第4章【3】

 翌日。手早く支度を済ませたベアトリスは、クリストバルの前に地図を広げた。レイラを始め、ファルハーレンとラルフ、ヴィンセント、各隊の隊長が一様に覗き込む。

「次のセーフハウスまでの最短距離はこの道ですわ。道中、いくらでもゾンビは湧いて来ますし、クリーチャーも出現すると思っておいて問題はないと思います」

「クリーチャー……」と、クリストバル。「ゾンビが進化した個体だったね」

「ええ。大勢で移動していますと、ステルスキルは使えません。クリーチャーにはそもそも効かない技ですし。クリーチャー戦に備えて、弾薬はできるだけ温存したほうがよろしいかと」

「では、騎士・魔法隊を前線に立たせよう。ショットガンが貴重なのであれば、銃器部隊にはライフルを使用させたほうがいいかもしれないね」

「そうですわね。雑魚ゾンビにはライフルで充分ですわ。クリーチャーが出現したら、ショットガンで一気に攻めましょう」

 そう話しているあいだに、後発隊が到着した。騎士ふたり、魔法使いふたり、銃器部隊が十人いる。クリストバルが銃器部隊の補充を王宮に伝えていたのだろう。各自ショットガンを持参しており、戦力は確実に強化されつつある。

 クリストバルが討伐隊に作戦を伝えに行くと、レイラがベアトリスのもとへ来た。

「あの……私も前線に立って戦います!」

 気力充分と言うようにレイラが拳を握り締めて言うので、ベアトリスは呆れて深く溜め息を落とす。レイラは不安げに眉尻を下げた。

「光魔法を完全に使いこなせていないあなたが前線に立っても、ただ邪魔なだけよ。正直なところ迷惑だな。無駄死にしたいの?」

「ですが……」

「寝言はよしてちょうだい。あなたは私に守られていればいいのよ」

 毅然と胸を張るベアトリスにレイラが頬を染めるので、しまった、とベアトリスは自分の失態にようやく気付いた。いまの台詞は、攻略対象が言うべきものだ。

「は、はい! よろしくお願いします!」

 自分の失態を省みつつ、ベアトリスは思考を巡らせる。これはもしかして百合ルートを開拓しているのでは、と。

(まあ、もし、万が一、これが百合ルートであったとしても、私がプロポーズまがいのことを言えばいいのよね)

 そんなことを考えて、ベアトリスは頭を抱えた。

(ヒロインと悪役令嬢の百合ルートなんて、二次創作じゃないんだから)

 悪役令嬢ベアトリスとヒロイン・レイラの百合展開はゲームでは実装されていないが、二次創作でよく見かけた。悪役令嬢がヒロインの光魔法で助かる場合と、悪役令嬢が死ぬ悲恋の場合のふたパターンがお決まりだ。少なくとも、ベアトリスはレイラと恋をするつもりはない。そこはクリストバルに頑張ってもらわなければならないし、ベアトリスは先のような台詞を自粛しなければならない。いずれ死ぬのだから、レイラの思い入れを断ち切らなければならないのだ。

 気を取り直して、ベアトリスはクリストバルに言った。

「次のセーフハウスにも民がいるかもしれません。次の後発隊を準備しておいてくださいませ」

「わかった。手配するよ」



   *  *  *



 セーフハウスを出ると、ゾンビは次々に湧いて来る。騎士・魔法隊は先にベアトリスが伝えていた通り、素早く背後に周り足を斬り落とし、炎の魔法で一気に焼く。ゾンビは足が遅い。熟練の騎士の速度について行けるわけがないのだ。

 ゾンビの一団を倒したとき、ニーラントがベアトリスに耳打ちした。

「殿下がレイラ嬢にプロポーズするタイミングはご存知なんですか?」

「ええ。大きなイベントは三個。昨日の王子がレイラを励ますのがひとつ目よ」

「お嬢様が励ましてしまいましたが……」

「邪魔をするのが悪役令嬢の役目よ」

「…………」

 ニーラントが渋い顔になる。言いたいことはわかる。ベアトリスは、自分が百合ルートを開拓している可能性を自覚している。

「最後のひとつはプロポーズよ。ふたつ目のイベントもそのうち起こるはずだわ」

「そうですか」

 五体のゾンビを討って進んだ先は、噴水広場だった。通常時であれば、噴水の水飛沫のもとに美しい花々が並ぶ空間だ。

「騎士・魔法隊は退避を! 銃器部隊はショットガンに替えなさい!」

 ベアトリスがそう言うと、クリストバルがいち早く反応する。彼が手を後ろに振り上げるのに合わせ、騎士・魔法隊は銃器部隊の後方に退避する。銃器部隊はライフルからショットガンに持ち替え、ベアトリスが見つめる先に警戒し構えた。

