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  • 一応のまとめへの応援コメント

    こんにちは。森下さん。

    ちょっと関係ないかもしれませんが、自動運転の車の話を思い出しました。
    自動運転の車は、GPSや車載カメラのデータを1秒間に何度も更新して、自分の位置を把握し、行動を決定しているそうです。
    人間も無意識にそういう行動をしているのでしょうね。
    私たちの意識は「線」のように思えますが、実際は「点線」なのでしょう。

    ではでは。

    作者からの返信

    こんにちは。

    興味深いコメントを有難うございます。

    最後の《私たちの意識は「線」のように思えますが、実際は「点線」なのでしょう。》ですが、「点線」じゃないかなあと思います(追記:僕の書き方だと、点ひとつひとつが記憶ということになります)。

    僕は、或る瞬間と次の瞬間、のように書いてきました。

    点ひとつの長さが気になります。時間にしてどれくらいなのか……。

    編集済
  • 一応のまとめへの応援コメント

    いくらかの揺らぎを含めて、連続して取得している外界(もしくは内側)の情報を知覚しているのが自意識であると考えるということですかね。
    巻々さんは哲学する人ですなぁ。

  • 整理しますと、新しい行動を起こそうとして、模倣を行うとき、自身の経験した記憶にその情報がないので、近い記憶からそれを再現しようとすると、そういう理解でよいでしょうか。

    作者からの返信

    そうです。


  • 編集済

    整理すると、「昔やさしくしてくれた誰かに似ていることに自分としては気づかないけれど、……」は、能動的に意識へ働きかける記憶と定義する、と言うことでしょうか。
    すると、「意識」と「能動的に意識へ働きかける記憶」は、手動(マニュアル)と自動(オート)のような関係に見えますね。

    追記:
    既に考察は終わっているようですので、あまり意味はないかもしれませんが、念のために補足しますね。

    「人を好きになる」ケースで言えば、異性を見て好きになるとき、異性を見るというトリガーは意識が行っていますが、好きになるという現象そのものは、意識的に行っているわけではなく、記憶の方が意識に働きかけている(自動で照会が行われている)という考え方、のつもりで書いています。

    私は、「過去に見たあの人に似ているからあなたを好きになる」のではなく、「私はあなたを好きになった。どうもそれは、あなたが過去に見たあの人に似ているからのようだ」とういう状況ということで多少説明になるでしょうか……。
    こと恋愛においては、上記のような状況になることが多い、と思っています。

    作者からの返信

    追記:
    「あの人に似ている」というのを仮に容姿のことの意味だと絞ります。
    追記してくださった最後の段落で言うと、
    現れている意識としては「私はあなたを好きになった」(1)のだが、実際は「過去に見たあの人に似ているからあなたを好きにな」ったのだ(2)ということになります。このように書くと、(2)を無意識と考えたくなると思いますが、そうではない考え方を僕はしたつもりでした。←これだけでは回答になっていないのは自覚していますが、ちょっと自分でも難しいので、一応、こう書いておきます。



    ……うーん、難しいですね。マキシさんがここで書かれていることを僕はいま理解できていないと思います……。

    編集済
  • 念のため、確認ですが、世界全体と仰っているのは、物理現象のようなことを仰っているのでしょうか。それを視点を一つとして見たときの状態が視界?
    視界は、常に世界全体を見ている? それとも他方を見ることも可能?
    すみません、面倒くさい奴で(大汗

    作者からの返信

    おはようございます。

    「全体」と書いてしまったのが、ややこしいのかも知れませんね。

    (「世界」は「僕」がいなくても存在しているという前提。独我論でしたか、そういうのではありません。)

    世界全体というのは、僕がいる空間(五感で感じられる周囲)くらいの意味でしかないです。

    僕がここで書きたかったのは、「一応のまとめ」で「ノートパソコンのディスプレイを視て……」と書いた、それです。

  • 多分、巻々さんは、記憶をデータのプールされたようなもの、自意識をCPU(中央演算処理装置)の働きのようなものとして捉えられているような気がしました。
    では? CPUにコマンドを入力しているのは何者か、と考えたとき、私は無意識の存在を無視できないのですね。

    誰かを好きになるのは、対象への知覚をトリガとした意識的な行為かもしれません。しかし、好きになったのが、既に知っていた人物(父母とか)に似た人だった場合、「意識が無意識に影響されている」と考えないわけにはいかないでしょう。

    恐らく、意識と無意識は、切り離せない関係なのです。では? 自意識とは、どこからどこまを自意識と呼ぶか? ですかね。

    作者からの返信

    マキシさん、おはようございます。

    僕のイメージが「自意識をCPU(中央演算処理装置)の働き」という風に例えられるのかはよく分かりません。「働き」と書いてくださったのは、いい感じかも知れないと感じました。

