第2章【1】

 翌日、朝七時。

 セーフハウスを出る支度をするベアトリスとニーラントに、この家にあった衣類を民が持って来てくれた。走り回りゾンビと戦い続けたふたりの服は一日でぼろぼろになり、ベアトリスは自分でもみすぼらしいと思っていた。

「とにかく寄り道しないで隣町に向かいましょう。運が良ければ王子の討伐隊と合流できるかもしれないわ。王太子殿下の御尊顔は知ってるわね?」

「もちろんです」

「討伐隊と合流することになったら、おそらくゾンビと戦いながらになると思うわ。合流できたからと言って油断しないで」

「承知しました」

 着替えを済ませてライフルを背負うと、ベアトリスは民に言った。

「必ず戻って来るわ。みんな、それまでどうか耐え抜いて。必ずあなたたちを助けに来る。約束するわ」

 昨日はあれほど怯えた表情をしていた民たちだったが、それが一変している。希望に満ち、瞳に色が戻っている。これなら大丈夫、とベアトリスは微笑んだ。きっと彼らは、ベアトリスが戻るまで耐え抜いてくれる。

「ベアトリスお嬢様。こちら、お嬢様のお役に立つかと……」

 そう言って、女性が小ぶりな水色のポーチをベアトリスに差し出した。首を傾げつつ受け取ったベアトリスは、その中身を確かめて女性に微笑んで見せる。

「ありがとう。とても役に立つわ」

 女性は安堵したように表情をほころばせた。

「なんですか? それ」

「あとで説明してあげるわ」

「ベアトリスさま!」子どもが駆け寄って抱きついた。「ベアトリスさまにお守り作ったの!」

 そう言って、子どもは折り紙の花をベアトリスに差し出した。桃色の大きな花弁の、拙いがとても可愛らしい花だ。

「ありがとう。大切にするわね」

「ぜったいにまた会おうね。約束よ?」

「ええ、約束ね。それまで元気でいるのよ?」

「うん!」

 子どもの頭を撫で、ベアトリスは民に背を向けた。いってらっしゃいませ、どうかご無事で、と口々に言う民の声を受け、再び気の抜けない世界へ赴く。すべての民を救うまでは、生き延びなければならない。

 セーフハウスの扉がしっかり閉まったことを確認してから、ベアトリスは息をついた。

「励ますことができたようで安心したわ」

「お嬢様のおかげで生気を取り戻したようですね」

「あとは、なんとしても王子の討伐隊をここへ導くわ」

「承知しました」

「それにしても……」

 歩き出しながら言うベアトリスに、ニーラントは首を傾げた。

「あなた、ジャケットじゃないと随分と雰囲気が変わるのね」

 ベアトリスが悪戯っぽく笑って言うと、ニーラントはどこか気恥ずかしそうに頬を掻く。彼が身に着けていたジャケットはぼろぼろになってしまったため、民が持って来てくれた平民の服に着替えたのだ。

「お嬢様の御前なのに、申し訳ありません」

「あら、いまはそんなことを気にしている場合ではないんじゃない? それに、似合ってるわよ?」

「そうですか……。なんとも、妙な感じです」

「ふふ。平民の服を身に着けて銃を手に……。これじゃ、誰がどう見ても貴族の家の者だなんて思わないわ」

「そもそも、貴族のご令嬢がゾンビの討伐になんて出ないですからね……」

「そうね。私じゃなかったら出ないでしょうね」

 民の希望に満ちた顔を見て、転生してよかったとベアトリスは思った。自分の力が誰かの役に立つのだと、それを証明されたような気分だ。それと同時に決意を新たにした。民を救うまでは死ねない。

 チュートリアルが終わってからと言うもの、確実にゾンビの数が増えた。それでもベアトリスの敵ではなく、弾を補填しつつ歩みを進める。ニーラントもだいぶ慣れた様子で、ベアトリスのライフルを逃れた個体を的確に仕留めた。

「ニール、ごらんなさい」

 武器屋の陰から前方を覗き込んで、ベアトリスは言った。

「あのゾンビ、手榴弾を持っているわ」

 五体が群れている中に、手榴弾を手にしているゾンビがいる。他の四体が虚な目でふらふらと歩き回っているのに対して、手榴弾のゾンビはしっかりと立っていた。武器を持つゾンビは他の個体と比べて体幹が強い、というのがベアトリスの持論だ。

