第4章【1】

 後発隊が到着したのは、翌日の午前九時のことだった。ベアトリスが戦い方を伝えたことにより、速やかに銭湯をこなして辿り着くことができたようだ。

 討伐隊の一部を昨日に保護した母子の護衛につかせ、残りの討伐隊で次のセーフハウスを目指す。支度を終えると、クリストバルを中心に作戦会議が行われた。次の後発隊はすでに王宮を発ったと言う。

 ベアトリス、ニーラント、レイラ、ヴィンセント、ラルフはその様子を眺めながら各々の準備をする。

「しかし、驚いたな」

 ヴィンセントが感心したように言うので、ベアトリスは首を傾げて先を促した。

「きみがライフルを扱えることも驚きだが、ゾンビの知識も完璧だ。侯爵家ではそんな教育を受けているのかい?」

「ええ、いろいろな教育を受けているわ」

「きみのおかげでレイラちゃんの光の魔法も安定してきているようだし、きみがいなければ、きっとこの街も壊滅していたな」

「どうかしらね」

 物語はレイラと攻略対象だけでゾンビを倒していく。レイラはレベルが上がるごとに光の魔法の威力が高まる。しかし、現実に経験値は存在しない。そんな仕組みシステムはないのだ。物語ではどれほどの犠牲が出ただろうか。討伐隊のことは詳しくは書かれていない。彼らの勝利がどれだけの犠牲の上に成り立っているかは、考えたくもないことだ。

「ベアトリス様がいらっしゃれば、もう怖いものなんてないですね!」

 レイラは明るく笑う。その輝く瞳は攻略対象に向けてほしいのだが、とベアトリスは小さく息をついた。

「だけど」ラルフが言う。「レイラも、光の魔法を発現させたばかりなのに、クリストバル殿下の討伐隊に参加したのも勇敢だ」

「そうだね」と、ヴィンセント。「怪我で済めばいいほうと言える中、民を助けるために立ち上がったきみは立派だよ」

「えへへ……ありがとうございます」

 ベアトリスには、出会いたてにしてはふたりの好感度がある程度はあるように感じられた。物語では、レイラが経験値を上げることで好感度の上がり幅も大きくなっていく。ベアトリスがいる分、レイラの熟練度の上昇が早いと見られる。このままの調子でいけば、誰かのルートに入るのにそう時間はかからないだろう。

