第四章 境を駆ける

第十八話 いつかの死の記憶

『もう死にます』

 静かな声で‘彼女’は言った。

 屋敷の最奥の部屋に敷かれた布団から、‘彼女’が一人で出られなくなっていくらかした夜。奥座敷が異界と重なり、空気が変貌した中だった。

 輪郭が柔らかな瓜実顔の美しい女だ。肌は白く眼は切れ長で、ぱっと見たところはどことなく近寄りがたい雰囲気がある。あまりにも部品の一つ一つが整っていて、生人形めいたものを感じさせるからかもしれない。

 艶やかな長い黒髪も、白い肌も、赤い唇も。どこを見ても生気がこぼれていて、とても死にそうには見えない。きっと閉じている目にも生気はあるだろう。

 だが‘彼女’はもうすぐ死ぬのだと、辰臣はすんなり受け入れた。‘彼女’は気まぐれだが、嘘は言わないのだ。

 だが耐えがたいと思えない。こいつはもうすぐ死ぬのに。

 自分がこの女にいくらかの情を抱いている自覚はある。ならば嘆いたりするものだろう。死ぬなと取り乱すものだろう。

 ましてや辰臣の傷を癒そうとした結果というのだから、尚更。

 なのに胸中は凪いで穏やかだ。そうか死ぬのか、としか思えない。父の死を前にしたときと同じだ。

 現実から逃げているだけなのか。よくわからないまま、辰臣は彼女を見下ろした。

 不意に女が目を開いた。

 瞳は黒漆を垂らすよりもなお艶やかで、瑞々しい生気もこぼれていた。少々眠たそうではあるが辰臣をうっすらと映し、死の影はどこにも見当たらない。

 でも死ぬのだ。

 この女は間違いなく、もうすぐ死ぬ。辰臣の命を救ったせいで。

『ねえ、辰臣さん』

 表情に見合った穏やかな声で‘彼女’は彼の名を呼んだ。

『私が死んだら――――――――』

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