白鳩が飛ぶ空

 アイラがロンドン上空へ奇跡の生還を果たしたその少し前。

 雷雪に乗って戦場へ急行するその道中。

 ノエミに抱き抱えられ非情な速度で空を飛ぶ琴音は顔を真っ赤にして叫んでいた。


「まっっっっっったくッ! ほんと無茶苦茶なこと考えるよなッ! お前はッ!」


 随分怒らせてしまったなぁと、怒りの原因であるアイラは雷雪の中で困ったように笑う。


「自分は操縦席で治療を受けながらっ!? 傍付き隊に魔鎧騎空輸させてっ!? ついでに魔鎧技師まで一緒に飛ばして空中で整備っ!? 阿呆か!? 阿呆なのか!?」

「すみません、この方法しか思いつかなかったもので……。皆さんには多大なるご迷惑を……」

「普通こんなの思いつくか!? いやよしんば思いついたとして人に頼むか!? そして頼まれたとして受けるか普通!?」

「コトネっちー。最後の、自分への文句になっちゃってるっすよー」


 癇癪を起こす子供を宥めるような口調のノエミ。

 飛べない琴音を運びながら語りかける。


「まあ仕方ないっすよ。一番無茶してるアイラちん本人がやるって聞かないんだから……」

「ええい、わがままちゃんめ……」

「それに私達とて白鳩っす。戦場を飛ぶ以外にもできる事があるのなら、全力前進っすよ」


 海上を漂っていたところをノエミ達に発見され息を吹き返したアイラがまず考えたのは、ロンドンへ出撃したルシル達の援軍にどうやって向かうかであった。


 自分は大怪我を負っていてマルファから治療してもらう必要があり、ルシルが乗っていってしまったというリベレータの代わりに雷雪を借りようにもまだ整備が終わっておらず、飛んでいこうにもロンドンまでは距離があり流石に魔力が保ちそうもない。


 そんな障害を一挙に解決する名案が、この空中輸送作戦であった。

 白鳩騎士団傍付き隊の総力を上げて輸送される雷雪は、常軌を逸した速度でロンドンへ真っ直ぐに飛んでいた。


「……けれど、やっぱり私は反対ですよ、アイラ少尉。そもそも今だって、生きているのがおかしいくらいなんですから……」


 狭い操縦席内に詰め込まれるようにして連れて来られながらも全力で治癒魔法による治療を続ける健気なマルファ。

 その声には半ば諦念も混じっていたが、それでもなおアイラの行動には反対らしい。


「と、取り敢えず呼吸と鼓動が止まっても、魔法でなんとかなることはわかったので……」


 純粋に自分の身を案じてくれている相手に対してアイラの返答は勢いの無いものになる。


「……なんとか、なってません。私の魔法でも到着までに全部治すなど不可能ですからね」


 アイラが魔鎧騎の剣に身体を貫かれ呼吸も鼓動も止めておきながら今もなお生きているのは、今際の際で彼女が自身の肉体に対して幾つかの魔法を行使した結果であった。


 傷口を氷属性魔法で凍らせることにより出血を止め。

 風属性魔法で肺へ空気を送り込み続け。

 水属性魔法で血液を循環させる。

 それが死を目前にしてアイラが取った行動だった。


「今だって心臓、動いてないですよ……? 体も、氷みたいに冷たいですし……」

「そうですか……。魔鎧騎に乗ってるとただでさえ複数の魔法を起動しないといけないのにな……。更に並列で、自分の生命維持までしないといけないのか……」

「……あの、問題だと思ってもらいたいの、そこじゃないです。自分の心臓が動いてないことに対して正しい認識を持って下さい」

「……やっぱりお前おかしいな、頭。いやほんとに」

「な、なんでですか!? そこまでですか!?」

「これは私も擁護できないっすねー。色んな意味でアイラちんくらいにしかできないでしょうし、正直引いてる……。ここは人間としては普通に死んでおくべきところなのでは……?」

「ノエミ先任少尉までもがっ! そんなこと生き返ったばかりの人間に普通言いますか?」

「いや、普通人間生き返らないですし……。アイラちんは、懸命の捜索の末にようやく見つけた戦友のカチコチな遺体が急に動き出した経験無いからそんなこと言えるんっすよ。こっちの心臓も止まったっすよ」

