第一章 星降るあやしの町

第一話 物騒な町に来てしまった・一

「さあさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 都の奥様方お嬢さん方に人気の、登与の簪だよ! 簪だけじゃない、根付に小箱に巾着もある! 祭りの前だからお安くしとくよ! さあ、今のうちに買った買った!」

 雲一つなく晴れた空の下の、町の大通り。通りの両側から店の者たちが行きかう人々に声をかけていく中に、ひと際若く威勢のいい呼びこみの声があがった。

 肩を少し過ぎる程度の長さで黒髪を切り揃えた、しなやかな体躯の獣を思わせる少女だ。すらりと伸びた腕のしみ一つない肌を袖なしの衣で惜しみなくさらしていて、衣の下で描かれたなだらかな上半身の曲線もほのかな色香を漂わせている。腰には黒漆の鞘の小太刀。細い首には狼の牙の首飾りを下げている。いでたちや足元の荷物を見れば、行商に来たよそ者であるのは明らかだ。

 桜よりいくらか濃く艶やかな色の唇や桃を思わせる頬と顎、筆で書画の達人が描いたような柳眉。顔を形作るあらゆる部品の色や形、配置は見事の一言に尽きる。中でも際立つのは目だ。吊った大きな目は顔立ちを少しばかり幼く見せているものの、猫のようという印象が強い。

 行商人にしては随分と若く、同世代だからか。都からというふれこみに惹かれてか。たまたま通りがかった女性の一行が少女の前で足を止めた。しゃがみこんで品定めをはじめるのを見て、少女はにんまりと頬を緩める。

「お嬢ちゃん、これはいくらだい?」

「ああ、それは――――」

 尋ねられるままに少女が答えると、思ったより安い、とその中年女性は呟いた。それはそうだ。材料費とぼったくりと言われない程度の売り上げを、少女がしっかり見極めた価格なのだから。

 安いからと一人が買ってくれれば、こっちのもの。友人たちもつられるように、風呂敷に置かれた小物を買っていった。さらに雑踏の中から数人、少女と同世代の町娘たちも品物に興味を持ってくれる。

 よしよし、幸先はよさそう……!

 少女は心の中で万歳した。

 少女は一刻ほど前、都を端とする街道が通る山々の麓にあるこの町へやってきたばかりだった。行商兼運び屋をやっている彼女はある日、この町の住民へ文と荷を届けてほしいと依頼を請けたのだ。

 日頃は故郷から少々離れている程度が行動範囲なのに、今回に限ってこんなに遠いところである。ただ物を届けて終わり、ではもったいない。だからついでにひと稼ぎしよう――――というわけなのだった。

 少女の行商が女性客で賑わう中、何も買わずに眺めているだけだった女性がねえ、と少女に声をかけてきた。

登与とよの簪って言ってたけど、もしかしてこれ、あんたが作ったのかい?」

「はい、そうです。私が登与。ここに置いてある物全部、私が作ったんですよ」

 少女――登与はにっこりと、自慢そうに胸を張って言った。

「私、小さい頃から捨てられる物をもらって小物を作るのが趣味でして。それで、育ての親の許可をもらって、行商兼運び屋もどきもしてるんです。これでも行商は三年目で、都のちっさい店の人に品を卸すくらいはしてるんですよ?」

「おやまあ……じゃあ、もしかしてここへ来たのも一人で?」

「はい。まあ途中までは、家の近所の人と一緒に旅をしてたんですけどね。ちょっと物騒なところも通りますから」

「へえ……若いのにしっかりしてるんだねえ。うちの馬鹿息子とは大違いだ」

 最初に品を買ってくれた女性は感心とも嘆きともつかない息を吐いた。こうなると、同世代の母親でもある方々が共感していくのはごく自然の成り行きで。

 これ以上ありふれた身の上話をしないほうがよさそうだ。登与は心の中で苦笑した。

 幼い頃に両親を亡くし最寄りの神社の禰宜と巫女に引き取られた登与は、同じような境遇の子供たちと共に神社の横の宿舎で暮らしている。小物を作って収入を得るのは単なる趣味というだけではない。特別食べ物などに困っていなくても自分にできることで家族を助けられるのなら張りきるのが、年長者の務めというものだろう。

 客は短い時間だけ途切れて、次々とやってくる。それらを捌き、昼下がりになったところで登与は店じまいをすることにした。まだ商品は残っているが、近々あるという祭りが終わるまではこの町にいるつもりなのだ。急ぐ必要はない。

 荷をまとめた登与がさて寝床を探すぞと、宿を探そうとしたときだった。

「あれ……さっきの」

 歩きだしたところで、行商を始めてすぐやってきた中年女性たちに次いで小物を買っていった町娘たちが前から歩いてきているのを登与は見つけた。皆、手に籠を持っている。仕事をしてきたのだろう。

