「……ベアトリス。きみはどうしてそんなことを知っているんだい?」

 騎士のファルハーレンに問い詰められたとき、クリストバルとレイラはベアトリスを庇った。だが、口にしなかっただけでずっと引っかかっていたのだろう。

「……さあ」ベアトリスは肩をすくめる。「そんなこと、いまとなってはどうでもいいことではありませんこと? 街を救えればそれでいいのですから」

「……そうだね。すまない、続けてくれ」

 前世でゲームとしてプレイしたから、などと言えるわけがない。信じてもらえるとも思っていない。ベアトリスの知識と行動が証明になるかもしれないが、わざわざいま言う必要はないだろう。

「まずは銃器部隊と私たちで所長を弱らせます。レイラさんは適宜、光魔法を。けれど、できるだけ魔力を温存しておいて」

「わかりました」

「きっとまた天啓が下るわ。そのとき、強く祈るのよ」

「はい!」

「そんなところですわ。では、ニール。お邪魔虫は消えましょ」

 くるりと背を向けてベアトリスが言うと、クリストバルとレイラは揃って赤面して言葉に詰まる。ニーラントは恭しく辞儀をして、ベアトリスに続いた。

「もう少し、ですね」

 ニーラントがどこか緊張した声で言う。

「ええ。そろそろ私もお役御免だわ」

「……あの……」ニーラントが言いづらそうにしながら口を開く。「殿下とレイラ嬢が結ばれるのは、悪役令嬢の邪魔も一因なんですよね?」

「え? ええ、そうね」

「悪役令嬢はそれによって破滅するんですよね?」

「そうよ? なに?」

「結ばれてしまいましたが、おふたり」

「……ほんとだわ?」

 目を丸くするベアトリスに、ニーラントは苦笑いを浮かべる。

「おかしい。悪役令嬢はもうとっくに死んでいてもおかしくないわ」

「それというのは、つまり、お嬢様は悪役令嬢ではなかった、ということではありませんか?」

「……そんな馬鹿な」

 ベアトリス・セランは間違いなく悪役令嬢だ。そして自分はベアトリス・セランで間違いない。なぜならセラン侯爵家の一人娘だからである。悪役令嬢はヒロインからも攻略対象からも敬遠され、間抜けにもゾンビの群れの真ん中で足をもつれさせて転ぶ。

「……あっ!」

 ベアトリスが急に声を上げるので、ニーラントが目を丸くする。

「どうされましたか?」

「ここに来る前の戦闘! きっと、あの群れの中で私は足をもつれさせるはずだったのよ!」

「……無事に切り抜けましたね」

「ああー……なんてことなの。悪役令嬢が生き延びてしまうなんて……」ベアトリスは頭を抱えた。「そもそもプレイヤー感覚でいたのがいけなかったのよ。でも私がいなければ王子の討伐隊は全滅していた……。私は間違ったことはしていないわ!」

「……よかったです、お嬢様が生き残られて」

 ニーラントが安堵したように言う。ベアトリスはぽかんとその顔を見つめたあと、息をついて気を取り直した。

「安心するのはまだ早いんじゃない?」

「……そうですね。まだ終わっていませんね」

「だいたい、おかしいのはあなたよ、ニール」

 突然に矛先が自分に向くので、えっ、とニーラントは思わず間抜けな声を漏らす。

「悪役令嬢ベアトリスは、両親以外の屋敷中の者に嫌われているのよ」

「私もですか?」

「もちろん。ところが、どう? 私、嫌われてる?」

「いえ、まったく。お嬢様を嫌っている者は、まず侯爵家では働けないかと」

「大袈裟よ。従者ニーラントは悪役令嬢ベアトリスについて行かないわ! どうしてあなたはついて来ているの!」

「え……お嬢様が連れ出した、からです……」

「違う! あなたが連れて行ってくれと言ったからよ!」

 なぜそんなに怒っているのだろう、とニーラントは首を捻る。よくよく思い出してみれば、確かに自らベアトリスの供を申し出た。だがそれは当然なのではないだろうか。どこに主人をひとりで死地に向かわせる従者がいるだろうか。

「えっと……悪役令嬢として破滅していないことが、そんなにお気に召しませんか?」

「当たり前でしょ。悪役令嬢がいるからヒロインと攻略対象は結ばれる! それが乙女ゲームというものよ!」

「うーん……。つまり、事実は小説よりも奇なり、ということではないでしょうか……」

「……まあ、いいわ。私だって死にたかったわけではないし。でも安心するのはまだ早いわよ。研究所内だってゾンビの群れに遭う確率が高いんだから。まだ死亡フラグは折れてないわ」

 悪役令嬢として破滅する気満々でいたが、もし生き残ることができれば、両親を悲しませずに済む。あの両親のことだ。ベアトリスが無事に帰って来たら大泣きして抱き着いて来るに違いない。両親の笑った顔がもう一度でも見られるのなら、それはとても良いことのように思う。

「ですが、お嬢様が異世界からの転生者だったのは、偶然とは思えませんね」

 ニーラントがつくづくと言う。ふむ、とベアトリスは顎に手を当てた。

「そうね……。もしこれが他のプレイヤーだったら、ここまで導けなかったかもしれないわね。あらゆるサバイバルホラーゲームをプレイし尽くした“私”がベアトリスになったから、この街は救われる……。まさに神の御心ね」

「きっと、この街を救うために神に遣わされたのですね」

「大袈裟だわ。きっとたまたまよ。だけど、自分の故郷を守れることは、とても誇らしいことだわ。必死に強がって来た甲斐があるってものよ」

「…………」

「さて、最後の素材回収に行きましょう」

 ニーラントが口を開こうとするのを、ベアトリスは手を叩いて遮った。

「できれば魔力の回復薬を多めに確保したいわ。レイラさんにきりきり働いてもらうことになるでしょうしね」

「……承知しました」

 ベアトリスには、これ以上は話すつもりはなかった。




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