「でも、ベアトリス様がいらっしゃらなければ、私はいつまでも役立たずだったかもしれません……」

「その可能性もあっただろうね」ヴィンセントが言う。「そういう意味でも、ベアトリス嬢にライフルの覚えがあってよかったよ」

 ラルフも同意するように頷く。その賞賛は自分には不要なのだが、とベトリスは小さく息をついた。それから、確かに、と口を開く。

「レイラさんの魔法は未熟だわ。早く使いこなせるようになって、少しくらい役に立ってちょうだい」

「はい! 頑張ります!」

 レイラが明るい笑みで拳を握り締めるので、ベアトリスはまた溜め息を落とした。どうやら嫌味を嫌味と思わないことだけは熟練度が上がっているようだ。

「お嬢様も魔法は使えますよね」ニーラントが言う。「魔法のみで倒すことはできないのですか?」

「魔法だけで倒すことができるのは光の魔法だけよ。それに、ゾンビには魔法より物理よ」

 ライフルを構えて見せながら言うベアトリスに、ニーラントは苦笑いを浮かべる。

「説得力がすごいですね……」

「それなら」と、ヴィンセント。「俺かきみが魔法を使う感覚を教えれば、もっと上達するのかな?」

「光魔法は他の魔法と違うの」

 ベアトリスの言葉に、四人は揃って首を傾げる。

「他の魔法に必要なのは魔力で、光魔法に必要なのは心。発動条件が違うの。私に教えられることは何もないわ」

 その割には懇切丁寧に教えているが、とニーラントは思ったが、それは心のうちに留めておいた。

「みんな、準備は整ったかい」

 クリストバルの問いに、五人は頷いた。

「では出発しよう」

 その言葉にベアトリスが真っ先にセーフハウスを出ようとすると、そんな彼女をクリストバルが慌てて制止する。

「ベアトリス、前衛は我々に任せてくれないか?」

「ですが、私がご案内いたしませんと……」

「次のセーフハウスの場所は把握した。それに、女性を前線に立たせるわけにはいかないよ。きみのことを我々に守らせてほしい」

 その台詞は自分ではなく隣にいるレイラに向けてほしいのだが、とベアトリスは心の中で呟いた。せめて悪役令嬢らしく返すか、と。

「失礼ながら、私のほうが隊員より強いと存じますけれど」

「だからこそ、もし前線に立ってきみが死にでもしたら困るんだ。最後まで我々を導いてほしい。我々にはきみの力が必要だ」

「…………」

 ベアトリスは小さく息をついた。クリストバルが温和でありながら頑固な人物だということは知っている。これ以上なにを言っても聞き入れないだろう。

「承知いたしましたわ。前線はみなさまにお任せいたします」

 彼女が折れたことで、クリストバルは安心したように微笑んだ。

 銃器部隊を先頭に隊列を組み、セーフハウスをあとにする。レイラとベアトリス、ニーラントと攻略対象の四人の後ろに騎士、魔法隊が続いた。

 ゲームでは、最終的にクリストバルと最も好感度の高い攻略対象、そしてレイラでラストステージに挑む。詳しい描写はなかったが、討伐隊は道中で壊滅、もしくは民を送るために離脱するのだろう。後発隊はなかったようだ。なぜ討伐隊をラストステージに連れて行けないのか、というレビューがついているのを見たことがある。討伐隊を連れて行けば、戦いはもっと楽になるはずなのだ。

「殿下」ベアトリスは言った。「民を避難させたあとはどうなさるのですか?」

「原因を突き止め、それを排除しなければならないだろうね」

「……ゾンビ化ウイルスを拡散したのは、イェレミス研究所ですわ」

 ベアトリスがそう言うと、クリストバルはぎょっと目を丸くする。

「どうしてそんなことを知っているんだい?」

「イェレミス研究所は不老不死の研究をしていました」

 問いかけを流して話を続けるベアトリスに、クリストバルは一瞬だけ怪訝な色を浮かべたが、真剣な表情になって続きを促した。攻略対象たちもベアトリスの言葉に耳を傾けている。

「その研究は、ゾンビ化することによって不老不死の体を手に入れることはできました。解決のためには、イェレミス研究所を焼くしかありません。まあ、噂話からの推測ですわ」

「……わかった。すべての民を避難させ次第、研究所に向かう」

 ヒロイン・レイラが「聖なる祈り」を発動させるのがイェレミス研究所だ。イェレミス研究所に入る前、攻略対象がレイラにプロポーズする必要がある。レイラが現在、誰のルートに入っているかは判然としないが、おそらくクリストバルのルートに進むだろうとベアトリスは考えている。しかし、プロポーズには程遠い。イェレミス研究所に行くまではまだ時間がある。それまでにふたりの好感度を上げるために尽力しなければならないだろう。

「なぜそんなことを知っているのかはわからないが」ラルフが言う。「確かな情報なら話が早くてありがたいな」

「イェレミス研究所ね……」と、ヴィンセント。「確かに後ろ暗い施設ではあるな」

「王宮の監査が定期的に入っているが」ファルハーレンが言う。「実態までは掴めていなかったということだな」

「悪い研究所だったんですね!」レイラが眉をつり上げる。「それで街をこんなことに……」

「研究所なんて大抵どこもそんなものだわ」ベアトリスは言った。「本当の意味で後ろ暗さのない研究所なんて存在しないのではなくて?」

 レイラは正義感に満ちた表情をし、攻略対象たちも街を救うという強い意志を瞳に湛えている。これだけ戦力が揃っていれば負けることはそうそうないとも言えるが、抑制力によって離れ離れにならないとも限らない。警戒は強く保つに越したことはないだろう。

 ベアトリスの伝えた道順で、一行は次のセーフハウスを目指す。このまま順調に進むことができれば、ベアトリスが助けに来ると約束した民のいるセーフハウスに辿り着くことができるはずだ。