    「CPUにコマンドを入力しているのは何者か」ですが、何者はいないのではないかということに、今回の考え方だとなると思います。

    或る動作は直前の動作がきっかけになっている、と言えばいいでしょうか。

    これらを読まれて「そんなバカなことが……」と思われるとしたら、僕の組み立て方、イメージに、変なところがあるのだと思います。

    深夜に「一応のまとめ」を投稿してあります。よろしければ、またお読みください。
    この文書に限らず、コメントをくださり有難うございます。

  • 子供の時の方が時間が長く感じる、とは、単に集中力の違いによるものだと思っていました。大人になると、子供の時ほど集中力がないので、時間が短く感じるのだと。

    楽しい時間が短く感じるとは、同じ時間として比べてみたとき、興味を持って取り組むもののイメージが多いか、少ないかの違いなのかなと思ったりします。

  • 箇条書き……れんそう?への応援コメント

    哲学は科学ではない、と仰る方がおられるのですね。うーん、ニアリーイコールとイコールは違うのだ、と言うだけのような気もしますが。


  • 編集済

    落書きⅣ……考えるとは?への応援コメント

    意識と時間という考え方については、ちょっと前に見た「メッセージ」という映画が近いテーマを提示していました。

    「記憶って不思議、色々な見え方をする。人は"時の流れ"に縛られて生きているけど」というセリフがあります。映画の展開は、タイムパラドックスを感じるようなものでした。主人公は、言語学の第一人者である女性という設定。この映画の原作を書いたのは、中国の物理学者だとか。

    アマプラで観れますので、ご興味とお暇があれば、是非ご覧になってみてください(ご無理は禁物ですが)。


  • 編集済

    自意識を、脳の活動として捉えるとき(常識的な考え方に見えます)、眠っている間の脳の活動が自意識を継続させているということですね。
    夢には、目覚めたときに憶えているものと憶えていないものがあるのですよね。仮に憶えていない夢があったとしても、自意識は継続しているはずだと。

    二通りとしているのは、憶えていないというのが、単に目覚めたときに夢として意識できないのか、自意識が途切れたためであるのか、判断ができないということなのだろうと思います。

    さて、そもそもの本題に立ち戻った時、自意識とは、「意識」だけのお話でしょうか、「無意識」も含むのでしょうか?

  • どうもITの仕事をしていると、コマンドのmove(またはmv)のイメージ(コピー後、オリジナルを消去)に引っ張られてしまいますね(汗

    移動の前段階としてコピーを認めない、とすると、オリジナルの媒体(身体)から、一旦抜けて、新しい媒体に入り込むようなイメージでしょうか。いずれにせよ、一旦移動元と移動先が同じ状態になる工程が必要になる気がします。

    幽体離脱をSFっぽく考える感じでしょうか。となると、そもそも意識(魂?)とは何か、というお話になるのですね。電気信号的なナニカなのか、それとも、まだ人類が発見できていない物質的なナニカなのか?

    作者からの返信

    おはようございます。

    どのような例えもできると思いますが、Aのコップの水をBのコップに注ぐという感じで移動をイメージしています。
    しかし、どうしても、《一旦移動元と移動先が同じ状態になる》必要があるのだとしたら、自意識を移動させるのは無理ということになると感じます。
    ああ、コップの場合も、Aのコップ内でもBのコップ内でもない状態ができてしまうとなると無理っぽい……。

    たぶん、科学者が見れば、《電気信号的なナニカ》になるのではないでしょうか。ここは考えるべきところですね。

    編集済
  • 早速の追加のご考察、ありがとうございます!!

    停滞性と進捗性とを対比させたご説明、とても参考になりました。

  • 國分先生の本、面白いですよね!!

    子供と大人の時間感覚についての近況ノート、私も興味深く拝読しました。これに関連して、河合隼雄先生の「子どもの『時間』体験」というエッセイも、同様の視点から書かれていて面白いです。(昔の高校生向けの現代文の演習書に載っていました)

    1シーン当たりの所要検索時間と体感時間とを関連付ける考え方が、とても斬新だと思います!!

    何かに「夢中」になっているとき、「時間の流れ」を忘れて、いつの間にか物理的に数時間が経過していたということがありますが、これはどのように捉えたらいいんでしょうか。


    作者からの返信

    コメント最後の問題設定ですが、これは『暇と退屈の倫理学』にかかわる問題とも言えるでしょうね。

    退屈とは反対に、早く感じると……。

    時間を長く感じるのは待っているからですね。未来のほうの何かしらへ志向(嗜好?)していて、でもその何かしらがまだ現在の自分に届いていない、待っている状態だからですね。
    夢中の状態にある時は、リアルタイム(?)に次々と、その何かしらが自分に届いている状態と言えると思います。

    それでは、僕の書いてきたやり方ではどう描けるか、それは、もう少し考えてみないと、と思います。

  • 箇条書き……れんそう?への応援コメント

    この辺りをさらに「探究」すると、「科学的正解」が見つかりそうな気がしますね!!(何の根拠もありませんが・・・)

    作者からの返信

    僕の予想(組み立て)が科学的になっているのかは分からないです。

    鶴見俊輔が「哲学は科学ではない。しかし、だからこそできるアプローチがある」という意味のことを、確か『アメリカ哲学』(講談社学術文庫)で書いていたと思います。

    僕の組み立てが哲学になっているとも思わないですが、自分なりに考えたいという気持ちがあるので書いています。
    いつも読んでくださり、有難うございます。

  • 落書きⅣ……考えるとは?への応援コメント

    世界が実在であれ、現象であれ、関係であれ、「考え始めるトリガー」は物理的に存在するはずですよね。この辺りのメカニズムが「解明」(もっと詳細に説明)される日が待ち遠しいです!!

