第七話 闇の中へ・一

「ほいよ、登与ちゃん頼む」

「あいよー」

 荷車から戻ってきたところで声をかけられ、登与は土砂が詰まった麻袋を両手で受け取った。少しばかり歩いて荷車に乗せると、荷台一杯に土砂入り麻袋を乗せた荷車は筋肉自慢の若者によってごろごろと引かれていく。

 重い麻袋を立て続けに運んだ登与は長い息を吐いた。それからすぐ土砂を麻袋へ詰める作業に戻る。淡々と、黙々と誰もが作業をこなしていく。

 行商はそこそこに、登与は塞がってしまった山道の復旧作業に加わることにした。絶対に早く帰らなければならない理由があるわけではないが、稼ぐ方法は一つでも多いほうがいい。

 作業員は登与を含めて三十人ほどで、多くは町の者たちだ。町の町長が雇った旅人も中にはいる。予期せぬ逗留を余儀なくされて手持無沙汰なので、宿代を稼ぐのも兼ねて作業に加わることにしたようだ。この町の町長は情報は出し渋っても、金は惜しみなく使う人物であるらしい。

 しかし職場環境はというと、けしていいわけではない。

 もちろん、登与に割り当てられているのは体格に応じた仕事ではある。昼の食事も用意されているし、行商人も作業をしているので色々と情報を交換しあうことができる。

 問題なのは、ある安宿に滞在中だという四人組だ。

 その揃いのいでたち、隙のない身のこなし、鋭い目つき。どれもこれも、登与が高台の屋敷に滞在することにした最初の晩に襲撃をかけてきた男と同じだ。

 つまり、あいつらのお仲間ってわけだよね、どう考えても!

 彼らが肉体労働に従事しているのは、都へ早く帰りたいからだけのはずがない。登与に仲間の行方を聞いたり、登与を監視するために決まっている。彼らの同胞は今も彼らのもとに帰っていないのだから。

 逃げようかと考えなかったわけではない。しかし四人組に気づいたのは作業が始まってからだったのである。さすがにそれから逃げるのは目立つし、他の作業員に迷惑だ。

 今のところ四人組は目立った動きを見せず積極的に復旧作業を手伝っていて、ただの寡黙な青年集団そのもの。危険な連中だとまとめ役の男に忠告しても無駄だろう。信じてもらえないに決まっている。

 だがふと手を止めて息を吐いたとき、四人組の誰かと目が合うことがある。そのときの不気味さといったらない。特別冷たくも鋭くもないのだが、あの淡々と観察するだけの目をいくつも向けられるのだ。

 公衆の面前で殺されるとは思わないし、作業の手を緩めるわけにはいかない。だが苛々する。登与にとっては最悪の職場としか言いようがなかった。

 そんな気の抜けない作業が夕方前に終わり、町では少々裕福な商人の三男だという青年が旅人の作業員に実家で夕餉をご馳走してくれたあと。月が山からその姿を見せてしばらくした頃に登与は高台の屋敷へ帰ることにした。

「女の子が一人で高台の屋敷までなんて……送っていこうか?」

「馬鹿言ってんじゃないよ。あんたがついていったって、もしものときになんの助けにもなりゃしないさ」

「そもそも、男が女を送っていくのがまずいと思う」

 母親と妹が冷ややかに指摘して心配顔の青年の心をえぐり、周囲の笑いを誘う。登与も申し訳ないが断った。このひょろりとした青年が襲ってくるとは思わないが、滞在中に妙な噂がたっても困る。

 そうして商家の者たちと別れ、月明かりを頼りに登与は山道を歩いた。虫の声と己の足音ばかりが聞こえる中、不審な音――――例えば自分以外の足音がしないか、日中にも増して神経を尖らせる。

 やがて登与は、自分のものではない吐息と足音を聞いた。

「……」

 送り狼に追っかけられるときってこんな感じなのかなあ……。

 正面を向いたまま歩きながら、登与は思わずにいられなかった。

 送り狼は夜の山道を歩く者の後ろをついていく、狼の姿をした妖なのだという。地域によって伝承は様々だが対処を間違わなければ人間を傷つけず、それどころか守りすらするのだといわれている。