「あれも知恵のあるゾンビですか」

「そうね。でもね、この世界の手榴弾には気を付けないといけないわよ」

「どういうことですか?」

「まず、セーフティーピンがないの」

「……え?」

 ニーラントが素っ頓狂な声を上げるので、ベアトリスはにやりと不敵に笑って見せる。

「いくら知恵があると言っても、ゾンビがセーフティーピンを抜いて手榴弾を投げる、なんて器用な真似ができるわけがないでしょう?」

「セーフティーピンがない手榴弾って……もう持っている時点で爆発しませんか!?」

「それがホラゲというものよ。この世界の手榴弾は、投げれば爆発する、衝撃を与えなければ爆発しない。それだけよ」

「そんな……」

「というわけで、あの手榴弾を入手するわよ」

「どういうわけですか!?」

 器用にも小声で叫ぶニーラントに、ベアトリスは微笑みかけてライフルを構える。手榴弾を持つゾンビに照準を合わせ、ニーラントが次の言葉を発する前にトリガーを引いた。弾着すると同時にゾンビの手の内で手榴弾が弾け、爆風を辺りに撒き散らせる。

「爆発させてしまいましたが……」

 袖で口元を隠しつつ、ニーラントが困惑したように言った。

「ええ。ゾンビを倒して落とした手榴弾を頂戴するのよ」

「…………」

 ニーラントが眉をひそめて黙り込むので、ベアトリスは肩をすくめる。

「アイテムってそういう物なの」

 ハンカチで鼻と口を覆い、ベアトリスは爆発の中心地に向かった。地面には思った通りに手榴弾とハンドガンの弾薬の箱が落ちている。ほら、と拾って見せると、ニーラントは溜め息とともに肩を落とした。

「ゲームってなんでもありなんですか……?」

「そういうものよ。生きてるゾンビから手榴弾を奪うよりマシじゃない?」

「そもそもセーフティーピンのない手榴弾を入手しようと思わないですよ……」

「手榴弾は便利なのよ」

「はあ……そうですか……」

「使い方だけれどね、ただ投げればいいから。下手投げで投げるのよ。ただ投げれば爆発するわ」

「落としたりしたらどうするんですか……」

「大丈夫よ。さっき民にマジックパックをもらったわ」

 ニーラントが怪訝な表情のまま首を傾げる。ベアトリスは、先のセーフハウスで民に持たされた水色のポーチをニーラントに見せた。

「これはマジックパックと言って、アイテムボックスと同じ効果を持った入れ物よ。空間魔法が使えない者が持ち歩く物ね。ちなみに、セーフハウスにあるアイテムボックスとも繋がるわ」

「……本当になんでもありですね……」

「なんでもありじゃなければ困るの。サバイバルホラーゲームはアイテムが重要よ。アイテムがなければ負けるわ。けれど、マジックパックはこの世界独特の物ね。どこでもアイテムボックスに繋がるなんて、無双できてしまうもの。ゲームの難易度を下げるための措置ね」

「はあ……そうですか……」

 ニーラントは、もう何も言えない、と言うように項垂れた。ゲームのシステムにはいまだに慣れないようだ。よくもまあ毎度そんなに驚けるものだわ、とベアトリスは心の中で呟いた。

「つまり、そのマジックパックに入れておけば、手榴弾を落として爆発させてしまう、ということを防げるのですね」

「そういうことよ。このゲームは比較的に手榴弾の入手率が高いわ。そこまで節約を意識しなくても大丈夫よ」

「わかりました」

 マジックパックが入手できたのは、ベアトリスにとって僥倖であった。ヒロインは攻略対象からプレゼントされることで入手できるが、それを逃せば手に入る確率はぐんと下がる。サバイバルホラーゲームに慣れていないプレイヤーへの救済措置であるが、ベアトリスは入手することをほとんど諦めていた。それは、ヒロインにしか発見することができないためである。

