第九話 雨中の虫干し

 その夜。登与は悩んでいた。

「これなあ……ちょっとありきたりかなあ……」

 布を主な素材とした髪飾りを掲げ、登与は眉をひそめて首を傾けた。

 半分より少し足りない月が照らす縁側。日中に復旧作業を手伝った登与は、商品作りに励んでいた。正直言って身体は疲れているのだが、商品を作らないと稼げない。

 そうして髪飾りを作ってみたものの、どうも気に食わない。悪くはないのだがなんというか、街角で売られている町娘向けの安い品、の域を出ていない気がするのだ。実際、材料費と儲けを考慮した価格を計算すると、安物だ。

 儲けを度外視してでもひねりの利いた意匠の品にしたいのだが、考えてみても、思い浮かばない。登与は早々と諦めた。いい発想が出やすい眠いときでも思いつかないのだから、これ以上考えても仕方ないだろう。

 ――――と。

 悩みどころの髪飾りをひとまず風呂敷の上に置き、登与が別の簪を手にとったとき。きしり、と背後から音がした。

 振り返ると刀鍛冶がいつもの不愛想面で登与のほうへ歩いてきていた。表の鍛冶場にでもいたのだろうか。

 人間の小娘の存在を無視して中庭へ下りるのを見ていた登与ははっと目を見開き、しかし刀鍛冶を追いかけようとして動きを止めた。先日の恐怖が脳裏をよぎったのだ。

「……」

 登与が躊躇っているうちに刀鍛冶は石――――押しかけ女房の墓の前に腰を下ろした。きっともう何か用があるまであの場を動かないだろう。

 でも、声をかけないと……。

 登与は覚悟を決めた。ぐっと両の拳を握ると、中庭の奥へ向かった。

「刀鍛冶さん」

 登与が呼びかけると刀鍛冶は露骨に不愉快そうな表情をした。ただでさえ鋭い目が一層凄みを増して、よく研がれた刀のようだ。

 怖い、怖いって!

 顔が引きつってしまうが、ここで引くわけにはいかない。己に活を入れて登与はその場に両膝をつくと、まっすぐに刀鍛冶を見た。

「このあいだ、白い花のことをしつこく聞いてすみませんでした。それと、押しかけ女房さんのことも」

 言って、登与は頭を下げた。

 だって私、この人に無神経なことを言っちゃったし。謝るのが筋でしょ。

「…………わかればいい」

 冷たく不穏な空気を解き刀鍛冶は言った。頭上から降ってきた許しの声に登与は心底ほっとして頭を上げる。

「あ、それと刀鍛冶さん、ちょっと聞きたいんですけど」

「……」

 途端、刀鍛冶の表情が胡乱なものになった。まとう空気と視線が、こいつは何を言っているのかという彼の心の声をしっかりと登与に伝えてくる。

「えとですね。この町の昔ながらで独特の意匠ってなんかありますかね?」

「何故、俺に聞く」

「いやだって、刀鍛冶さんはずっと昔からこの屋敷に住んでるんでしょう? だったら、昔の流行の意匠を知ってるんじゃないかと。私は小物作りで商売してるんで、この町独特の意匠の商品を作りたいんです」