 町娘たちも登与に気づき、片手を上げた。

「登与さん! 売るのはもう終わり?」

「うん。商品が大分なくなってきたし。お祭りが近いうちにあるんでしょ? それまでまた材料を集めて新しいのを作って売るつもりだから、他の子たちにも声かけておいてくれるとありがたいな。もちろん、お祭りの日も売るし」

 話を向けられ、登与はにっこりと笑って宣伝する。登与の行商の主力商品は、簪や髪紐、その他小物なのだ。こんなときこそ、町娘たちの連絡網を頼らねば。

 町娘たちが快く請け負ってくれたのに、にんまりしたあと。ところで、と登与は話題を変えた。

「どこか安い宿を知らない? 私、まだ宿に泊まってないんだ。お祭りがあるって聞いたのは、行商を始めてからでさ。皆は安い旅籠を知らない?」

「安い旅籠……? 美弥の家って、安いんだっけ?」

「うん、そうだけど……」

 友人に話を向けられ、美弥と呼ばれた娘は頷く。しかし、その表情はあまり明るいものではなかった。

「でも、さっき怖い男の人たちが来ていっぱいになってるから、無理だと思う。いつまでいるかわからないし……」

「そうそう。ちらっとだけ見たけど、皆怖い顔で、刀も持ってるんだよね。山賊がたまに出るから、当然だけど」

「今ならまだ、探せば他の宿は空いてるんじゃない? お祭りまで時間があるし」

「けど、美弥の家の宿って、町で一番安いんじゃなかったっけ?」

 と、町娘たちは口々に言う。次々と流れこんでくる情報に、登与は顔をひきつらせた。町一番の安宿はこわもての輩に占領され、普通かそれ以上の金額の宿に長逗留するしかないなんて。最悪だ。やはり稼ぎが吹き飛んでしまうではないか。

 そこで登与は、あ、と思いついた。

「ねえ、町の外れのとこに屋敷があったけど、そこに泊まらせてもらっちゃ駄目なの? あの屋敷、空いてるっぽかったし」

 と、登与は町を見下ろす高台を指さした。そこには一軒だけ、屋敷らしき建物の屋根と塀が見えている。

 この町へ来る途中から、今指さしている高台に大きな建物があるのは見ていたのだ。見えた限りだと人が住んでいなさそうだった。特にひどい荒れようでなければ、風雨をしのぐことくらいはできるだろう。

 ――――――――が。

 途端、町娘たちはぎょっとした顔で登与を見た。ちょっと何言ってるのよ、と言う者までいる。

 なんだ、この反応は。わからず、登与は目を瞬かせた。

「あそこ、人が住んでるの?」

「ううん、住んでないよ。昔は町長さんのお屋敷で、そのあとしばらくしてから刀鍛冶が住んでたそうなんだけど……今は母屋の部分だけ、町の皆で休憩所とか作業場とかにしたりしてるの。だからたまに旅の人を泊めたりしてるけど……」

 と、そこで言って、町娘は言葉を途切れさせた。登与が他の町娘たちのほうを見てみても、そちらも躊躇いがありありと浮かんでいる。

 まあそれはそうだろう。こういうのは町娘程度が気軽に決めていいことではない。

 しかし、一人だけは違う反応を見せた。

「いいんじゃない? 今は特に物置になってるわけじゃないし、旅の人を一人泊めるくらいどうってことないでしょ。町長さんにちょっとお願いすれば大丈夫だよ」

 青い紐で髪を結んだ娘はそう、平然とした様子で皆を見回して言った。いやまずいって、と言う者もいたが、まるで気にしていない。

 確か、久江ひさえと行商のときに呼ばれていた娘だ。歳はおそらく、登与より少し下。質素だが上等な生地の着物を着ていて、裕福な家の子なのだと一目でわかる。

 ええとこれって、もしかしなくてもあれかな。

 登与は心の中でうめいた。こういう反応はどこの町でも大抵、共通した事情が原因だ。あちこちへ行商やら物を運んだりしている登与は知っている。

 しかし背に腹は代えられない。登与は久江に頼んで町長の屋敷へ案内してもらい、高台の屋敷に泊まりたいのだと直談判することにした。

 さいわい、登与が呆気にとられるほどあっさり許しが出た。先ほど登与の簪を買ってくれた客の中に町長の妻がいたのだ。祭りに向けて品を作るなら作業場が必要だろうと、夫に口添えしてくれた。手に職持つのって大事だよね。登与はいつものことながらしみじみ思った。

 そんなこんなで当面の滞在先を確保できた登与は、また久江の先導で高台への道を歩いた。

「結構長い坂道だね……」

「うん。でもこの辺りを過ぎたら、あとは結構楽だから頑張って」

 うんざりした声をあげる登与の先を行く久江は、そうどこか笑みを含んだ声で言う。慣れているのか、身体に堪えている様子はない。

 夕食と朝食の食材は町長の妻が持たせてくれたのでよかったが、明日からは町と行き来が必要だ。高台の屋敷に泊まらせてもらうのは、早まったかもしれない。登与は早くも後悔しかけていた。

 それに。

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