「ニール、このライフルを使いなさい」

 隣に並ぶニーラントに言い、ベアトリスはライフルを押し付ける。自身はショットガンを手に、その時を待った。

 ずん、と重い足音が聞こえる。建物の影から姿を現したそれに、銃器部隊は一瞬だけ怯んだ様子だったが、すぐに気を持ち直した。

 醜い顔に落ち窪んだ目が、ぎょろりと一行を捉える。巨体から溢れる咆哮を上げるクリーチャー・ディルクに、ベアトリスは開戦一番に手榴弾を投げつけた。その爆発を合図に、銃器部隊が一斉射撃を始める。

「レイラさん、祈りなさい!」

「は、はい!」

 怯んでいたレイラは、ベアトリスの声で我に返った様子で手を組む。深呼吸をして目を瞑ったレイラを、淡い光が包み込む。

 ディルクが一直線に一団に向けて駆け出した。

「散開! 噴水を盾にディルクと距離を取りなさい!」

 ベアトリスは銃器部隊に命じ、一団を抜け出す。ベアトリスが一発を撃ち込むと、ディルクが彼女を振り向いた。ディルクが繰り出した重い拳を、回避行動で寸でのところで躱す。そのあいだに、噴水を盾にする銃器部隊が一斉に撃ち込んだ。

 手榴弾をもうひとつ投げ込み、ベアトリスはレイラを見遣る。彼女の祈りは安定しているし、攻略対象たちが彼女を背にしているから問題はない。自分が引きつければ、このまま光魔法を発動できるだろう、とベアトリスは考える。ファルハーレンも剣を手にレイラを背に庇っているが、騎士である彼は戦いに出ることはできない。

 ディルクが重い一撃で噴水を破壊した。銃器部隊の若い者が怯んだ様子を見せる。

「怯むな!」と、クリストバル。「レイラが魔法を発動するまで、彼女を守れ!」

 その声に鼓舞されたように、銃器部隊は再びショットガンを構える。その力強い射撃に、ディルクは徐々に押されていく。

 そのとき、レイラから溢れた光が大きく膨れ上がった。それは波動となって辺りに広がると、ディルクを飲み込んで吹き抜ける。ディルクの体は一瞬で塵となり消えていった。

 銃器部隊が歓喜の声を上げる。空を仰いで息をつくベアトリスに、ニーラントが駆け寄った。

「お見事でした、お嬢様」

「ありがとう。まあ、なんとかなったわね」

 討伐隊のほうを見遣ると、クリストバルがレイラを称賛するように手を取っている。微笑み合うふたりだが、ふとベアトリスの視線に気付いたレイラが、彼女を振り向いて満面の笑みを見せた。

「ま、及第点ってとこね」



   *  *  *



 次のセーフハウスでは、十数人の民が救援を待っていた。ベアトリスとクリストバルの登場に、安堵し涙を流す者もいる。

「お嬢様、我々は助かるのですね……」

 そう言って目元を手で覆った男性は、侯爵家に頻繁に出入りしている商人だ。

「ええ。みんな、よく耐えたわね。もう大丈夫よ」

 優しく微笑むベアトリスの言葉に、女性たちは抱き合って涙を流す。民が極限の状態で助けを待っていることは明白だった。

「ベアトリス」クリストバルが言う。「セーフハウスはあと何軒あるんだい?」

「ここと、次のセーフハウスで最後ですわ」

 そう言って、ベアトリスはひたいに手を当てた。

 これまで救助して来た民は百にも満たない。おそらくほとんどが自ら街を出たのだと思われるが、救援を待つ民の数が少なすぎる。次のセーフハウスでどれほどの民が待っているかはわからないが、やはり多くの民が犠牲となったのだ。

 沈痛なベアトリスの表情に、クリストバルが彼女の肩に手をやる。

「ベアトリス、自分を責める必要はない。きみはよくやっている」

「ですが、私がもっと早く――いえ、なんでもありませんわ」

 自分がもっと早く記憶を取り戻していれば、死なずに済んだ民もいただろう。この転生が神の思し召しなら、なぜもっと早く気付かせてくれなかったのだろうか。いくらゾンビを倒そうが、民を救えなければ意味がない。

「ベアトリス様」

 レイラが真剣な表情でベアトリスの手を取った。いつもの柔和な雰囲気と違い、強い意志を湛えた瞳でベアトリスを見つめる。

「救えなかった人がいるのは確かです。でも、逃げた方はもっとたくさんいるはず。みなさんが帰る場所はこの街です。ベアトリス様は、みなさんが安心してこの街に戻るために戦われるべきです。ベアトリス様には、それだけの力がおありなんですから」

「……――」

 レイラの手は、自責の念で冷たくなっていたベアトリスの手を温める。希望の光を湛えた青い瞳に射抜かれ一瞬だけ言葉に詰まったが、小さく息をついて冷たくレイラの手を振り払う。

「あなたに言われるまでもないわ。生意気な口を利くようになったじゃない」

 つんと澄まして言うベアトリスに、レイラは安心したように微笑んだ。




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