「……」

 登与が愛想笑いを浮かべて説明すると、刀鍛冶は表情で沈黙した。しかし仕事のためだという文言が効いたのか。はあと息を吐く。

「……俺はここで刃物を打っているだけだった。祭りにもほとんど行っていない。物の意匠を気にしたことはない」

「そうですか……」

 まあそうだよねえ。この格好だし。

 登与は彼の素襖をちらりと見て納得した。このぼろぼろ具合では確かに、自分や屋敷を飾りたて財力を誇示することには興味がなさそうだ。

「じゃあいいです。邪魔してすみませんでした」

 もう一度頭を下げ、茶の間へ戻って登与は傍らの簪を見下ろした。少し話をしたからか眠気は飛んでいる。それならばと作業を再開した。

 一本仕上げて風呂敷の上に置いたところで、登与は大きなあくびをした。つい勢いのまま作ってしまったが、もうそろそろ限界だ。今夜の作業終了を決めて大きく伸びもする。

 そうして目が自然と上のほうを向いたものだから、登与の視界に鋭い頬の輪郭が映った。

「っ?」

 身体を弾けさせるように登与は横を向いた。

 ちょっと待て、どうして刀鍛冶さんが私の隣にいる。しかもなんか持ってるし。

「え、えと刀鍛冶さん。何の用ですか?」

「……」

 緊張した表情で登与は尋ねた。先ほどのことがあるので、下手に出たほうがいいという計算が働いたのだ。

 すると、いつもの不愛想な顔で刀鍛冶は自分が持っていたもの――――巻物を登与の手に落とした。

「お前が先日会った白天狗が昔、俺に寄こした絵巻だ。祭りの様子が描いてある。お前が気に入るような図柄があるかもしれん」

「……!」

 登与は思わず息を飲んだ。変色しているものの虫食いは見当たらない、装飾のない巻物を見下ろす。

 それから、満面の笑みを浮かべて刀鍛冶を見上げた。

「ありがとうございます、刀鍛冶さん」

「……虫干しの代わりだ」

 刀鍛冶は中庭の奥のほうを向いて言う。その横顔は普段とまったく変わりなく、礼に対する態度とは思えない。

 だが別に構わない。この心配りが嬉しかったし、昔の風俗を描いた絵巻物なのだ。独特な意匠がどこかに描かれているかもしれないし、そうでなくても変わった行事が描いてあればそれを意匠にできる。新しい意匠を考える上で、いい資料になることだろう。

 私が謝ったとはいえわざわざ用意してくれるって、不愛想なくせに親切な人だよねえ。いや人外だけど。

 身体はもう眠りたがっていたが、好奇心がうずく。少しくらいならいいだろう。

 登与はさっそく絵巻を床にゆっくり広げた。

「わあ……」

 そこは祭りの最中だった。

 祝詞を挙げる神事や豊作を祈る神事、神楽、地域の伝承を表現した演劇、露店、人々。祭りを構成するあらゆるものが、余すことなく描かれていた。

 単に、祭りに直接かかわることだけではない。酔っぱらって暴れる男、それを笑う女、女に色目を使う若者、商売に励む行商人、迷子なのか泣きわめく赤子。祭りに誘われ集った者たちの行動までも、何もかもだ。

 その、描かれた人々のなんと生き生きとして、瑞々しいことか。登与は引きこまれた。

 見たところ、特別変わった意匠は見当たらない。神事や出し物の場面も、星に関連したものがあるものの、この地独特の色は少なくても意匠などの面では薄いようだ。場面そのものに、稀有なものだと目を引くことはない。

 だが、人々の表情や動き、仕草。そうしたものの端々までに生命力があるように、登与の目には映った。これらはきっと想像だけではない。描いた人が祭りで見たものをほとんどそのまま描いたのだ。

 馬鹿なことをしていると呆れながらも笑ってしまう――――。この絵巻物にはそんな、赤子を見守る優しい親を思わせる眼差しが感じられる。

「……」

 登与の脳裏に河原で会った天狗が浮かんだ。修験行者の恰好をして登与に忠告をしてくれた、白い翼の妖。

 ああしてわざわざ人間に声をかけてくるような妖なら、人間の町を観察し描くのを好んでも不思議ではない。あるいはお抱え絵師に描かせたのかもしれない。このぶんだと、山奥に天狗の里があるのだろうから。

 しかしこれ、結構なお金かかってるよね多分。これだけの画材をここで揃えるの、簡単じゃないでしょ。

 実はあの白天狗、それなりの地位にあるのかもしれない。人間の常識は天狗に通用しないのかもしれないが、懐具合をいつも気にしている登与は羨ましくなった。

 ……押しかけ女房さんもこれ、見たのかな。

 不意にそんな考えが脳裏をよぎり、登与は慌てて首を振った。

 詮索はなし! ちょっと優しくしてもらえたからって調子に乗らない!

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