 そのあいだにも、ゾンビがわんさか湧いて来る。討伐隊は滞ることなくゾンビを討ち、ベアトリスの出番はさほど多くなかた。

 しかし、問題はレイラだ。レイラはなかなか光魔法を使いこなせず、戦闘に役立てることができない。じれったさに我慢が利かなくなったベアトリスは、ついにレイラの腕を引いた。

「私を助けたいと祈りなさい。討伐隊は手出し無用よ」

 五体のゾンビに向かって行くベアトリスに、クリストバルが制するように手を伸ばした。ベアトリスはその手を振り払い、ライフルを構える。そのあとにニーラントも続いた。一体をヘッドショットで沈め、レイラをちらりと見遣る。彼女は両手を組み、真剣に祈っている。ベアトリスが回避行動で攻撃を躱したとき、レイラを輝く白の光が包み込んだ。その光は波動となり、身を浄化するような温かい風が辺りに吹き抜けた。三体のゾンビは掻き消されるように塵になり、この一帯のゾンビは殲滅したと思われる。

「やればできるじゃない」

 嫌味ったらしく言うベアトリスに、レイラは表情を明るくした。

「ありがとうございます! ベアトリス様のお力になりたいと祈ったらできました!」

「あら、光栄なことだわ」

 肩をすくめ、ベアトリスとニーラントは隊列に戻る。危険なことをするな、と咎めるクリストバルに、ベアトリスはまた肩をすくめてそれを流した。

「見事なものだね」ヴィンセントが言う。「光の魔法のことをよくわかっているみたいだ」

「これでレイラも、俺たちも安心だ」

 明るい表情のラルフに、レイラは安堵したように微笑んだ。

「お嬢様」ニーラントが声を潜めて言う。「あまり単独で戦いに出ないほうがいいのではありませんか?」

「あら、どうして?」

「戦いに出ると、お嬢様がゾンビ化する確率が上がるのでは……」

「ああ、そんなこと。もうそれは悪役令嬢の運命なんだから諦めなさい」

「ですが……」

「いいこと、ニール。私が死ぬことより、レイラさんを育てないことのほうが損失よ。どちらが民のためになるか考えてみなさい」

「…………」

 ニーラントは納得していない様子だったが、ベアトリスは髪を払って話を切った。



   *  *  *



 セーフハウスに到着すると、ベアトリスとニーラントが先頭に出る。ニーラントがゆっくりと開いた扉の隙間から、ベアトリスは呼びかけた。

「みんな! 私よ!」

 民が安堵の声を漏らすのが聞こえる。どうやら無事のようだとベアトリスも胸を撫で下ろした。建物内に入ったベアトリスに、子どもが飛びついて来た。

「ベアトリスさま! おかえりなさい!」

「無事でよかった。誰も欠けていないわね?」

 ベアトリスの問いかけに、民は一様に頷いた。

 彼女の後ろから現れたクリストバルに、民は今度は目を丸くする。

「クリストバル王太子殿下!」

 慌てて姿勢を正そうと数る民を、クリストバルは手振りで制した。

「みんな無事でよかったよ。よく耐え抜いたね」

 民の一部が嗚咽を漏らす。助かるのだと確信し、安堵したのだろう。

「殿下の隊がみんなを王宮へ送ってくださるわ。みんな、準備をして」

「ベアトリスさまは?」

 子どもが不安げに見上げるので、ベアトリスは優しくその頭を撫でた。

「私は一緒には行けないわ。まだ助けなければならない民がたくさんいるの」

「……ベアトリスさまもあとから来る?」

「ええ」

「また会えるよね?」

「もちろん。それまで元気にしてるのよ?」

「うん! 待ってるね!」

 民の数は十数人。騎士三人、魔法使い三人、銃器部隊の八人がつけられることになった。次の後発隊はすでにこちらに向かっているが、残されることになったふたりの銃器部隊は不安そうにしていた。しかし、何より民の安全が最優先だ。この自分がいる、とベアトリスは胸を張る。ベアトリスの戦闘能力の高さを知っているふたりは、決意を新たにしたように頷いた。

