第3章【1】

「イリーちゃん、将来の夢ってなに?」

 魔法実習の授業のため校庭で講師を待っていると、エンリケがそう話し掛けて来た。エンリケのグループは教本を見て今日の課題を選んでいるようだが、ゲームと違わぬ自由人のようだ。

「卒業後は伯爵家に戻って兄の補佐をします」

「それは目標でしょ。何かやりたいことはないの?」

 エンリケはとにかくヒロインに興味を持つ。エンリケルートのフラグは他の攻略対象より多いが、会話をするだけでフラグが立ってしまう場合もある。イリーにとってはあまり接点を持ちたくない人物であるが、現実で無視をするのという選択肢を採るわけにはいかない。

「すべてを度外視してもいいなら、宮廷女官になって王妃になられたフローティア様の側仕えをしたいです」

「イリーちゃんの行動原理はフローティアなんだね」

 おかしそうに笑うエンリケに、リッツは苦笑いを浮かべている。イリーがフローティアを崇拝と言っても過言ではないほど敬愛していることは、エンリケもすでに知っているだろう。

「フローティアの側仕えってことは」と、エンリケ。「アルヴァルド兄さんの補佐もしてくれたりするのかな」

「フローティア様がそう望まれるなら」イリーは頷く。「フローティア様が仰ることはなんでも承りますので」

「なんでも?」

「はい」

「ほんとになんでも?」

「はい。たとえ命懸けでも」

 真剣な表情で言うイリーに、エンリケは少しだけ嬉しそうに微笑んだ。それから、はは、と明るく笑う。

「すごい覚悟だね。でも、王宮とは関わりたくないんでしょ?」

「フローティア様が王妃になられないなら、無関係でいたいですね」

「勝手なことを仰らないでいただけます?」

 鋭い声がかけられるので、イリーはハッと息を呑んだ。冷ややかに目を細めたフローティアが、三人のもとへ歩みって来る。

「フローティア様……! まさに女神降臨……!」

 思わず手を合わせるイリーにフローティアは、ふん、と鼻を鳴らした。

「だいたい、エンリケ様に対して失礼ですわ。王族に対する礼儀を持ちなさいと言ったはずですけれど」

「大丈夫だよ、フローティア」エンリケが穏やかに微笑む。「この学園内でそんな固いこと言わなくて大丈夫」

 フローティアは不満げな表情になるが、ひとつ息をつき肩をすくめた。それに、とエンリケが続ける。

「フローティアが王妃になったら、こんな心強い宮廷女官が生まれるよ」

「頑張ります!」

 拳を握り締めるイリーに、フローティアはまた目を細めた。

「あなたが宮廷女官になろうがならなかろうが、わたくしには関係ありませんわ」フローティアは声の調子を落とす。「わたくしが王妃になる確証はどこにもないのですから」

 イリーが口を開く前に、授業を始めます、と言う講師の声が聞こえた。フローティアは、ついとそっぽを向いて去って行く。エンリケも不思議そうにその背中を見送りつつ、自分の班に戻って行った。

 まるで自分の運命を知っているかのような口ぶりだった。自分以外にそんなことがあるはずはないが、とイリーは考える。もし、フローティアに何か予感のようなものがあるのだとしたら、必ず運命を覆さなければならない。フローティアはアルヴァルドを心から愛している。そのことをアルヴァルドに気付かせ、フローティアに幸せになってもらわなければイリーは困るのだ。

「イリー、リッツ。準備はできたか?」

 ジークローアが歩み寄って来るので、イリーは背を向けたまま顔をしかめる。リッツはそれに気付いて首を傾げるが、イリーは説明は後回しだと微笑んで振り向いた。

「万端です。よろしくお願いします」

 ひとつ頷いたジークローアは、さて、と教科書を広げる。リッツが問いかけるように視線を送って来るので、イリーは小さく肩をすくめて見せた。

「きみたちは魔法実習の成績がいいから、少し難しい魔法でもよさそうだな」

「入学したての一年生ですけど……」

「この学園は完全な実力主義だ。高い能力を持つ者は先へ進む。俺たちがきみたちの講師役を務めるのも、一年生のうちに二年生の授業の内容までクリアしたからだ。お前たちは真面目に取り組めば、二年では講師役になると思うぞ」