「そんな、仲間の生還を恐怖体験みたいに……」


 とはいえ確かにかなりの無茶をした。

 生きているように見えるだけで、本当は今も死んでいるのかもしれない。

 止まったままの心臓はずっとこのままなのかもしれない。

 ひょっとしたら神様から僅かな猶予を与えてもらっているに過ぎないのかもしれない。


 しかし今この瞬間、自分の意識はここにあり、魔法だって使えている。


「ルシル団長と、約束したんです。死なずに生きて帰ることを。……意識がある以上は最後まで諦めるべきではないと思っているので、足掻いてみせるまでです」


 そんな台詞にノエミも琴音も何も言わない。

 何を言っても無駄だと反駁を諦めたらしい。


「でもやっぱり、私もおかしいと思いますよ、アイラ少尉は……」


 そんな中でなお、アイラに密着して治癒魔法を使い続けるマルファが呟いた。


「そんな必死の想いで辛うじて命を繋ぎ止めることができて、今だってなお死ぬ程痛い思いをしているはずなのに、どうしてその上でまだ戦場へ向かおうと思うんですか?」


 その声は、今にも泣き出してしまいそうなほどの悲壮感を伴っていて。

 だからこそ、アイラは意気揚々と断言した。


「――簡単です。それが私ですから」


 それ以上の言葉は要らない。

 人は、自分が自分であることに全力を尽くせば良い。


「……アイラちん。そろそろ到着っす。私達は一旦離脱の準備に入るっすよ」

「……取り敢えず雷雪はお前の身体より何倍もマシな状態にしておいた。後の事はもう知らん」


 時は来た。

 アイラは大きく吸った息を吐く。

 身体が引き裂かれるような激痛はあるが、ひとまず呼吸はできている。


「……取り敢えず、身体を貫かれた際に切断された臓器や神経、重要な血管を形だけでも繋ぎ止めることに全力を注ぎました。これで血液さえ循環していれば必要なところに最低限は酸素が行き渡るはずです。ただ、皮膚や筋肉や細い血管までは手が回らなかったので、出血しないよう引き続き凍結が必要です。……凍結が長く続けば体組織が戻しようのないくらいまで壊れてしまうので、早く切り上げて帰ってきてください」


 そんなマルファの注意に、アイラは頷く。


「繋いだ臓器や血管も、急な血圧の変化などで簡単にだめになってしまうはずです。魔鎧騎の機動による重力や衝撃だって要注意です。何より、生命維持に魔力が必要であること忘れないでください。傷口を塞ぐ氷魔法や血液を循環させている水魔法を維持できなくなれば、おしまいです。……私には、完全に死んだ身体の蘇生はできません」

「ありがとうございました、マルファ准尉。お陰で、もう一度空を飛ぶことができます」

「……お礼なんて聞きたくないです。何もできてないのに……」


 アイラの謝意に、マルファは悲しげな声でそう応えた。


「私にも、皆さんと同じように空を飛んで戦う力があれば……。今ほど強く思ったことはないですよ。それができれば、こんな気持ちであなたを見送らずに済んだのに」


 最後に鎮痛な面持ちでそう語り、マルファは傍付き隊のジーンとシャロンに抱えられて雷雪の操縦席を後にした。


 誰もいなくなった騎内で、アイラは小さく息を吐く。


「……私も。今ほど強く、もう一度帰ってこなければいけないと思ったことはないですよ」


 せめてもう一度、改めてしっかりお礼を言わねばならないだろう。


 マルファにも、ノエミにも、琴音にも、クラリッサにも、キティにも、ターラにも、ジーンにも、シャロンにも。

 ここまで来られたのは彼女ら白鳩騎士団の総力のお陰である。


 操縦桿を握る手に力が入る。

 魔法出力を上昇させ、騎体内の蒸気圧力を高める。


「――魔鎧騎士、アイラ・アッシュフィールド! 高らかに飛翔します!」


 気合一声。

 その宣言と共に、真っ白な鳩は自らの力で真っ直ぐに空を飛んでいった。


 そんな後ろ姿を、ノエミ達は見送る。

 未明に始まったアイラ捜索からここまで六時間以上連続での飛行。

 彼女達の軌道はふらふらと定まらない。


 戦う力があれば、先の戦闘で負傷さえしていなければ、魔力が搾り滓でも残っていれば、せめて一緒に飛んでいけたのに。


 胸に残るはただ漠然とした感情。

 願わくは、偉大なる騎士に、栄光あれかし。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る