 避難隊を見送るとき、老齢の女性がベアトリスの手を取った。

「ベアトリスお嬢様の無事をお祈りいたします。どうか……どうか、必ず生きてお戻りください。またその笑顔を、私に見せてくださいませ」

「ええ、必ず生きてまた会いましょう。あなたたちも、どうかご無事で」

 ニーラントは、なぜこのお嬢様が悪役令嬢に、とそんなことを考えていた。物言いがきついことはあるが、民を愛し民に愛され、侯爵家の娘として責務を全うしている。レイラに対しても、本人は嫌みを言っているつもりのようだが、その実、励ましているだけだ。そんなベアトリスが、なぜ悪役令嬢として破滅するのだろうか。なぜゲームなどという物の力でそんな運命が決められているのだろうか。ベアトリスが悪役令嬢だなんてことはあり得ない。それは、幼い頃から近くで見ていたニーラントが一番よく知っている。だから、なんとしても破滅を阻止しなければならない。

 民を見送ると、クリストバルが口を開いた。

「みんなは休憩していてくれ。私は王宮と連絡を取る」

 部下たちの返事を聞いて家屋の奥に入って行ったクリストバルを追いかけ、レイラもリビングルームから出て行った。残されたファルハーレンと部下、ヴィンセントとラルフは今後のことを話し合うらしい。

「これは好機よ、ニール」

 拳を握りしめて言うベアトリスに、ニーラントは首を傾げた。

「なんのです?」

「ついて来なさい」

 ニーラントの手を引き、ベアトリスもリビングルームをあとにする。クリストバルとレイラの姿は隣の部屋にあった。

「クリストバル様、私……みなさんのお役に立てているでしょうか……」

 どうやらレイラはクリストバルのルートに入ったらしい、とベアトリスは考える。そうなるだろうと予測はしていた。

「充分だよ、レイラ。きみは私たちの希望だ。ともに頑張ろう」

「……ですが、まだ魔法も使いこなせてなくて……」

「まだそんなことを言っているの?」

 厳しい声で言いながら、ベアトリスはふたりの前に進み出た。ふたりは驚いて目を丸くする。ベアトリスは構わず続けた。

「民のために戦うと誓わなければ、祈りの力は満たされないわ。あなたは光の魔法くらいしか取り柄がないのだから、自信を持たなくてどうするの?」

 背後でひたいに手を当て苦笑するニーラントには気付かないまま、ベアトリスは肩にかかる髪を払った。

「期待外れ菜ことを言わないでちょうだい。あなたはなんのためにここにいるの?」

「……! この街の方々を助けるため、です」

「わかってるんじゃない。じゃあ、何をうだうだと考えているの」

 レイラの瞳に一筋の光が宿る。それから希望に満ちた表情でクリストバルを振り向くので、おや、とベアトリスは首を傾げた。

「クリストバル様。私、この街のみなさんを救いたいです。そのために頑張ります!」

「その意気だ、レイラ。ともに頑張ろう」

「はい!」

 にこにこと微笑み合うふたりに、ベアトリスはニーラントを肘で小突いた。

「私、嫌味を言ったはずなんだけど」

「励ましておられるのかと思いました」

「…………」

 はあ、と深く重い溜め息を落としたベアトリスは、勝手にしてちょうだい、とふたりに背を向ける。あまつさえレイラが感謝の礼を言うので、ベアトリスは頭を抱えた。

「どうしてあの子には嫌味が効かないのかしら……」

「もう無駄ですよ。レイラ嬢の信用を得てしまっているのですから」

「どこに悪役令嬢に信頼を寄せるヒロインがいるって言うのよ……」

「もう諦めましょう、悪役令嬢は」

「駄目よ。悪役令嬢がいなければ物語は成立しないんだから」

 ニーラントには何が問題なのかわからなかった。レイラはベアトリスのおかげで光魔法のコツを掴みつつある。それはクリストバル含め討伐隊も同じことだ。そして自身も戦闘能力の高いベアトリスにみな、信頼を寄せている。このままなら、おそらく街をゾンビから救うことができるだろう。それとも、イェレミス研究所で待ち受ける敵が、ベアトリスの命を脅かすほどの強敵なのだろうか。ベアトリスが負けてしまえば、こちらには勝ち目がなくなる。それほどまでに重要な人物だと言うのに、なぜわざわざ悪役令嬢となって破滅しようとしているのだろうか。ニーラントには不可解でならなかった。






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