「へえ……そういう仕組みだったんですね」

 イリーは聖女であるため高い魔法の力を持つが、リッツは純粋に優れた血を受け継ぐ魔法使いである。しかし、家系により魔法の力を持っていたとしても、それを精錬しなければ実力は身に付かない。リッツの高い能力は日々の努力の賜物である。

「ジークローア様は宮廷騎士志望なのに」イリーは言った。「どうして魔法学校に通ってらっしゃるんですか?」

「俺自身が魔法の素質を持っていることもあるが、アルヴァルド殿下の護衛として側仕えしないとならないからな」

「なるほど……。同じことを学べばヴィジョンが共有しやすくなりますね」

「そういうことだ」

 校庭の各所で、すでに生徒たちによる魔法実習が始まっている。イリーとリッツも愛用の杖の確認をし、教科書の中からジークローアが指定した魔法を実践する。イリーが規格外な魔法を発動することは、周りの生徒もなんとなく慣れ始めたようだ。

「イリーもリッツも飲み込みが早いな。一年の中では間違いなく上位だろうな」

「フローティア様には一生、敵いません」

「そうか?」

「イリー、次はこれ――」

「うわあああああ!」

 生徒の中から悲鳴が上がるので、三人は顔を上げた。怯えた様子の生徒たちが校庭の奥から雪崩れ込んで来る。その先を見たイリーは、あっ、と声を上げた。

「夕暮れの悪魔……!」

 生徒たちの混乱の中に姿を現わすのは、襤褸切れを被った幽霊のような姿の、厄災をもたらす「夕暮れの悪魔」だった。空気中のマナ濃度が薄い場所に現れる亡霊で、本来ならこの場所に現れることは有り得ない。

 二年の生徒たちが、混乱に陥る一年たちを誘導して避難して行く。他の班の教師役を務めていたアルヴァルドとリグレット、マルクが夕暮れの悪魔のもとへ向かって行った。

「きみたちも下がっていろ」

 愛用の剣を手に駆け出すジークローアに、イリーも杖を手に続いた。制止しようと手を伸ばしたリッツも、ああもう、と呟きながらふたりを追った。

 夕暮れの悪魔は闇属性の亡霊で、イリーの聖属性魔法なら容易に倒すことができるが、現時点で使えることを明かすわけにはいかない。イリーにできることは、各々の武器を手にする彼らに闇属性の耐性魔法、それから強化魔法をかけることだった。

 若き精鋭たちを前に、夕暮れの悪魔はあまりに無力だった。あっという間に亡者を討伐した四人に、生徒たちが歓喜の声を上げる。その戦闘風景は、乙女ゲームとは思えないほどの迫力だった。

 不測の事態の混乱を収めるため、授業は中断された。


 ややあって、イリーとリッツのもとへジークローアが戻って来る。

「召喚魔法を使った生徒が、魔法陣を間違えたようだ」

「悪魔召喚ってことですか」イリーは言った。「間違えたとしても簡単に使えるものではないと思いますけど……」

「ああ。召喚術士の家系なんだそうだ」

 通常の召喚魔法なら、召喚術士の家系でなくとも使える。だが、悪魔召喚となると、召喚術士の血が必要となる。魔法学校の生徒と言えど、血がなければ簡単に行えることではない。

「それにしても、きみは強化魔法が使えたんだな」

 ジークローアが感心して言うので、イリーは顔をしかめそうになるのを堪えた。イリーが複雑な心境を抱えている理由を、ジークローアに打ち明けるわけにいかないからだ。

「あー……はい。実は」

「強化魔法が使えるなら、魔法学校から始める必要はない気がするが」

「……私には、目標がありますから」

「ふうん、なるほどな」

 そのまま授業は終了し、生徒たちは解散となった。

 荷物をまとめて教室に戻るあいだ、イリーの頭の中をあることが占めていた。そうして黙り込むイリーに、リッツも何かを感じ取っているようだった。

「イリー、どうしてそんな顔をしているの?」

「うん……実は、エンリケ様とジークローア様のフラグが立ってしまったみたいで……」

 リッツが眉をひそめるので、イリーは肩をすくめる。

「エンリケ様は初めからヒロインに興味を惹かれているからある程度は仕方ないけど、ジークローア様はヒロインが強化魔法を使えることで興味を持たれるんだよね」

「……でも、あの状況では使わざるを得ないかもね」

「うん……」

 強化魔法に頼らずとも、若き精鋭たちは悪魔を撃退することができただろう。それでも、強化魔法を使える者として見て見ぬふりをすることはできなかった。もし知らんぷりをして誰かが負傷したとき、責任の所在はイリーになかったとしても、強化魔法を使わなかったことを悔やんだだろう。