 ほどなくして、ふたりは足を止めた。道が瓦礫で塞がっている。迂回するにも住宅街で、他の路地がどこへどう繋がっているか、さすがにベアトリスでも把握していない。

「うーん……どこだったかしら……」

 辺りを見回すベアトリスに、ニーラントは首を傾げた。

「どうされました?」

「この辺は確か、中を通れる店があるはずなの」

「どこでも通れるのではありませんか?」

「他の店は瓦礫や商品で道が塞がっているのよ。たぶんガンショップがあるわ。探してみて」

 ニーラントはベアトリスより背が高い。ベアトリスより視野が広いかもしれない。

 周囲を見まわしたニーラントが、あ、と北側を指差す。

「あれだと思います」

「さすが、私より頭ひとつ分でかいだけあるわ」

「褒めてます?」

「もちろん」

 ニーラントが指差した方角へ向かうと、看板が崩れかけたガンショップが待っていた。ゾンビの襲来に遭い、壁はあちらこちらが崩落している。店内も棚が倒れ、商品が床に散乱していた。

「新しい武器があるかもしれないわ。探しましょう」

「承知しました」

 ニーラントと二手に分かれて店内を捜索して行くが、どの武器も使い物にならない状態だった。床に落下した衝撃で破損した物が多く、武器として機能する物はない。

 新しい武器は諦めるしかなさそうだ、と息をついたとき、顔を上げたベアトリスは思わず声を上げた。

「え!?」

 その声に、ニーラントが即座に彼女のもとへ駆けつけた。

「いかがなさいましたか?」

「……これ……」

 ベアトリスは、自分の目の前に浮かぶものに息を呑む。

「ステータスウインドウだわ……」

「え? なんです?」

 ニーラントは訝しげに首を傾げる。彼には見えていないのだ。

 ベアトリスの目の前には、よくゲームで見かける四角いウインドウが浮かんでいる。アイテムの説明やステータスが書かれるものだ。不透明なそれが、宙に浮いて見えるのだ。

「これもチートスキルってわけね……」

「どういうことですか?」

「いま、私のここに半透明の板が浮かんで見えているの」ベアトリスは目の前を指差す。「これがステータスウインドウと言って、とても便利なものなのよ」

「はあ……そうですか……」

 ステータスウインドウの見えないニーラントには、ベアトリスの言っていることが理解できないようだった。

 こんなチートスキルまで授けるとは、この世界の神はよほど自分にこの街を救いたいらしい、とベアトリスはぼんやりとそんなことを考えた。

 浮かび上がった説明文をもとに棚を漁ると、そこにあった物にベアトリスは口端を上げる。

「ニール、天は私達の味方をしているみたいよ。ごらんなさい」

 ベアトリスが取り出した物に、ニーラントはぎょっと目を丸くする。

「ショットガンですか!?」

「ご名答。ただし、弾が三発しか装填されていないわ」

 ステータスウィンドウには銃弾の残数が表示されている。このショットガンは使い物になるようだが、三発しかないので使いどころは厳選する必要がある。まだショットガンの弾はさほど多く手に入らないだろう。

「そんな物までお嬢様は取り扱えるんですか……?」

「おそらくね。手榴弾に続いてショットガンを入手できたのは僥倖だわ。ショットガンさえあれば怖いものなしと思っておいて問題ないわ」

「そうですか……」

「とりあえずマジックパックに入れておきましょう」

 ショットガンを小さいポーチにしまうベアトリスに、ニーラントがつくづくと言った。

「お嬢様……本当に逞ましいですね……」

「ホラゲ脳を甘くみないでちょうだい」

 ガンショップを出てしばらく。襲い来るゾンビに銃弾を浴びせ、背中を見せるゾンビにはステルスキルをお見舞いし、群れるゾンビには手榴弾を投げ込む。そうして一時間ほど進んだ小休憩のとき、ニーラントがふと言った。

「本当は王太子殿下とは教会でお会いする予定だったんですよね」

「そうね。ヒロインと一緒に民を助けにいらっしゃるわ」

「その物語と違う行動を取っても問題はないのですか?」

 ベアトリスとニーラントは、シナリオとは大きく外れた行動を取っている。ゲームの抑制力で縛り付けられることがあるかもしれないが、現時点ではそれは確認されていない。

「おそらく問題はないわ。私たちはこの世界に生きているのだし、生きている人間が自分の意思で行動を起こすことになんら問題はないはずよ」

「そうですか……」

 その意思も、ゲームの抑制力に遭遇していない場合の話だ。いまのところは抑制力に動かされることはない。ゲームの抑制力がどれほどの効力を持つのかはわからないが、自分の意思ではないものを自分の意思だと思い込むこともあるかもしれない。そう考えると、非常に恐ろしいものである。

