第32話 朝飯は和風に。

「ほら、朝だぞ。起きろ、タイキ」


 朝の光と共に、頬に柔らかな何かの感触。泰樹たいきがうっすらと目を開けると、紫色の瞳がこちらをのぞき込んでいた。

 アルダーが、ぺろりと舌を出している。さっきの感触はそれ、だったらしい。


「……あ、るだー?」


泰樹が呆然と舐められた頬に手をやると、アルダーはハッと何かに気付いたように身を起こした。


「あ?! あ、す、すまんっ! 魔獣の時の癖で、ついっ」

「う、うん……今日の当番はアンタか……?」


 大あわてのアルダーを見上げて、泰樹は大きな欠伸をもらした。

『暴食公』の一件から一週間あまり。近頃は目が覚めている間、イリスとシーモス、アルダーの誰かが必ず泰樹の側にいる。まだ、誘拐を警戒しているらしい。朝、泰樹を起こしにやって来るのも、示し合わせて当番制にしているようだ。


「朝飯、なんだ?」

「今日はウメ茶漬けと焼き魚、それにアツヤキ卵だ。ナットウもある」

「今日は和食か。はー! 腹減った!」


 泰樹はベッドから飛び起きて、早速着替え始める。泰樹の着替えを手伝いながら、アルダーは今日の予定を教えてくれる。コイツ、絶対秘書とか執事とか向いてるよなぁ。などど思いつつ、泰樹は着替えを終える。その左腕には新しく作られた『奴隷の証』。やはり首にするのは躊躇ためらわれて、二の腕に巻いている。


「昼過ぎから、イリスとシーモスは魔の王様の城に向かう。本格的に古文書探しをするために、根回しをするらしい」

「マジか!! それ、俺も行った方がいいか?!」


 期待を込めて、泰樹は目を輝かせる。アルダーはゆっくりと首を振った。


「お前の出番はまだだ。今日は大人しく屋敷にいろ」

「はーっ。屋敷にいるのはまあ良いけどよ……流石に外の空気が吸いたい」

「それなら庭仕事を手伝うか? 菜園で芋の収穫があるようだからな」

「やるやる! 芋掘りかー! 小学生以来だぜ!」


 アルダーが魔人になってから、彼が何かしらの仕事を見つけてきてくれる。おかけで泰樹は、退屈している暇が無い。それに感謝しつつ、泰樹とアルダーは食堂へと向かう。

 アルダーが魔人になったことを、使用人たちはすんなり受け入れた。『議会』にも、イリスがアルダーの庇護者ひごしやになる事が届け出られた。アルダーはシーモスの手伝いをして、イリスの屋敷で忙しくしている。




 食堂では、イリスとシーモスがすでにテーブルについていた。


「おはよー! タイキ! アルダーくん!」

「おはようございます。タイキ様、アルダー様」


 こうして、四人でわいわいと飯を食っていると、あの夜のことが夢だったのでは無いかとも思える。もっともシーモスは相変わらず人間の食べ物は食べないのだが。

 アルダーはイリスに付き合って、人間の食べ物を食べている。時々、これは美味いと言っているので、味は感じるのだろう。

『暴食公』には正式な抗議が送られた。『使徒議会しとぎかい』にも、「他人の財産に手を出した」として訴状を出した。罪を認めてしまうと罰せられるからか、『暴食公』はのらりくらりと返答を遅らせているらしいが。

 泰樹が誘拐されたのも、アルダーが死にかけたのも、全ては『暴食公』のやったこと。

 イリスとシーモスは、許すつもりなど無いらしい。




「ナットウは、カラシとネギを入れるのが好きだなー」


 刺激を感じられる味を好むイリスが、カラシとネギ入りの納豆を練りながら、それにだし醤油をたらしている。

 食べたいモノを、こうして食べられるのは有り難いことだ。だが、こうも和風にされると、ちょっぴり残念な気もする。ファンタジー感が薄れる。


「タイキ、ショウユは?」

「ああ、とってくれ」


 アルダーから差し出された醤油を、厚焼き卵に添えた大根おろしにかける。あーでも、これはこれで落ち着く。食堂の内装はバッチリ洋風なんだけどなー


「……何か、おかしな感じだぜ。ま、朝飯、美味いからいっか!」


 


 泰樹がこの世界に持ち込んだ知識は、食べ物を中心に少しずつ魔の者たちに流行しつつある。

 一番人気はケチャップとトマトで、特にトマト料理は一般の人びとにも広がるきざしを見せていた。

 流行はみな『慈愛公』の配下が生み出した、とされている。もちろん、それが『ソトビト』と呼ばれる者であることを人びとは知らない。娯楽の少ない『島』の人びとは、ただの人間たちも流行に敏感だ。『慈愛公』の名声は高まる一方のようだ。

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