「でも、要はバッドエンドにならずに、フローティア様が破滅せずに済めばいい話だから。結ばれたとしても、ジークローア様は最も平和な攻略対象だし」

 ジークローアと結ばれた場合、ヒロインは宮廷騎士となる彼を支える良き妻となるため、この街で暮らすことになる。王宮と関わらずにい生きて行くこともできるだろうが、フローティアが王妃に就いたとき、イリーは宮廷女官になることも可能だろう。それが最も理想的に思える。

「それに、たぶん起こらないだろうけど、ジークローア様のルートは、ハッピーエンドに向かいやすくなる特殊フラグもあるの。エンリケ様は、攻略対象の中で一番にフラグが多いから、この先で躱すこともできるはずだよ」

「……大丈夫? イリー」

 案ずるような表情でリッツが問いかけるので、イリーは首を傾げた。

「なにが?」

「そうやって、秋までずっと気を張っていなければならないの?」

「……そうだね。でも、大丈夫。私にはフローティア様がいるし! フローティア様がそこにるっていう事実だけで、それだけで私は生きていけるから」

「……そう」

 根気と気力の勝負だろう、とイリーは思っている。運命は変えられないのだと悟ったとき、負けてしまうのではないだろうか、と。だが、粘り強さには自信がある。加えて、フローティアへの敬愛の気持ちは何にも負けないと自負している。諦めない限り、そう簡単に負けることは有り得ない。


   *  *  *


 昼休み、イリーとリッツはいつものように食堂の端のテーブルに着いた。学生食堂のメニューは種類が豊富で、いつになったら全種類を制覇できるだろう、とイリーはそんなことを考えていた。

「ねえ、イリー」と、リッツ。「フローティア様が悪霊に取り憑かれるルートがあるって言ってたけど」

「うん」

「そのルートに進むと、他の攻略対象の運命も変わってしまうの?」

「そうだね。悪役令嬢闇堕ちルートにもハッピーエンドとバッドエンドが存在していて、闇堕ちルートのバッドエンドなんて目も当てられないよ」

 プレイヤーだった頃、全ルート制覇のため悪役令嬢闇堕ちルートも攻略したが、血を吐くかと思いながらプレイしていた。なぜ乙女ゲームでこんなにもしんどい思いをしなければならないのか、と制作陣を恨んだほどだ。

「闇堕ちルートだった場合、物語のクライマックスで秋のアルヴァルド殿下の誕生日パーティが始まるの。分岐点は秋。誕生日パーティ前に断罪イベントが起これば、闇堕ちルートではない証拠だね。でも私は、断罪イベントだって起こさせないから」

「断罪イベントって、どういうものなの?」

「攻略対象が悪役令嬢の罪を暴き、ヒロインが勇気を出して告発する、ってイベント。悪役令嬢はヒロインへの嫌がらせの罪で裁かれて、追放か処刑になるの。その後、攻略対象がヒロインにプロポーズする。乙女ゲームでは一番に盛り上がるシーンだね」

 乙女ゲームであれば、当然のシナリオだ。悪役令嬢の嫌がらせに耐えつつ自分を磨き、攻略対象の好感度を上げ、そうして悪役令嬢の断罪に向かって行く。攻略対象と結ばれるために、必要不可欠なイベントだ。

「もしそのイベントが起こっても、いまのイリーだったら激怒すると思うけど」

「当たり前だよ。フローティア様の罪だなんて、でっち上げもいいとこだよ。絶対に許さない!」

「ヒロインって、あなたのことよね」

「うん。あんまり自分をヒロインって言いたくないんだけど」

「あなたにフローティア様を裁くつもりがなければ、防げるってことよね」

「うーん……現時点ではわかんない。確かなことは言えないかな」

「そう……」

 イリーの告発がなければ断罪イベントが阻止できるという確証があるなら、それだけを目的とすればいい。しかし、ここが現実である以上、あらゆる可能性を考えなければならない。リッツの言うように、秋のアルヴァルドの誕生日パーティまで気を張っていなければならないが、フローティアの断罪を阻止することはこの世界に転生したときから決めていたことだ。いまさら、それを曲げる気はない。



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