「……悪役令嬢の運命なのかもしれないけど、私だって死にたくはないのよ」

「お嬢様……」

「足掻けるだけ足掻いてみたいの」

「……お供します」

「ありがとう」

 いつか、ゲームの抑制力に負ける時が来るかもしれない。少なくとも誰かの役に立つ死に方なら本望だ。できればニーラントが巻き込まれることがなければいい。

「ですが、ヒロインという子は王太子殿下と一緒にこの街を目指しているんですよね?」

「そうね」

「そのヒロインという子に会ってしまうと、お嬢様は悪役令嬢になってしまうのではありませんか?」

「どうかしらね。正直なところ、私にもわからないわ」

「もしそうなってしまうと、討伐隊と合流するのは危険ではありませんか?」

 ニーラントはおそらくゲームの抑制力を恐れている。いまのベアトリスは悪役令嬢にはなり得ない。だが、ゲームの抑制力が加わると、そうでなくてもそうなってしまうこともあるかもしれない。ラノベ知識によると、ゲームの抑制力に逆らって悪役令嬢にならないどころかヒロインと仲良くなるというパターンが半分、ゲームの抑制力により悪役令嬢ではないのにそう仕立て上げられてしまうというパターンが半分だ。残念ながら、ベアトリスの知識ではゲームの抑制力について言えることはない。

「わからないわ。でもね、ニール。私には、あなたたちにはない知識があるの」

「ええ、それはもう充分に」

「その知識を活かさず、教会でじっと待っているだけなんて私にはできないわ。私の知識は、誰かを救えるの」

 ベアトリスの持つ知識は、転生者でなければ得られないものだ。例えヒロインと出会うことにより破滅を迎えるとしても、この知識を活かさないわけにはいかない。

「私の知識でまだ救える命がある。そのためにヒロインと会うのよ」

 ゲームの抑制力があれば、ベアトリスに会わなくてもヒロインは「聖なる祈り」を使えるようになるだろう。これがただのゲームの世界であったなら、それを待つこともできた。だが、いまのベアトリスにとってはここは現実。助けを待つ民をこれ以上、苦しませるわけにはいかない。ベアトリスなら、いわゆる「最短ルート」へ導くことができるのだ。

「ちなみに、ヒロインの名前はレイラよ」

「可愛らしい名前ですね」

「追加ダウンロードコンテンツではあなたも攻略対象なのよ」

「なんですか、それ……え?」

 ベアトリスがさらりと流れるように言うと、ニーラントは聞き慣れない言葉に首を傾げたあと、目を丸くした。

 すべてのルートでニーラントはほとんど出番がない。しかし、なんと言っても彼は顔が良い。彼に一目惚れしたプレイヤーは多かった。そのため、追加ダウンロードコンテンツとしてニーラントルートが選べるようになったのだ。

「お嬢様が私を連れて教会を出るシナリオではないんですよね?」

「ええ。あなたのルートでは、私は教会に辿り着けなくて死ぬわ。追加ダウンロードコンテンツは本編とはかなりかけ離れたものになるわね。私が生きて教会に辿り着けたということは、あなたのルートではないということね」

 ニーラントは絶句している。その表情がおかしくてベアトリスが笑っていると、彼はようやく我に返った。

「待ってください。お嬢様はともかく、私を討伐隊に加えてどうするんですか?」

「あなたのルートでは、あなたは銃の達人ということになっているわ。私の仇を討つためにって参加するのよ」

「……それで、ヒロインと恋に落ちるんですか……」

「そうね。けっこう人気あるのよ、あなたのルート」

「…………」

「さて、休憩はこれくらいにしましょう」

 そう言って歩き出すベアトリスに、ニーラントは呆然としたまま続く。

 ゲームの世界と現実は、大きくかけ離れている。ゲームでは四人に加えてニーラントもヒロイン・レイラと恋に落ちる可能性があり、ベアトリスはどのルートでも死ぬ。ゲームの世界が現実となったいまその仕組みには疑問が浮かんで来るが、ゲームとはご都合主義で成り立っている。この世界にとって都合が悪いなら、記憶を取り戻していようがなんだろうが、ベアトリスは死ぬのだろう。それが逃れられないなら、せめて誰かの役に立ってから死にたい。せっかく知識があるのだから、活かさなければ勿体無いというものだ。




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