    作者からの返信

    おはようございます。

    そうですね、難しいですね。

    お腹が減っている。目の前にリンゴがある。食べたい。
    ……うーん。

    目の前にリンゴがある。不図、リンゴは何故赤いのか考え始める。……うーん。

  • とてもしっかり構築されていて、説得力のある議論だと思いました。(私の聞きかじりの理解では)一流の科学者の方々にも、(表現は異なりますが)同様の見方をされる人がいらっしゃるようです。この種のお話は、正解が分からなくても、人の議論を伺ったり考えたりするだけでワクワクしますね!!

    移動とコピーの区別に対する「こだわり」は、特にユニークな視点のように感じます。

    作者からの返信

    いま「落書きⅢ」を投稿したのですが、その前の状態での、無名の人さんのコメントですね。

    科学者の方々の見方が気になりますが、僕にはちんぷんかんぷんかも知れませんねえ。


  • 編集済

    先の方も書かれておられましたが、SF ネタですねぇ。オラわくわくしてきたぞ^^
    誤解のないように、私で考えてみました。
    私をコピーする、コピーされた私は、コピーされた時点を起点として、私自身とは違う人物として、異なる体験をするでしょう、ということですね。しかし、コピーされた私は、一つの体験について、100%同じことを考えるでしょうか?
    条件などが異なれば、違う感想を持つこともあるかもしれません。
    ヒトの性格形成などにも通じる考え方かもしれません。
    一卵性の双子でも、違う性格になったりするらしいので。

    私は、自分そっくりの人物を見てなんと思うでしょう。
    好ましい? 疎ましい?
    二人の私は、果たして仲良くなれるでしょうか?

    色々想像できて楽しかったです^^ ありがとうございましたー!!

    追記:
    継続する自意識、ということを考えるとき、私だと眠り、つまり一時的に意識を失う状態に注目したくなりますね。

    朝起きたとき、私は、私を私だと思っている……。
    なぜ? もしかしたら、違う私になっているかもしれないのに……? むー、眠れなくなりそうなのでこの辺りにしておきましょうか……汗

    作者からの返信

    そうですね! コピーという考え方だけだと、別の自意識になってしまうのではないかというのが、僕の想像です。

    そして、おっしゃる通り、違う意見をもつようになっていくかも知れませんね。
    目を覚まして直ぐにもう、違う方向の景色を見ている訳ですし。

    コピーについて考えることで、自意識はコピーできない、何故できないのだろう、と、もっと考えることができました! マキシさんのコメントに感謝です。

    編集済
  • こんにちは

    遠い未来、記憶と意識のコピーを繰り返し不老不死の超生命体として生き続ける……
    妄想です。

    作者からの返信

    こんにちは。
    コメントを有難うございます。

    この文書での僕の考えでは、自分がいまもっている自意識を次の身体に引き継ぐのは大変に難しいことだと思われます。特に、自意識をコピーすることは無理だという考えです。できるとしたら、自意識を引き継ぐ、つまり、身体を乗り換えていくというイメージになるのではないでしょうか。

    まあ、これも僕の夢想に過ぎないかも知れませんね!

  • 落書きへの応援コメント

    ははぁ、難しいお話をされている……汗
    察しまするに、自意識(もしくは霊魂)とは、物質的なナニカではなく、動的な現象である、ということでしょうか。

    脳というのは、電気信号で情報伝達をするらしいですから、プールされる記憶とは、一種の電池のようなものなのかも……?
    今からずっと未来、バッテリーのようなものを渡されて、「これ、君のおじいちゃん」とか言われたりすることもあるのでしょうか、なんてことを思ったりしました。

    中々に興味深かったです、ありがとう^^

    作者からの返信

    こんばんは。
    わあ、シゲキ的なコメントですね。

    「これ、君のおじいちゃん」ですが、どうでしょうね。僕がいま読んだ直感(想像? 夢想?)では、80歳5か月23日6時間3分10秒……の時点での(現実にいた)おじいちゃんのそれまでの記憶を記録することはできるかも知れない感じがします(膨大な記憶容量ですね)。でも、その(記録された方の)「おじいちゃん」と会話する(彼が意識である)ためには、「おじいちゃん」に新たな認知を継続的にしてもらうことが必要ですね。記録と照らし合わせながらも、その記録にはない(記録とはズレる)新たな体験ができていかないといけないのでは?と思いました。

    そんな感じです。有難うございます。

    編集済