 だが、登与を怯えさせる送り狼たちは、そんな優しさを持ちあわせていない。転んで隙を見せたら最後、命はないのだ。

 だから、登与は耳を澄ませて速足で歩く。自分は気づいていないだけでついてきているのかもしれないと心配して、走りだしたい気持ちを抑えつけていつもの速度で歩いていく。

 だからこそ余計に苛々した。

「ああもう、いい加減に出てきなよ! 他に誰もいないし!」

 堪りかねて、身を翻すや登与は怒鳴った。緊張に代わって怒りの波動が空気に広がる。

 その効果は絶大で、誘われるように木陰から賊たちが出てきた。

 全員で四人。見た目の年齢は様々だが、腰に小太刀を差した揃いの身なりや鋭い目つきは揃っている。日中に土砂の撤去作業を手伝っていた四人組だ。

 登与はいつでも腰の小太刀を抜けるよう、柄を握った。臨戦態勢で賊たちを睨みつける。

 登与の様子を見て、近づいてきた賊の一人はわずかに呆れたような色を目に浮かべた。

「そう身構えるな。お前を害するつもりはない」

「夜中に女を襲うような奴の仲間の言うことを、あんたは信じられんの? 都のお上品な人たちの御用聞きやってる割には、随分下衆なことするんだね」

「……!」

「そんな揃いの月紋の上着着てれば、誰だって天下の‘月烏’だってわかるっての」

 目を見張る男たちを、登与はそう鼻で笑い飛ばした。

 ‘月烏’。都で知らぬ者などいないに違いない、強者揃いの術者集団だ。都の郊外に本拠を構え、金を積まれればどんな汚い依頼でも引き受ける。そのため庶民にはまったく縁遠く、半ば物語の中の存在。噂には聞けど姿を見たことがないために、そんな術者集団などいるわけがない、と存在を否定する者も少なくない。

 しかし登与は行商ついでの運び屋の仕事で、‘月烏’に絡んだ荷を運んだことが一度だけある。それに実際、物陰からではあるが彼らの姿を見たことが何度かあるのだ。‘月烏’は存在していると信じざるをえなかった。

 だから今この状況がどんなに危険か、登与はわかっている。彼らに腰の刀で人を切り捨てる技量はないだろうが、術という恐るべき攻撃手段があるのだ。

 登与は素早く周囲に視線を巡らせた。もし逃げられる隙があれば、逃げる準備だ。

「さっきから気持ち悪いんだよ。人の後ろをつけ回しててさ。話があるならさっさとしてよ」

 目元にしわを刻み、登与はなじる。

 年嵩の術者は、眉一つ動かさなかった。 

「……お前は、あの屋敷で白い花を見ているか」

「……は?」

 唐突な、思いがけない術者からの問いかけに登与は頓狂な声をあげた。思考が一瞬停止する。

 花? こんな物騒な連中が……花?

「…………なんでそんなことを私に聞くの? あんたの仲間はあの夜、屋敷をうろちょろしてたじゃん。あの屋敷にあるかどうか知ってるんじゃないの?」

「お前も知っているだろう。あの屋敷は異常だ。あの男のせいで、今まで何人もの人間が姿を消している」

「知ってるよ。だから何? 人の質問に答えてないよ?」

 硬い表情に登与は硬い声で答える。術者たちの顔に苛立ちが見えたが無視だ。

 術者たちは視線だけ交わして舌打ちすると、年嵩の術者が口を開いた。

「……我らはあの屋敷に咲く希少な白い花を求めて参った。だがお前も知るように、あの刀鍛冶の男が邪魔して中を調べられん。だから聞きたい。お前はあの屋敷で白い花を見ていないか」

「……」

 登与は、すぐには答えなかった。屋敷で見た植物を思い起こす。

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