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  • わおっ!”I am science.”なら”私=科学”となってしまいます。「私は理系です」なら、”I'm a science major."とか”I’m majoring in science."辺りが妥当だと思います。昔からの英語笑い話で、国際線の飛行機の中で、CAさんに"Coffee or tea?"と聞かれた人が"I am coffee."と答え、けげんな顔をされた、というものがあります。

    さて、私が医学部を受験した時もいわゆる旧課程と新課程の切り替わり期でした。当時はセンター試験でしたが、2年間の移行期間(旧課程と新課程の選択ができる)の2年目に受験しました。1年目は「旧課程」が易化していたので、「これはまずい」と思い、私は「新課程」で受験しました。これが大正解で、私が受けた年は、「新課程」が易化、「旧課程」が超難化していました。そういう点でも、前年の出題傾向、「課程」が変わるときは大切かもしれません。

    私も「数学のできない」理系の人間です。いわゆる「理科」と呼ばれる教科では、「分類学」「博物学」みたいな、動植物の名前や分類を覚えたり、星座を覚えたりするのは嫌いでしたが、それを除くと、色々な自然現象や、エンジニアリングなどは大好きでした。高校時代は「中原 中也」や「太宰 治」に傾倒していて、文学部に行こうとも思ったことがありますが、「理系に進んでも『詩』を書くことはできるが、文系に進んで『自然科学』を仕事にすることはできない」と思って理系を選択しました。大学に入学して、どこをどうして数学の単位を取ったのか、未だに思い出せません(笑)。

    遺伝というのは恐ろしいもので、子供たちも「数学の苦手な」理系人間です(笑)。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。


    そうですよね、流石に"I am science"はおかしいと薄々感じておりました。

    成程、”I am science major.”ですか。全く思いつかなかったなぁ……。英語の成績、今回はそんなに悪くはなかったんですけどね。どうやらあれは幻覚だったようです。以後、気をつけます。

    今回の新課程への切り替えで、僕の学校のみならず、受験界隈全体では、浪人生が激減するんじゃないか、なんて言われておりました。そしてその漁夫の利を狙い、東進などでは「周りが高偏差値帯の大学を渋る今年がチャンス‼‼」などと喧伝していたようです。

    ……まぁ、結果的にその目論見は外れたらしいのですが。僕の学校では、寧ろ例年よりも多くの浪人生を輩出しました()
    大衆の観測というものは、どの時代や社会でも当てにならないものです。


    ちなみに、僕はといえば、分類学や博物学などは、むしろ大の好物に当たります。元々生物学が好きで無理を押して理系に進んだようなものなので(笑)。それとは別に、こうして自身の思考を文字に起こすのも大好きです。

    ただ、そういう行為に興味を持ち始めたのはかな〜り最近です。1年半前の自分が、文章作成に勤しんでいる今の僕を見たら、びっくら仰天している事でしょう。まして、「浪人して日記っぽいのをカクヨムで書いてる」なんて知ったら、二つの意味で腰を抜かしてしまうに違いありません()


    という訳で、僕は中高の六年間でまっっっっっったく小説などを読んでいませんでした。もしあの時期に覚醒してもっと書に慣れ親しんでおけば……と、悔やんでも悔やみきれません。

    勉強に支障をきたさない程度に、現在も読書を続けています。大学を卒業する頃までには、一般的な読書家の人達に追いつけるといいなぁ……

  • ソロ花見(後編)への応援コメント

    私が「医師」になる過程の中で、一番難しかったのが「医学部医学科」に合格する、という事だったと、今でも思っています。今でも、「合格」は奇跡だと思っていますし、母校には足を向けて眠れません(笑)。

    子供のころから、勉強はできた方ですが、運動や体育は目を覆いたくなるほどのできなさっぷりでした。跳び箱は飛べない。逆上がりはできない。50mを真剣に走っても11秒くらいかかる(小学生で、速い子なら7秒台で走ります)、球技なんてチームの「お荷物」扱いでした。

    小学校、中学校、そしてある程度は高校でも、スポーツのできるやつは女子に人気です。という事は逆に私は「冴えない君」代表みたいなものでした。

    そんなわけで、小学生くらいから、「できるやつは遊んでてもできる。できない奴はどんなに頑張ってもできない」と思っていました。「結果=才能×努力」だ、と思っていました。

    そういう点で、自分に「できないこと」がたくさんあったからか、自分は少なくとも「傲慢で嫌なやつ」ではなかっただろう、と思っています。

    体育祭で、ほかのランナーが全員ゴールしているのに、自分は半周以上も遅れていて、放送席から「最後のランナー、頑張って走ってください。みんな応援してください」と言われ、心の底から「俺、誰も見てなくても全力で走るから、どうか俺のことを見ずに放っておいてくれ!」と、公開処刑された経験があるから、「できなくても頑張っている奴」を見ると、心から「頑張れ!」と応援してしまいます。

    作者からの返信

    本話の「鈴木」の性格やバックグラウンドは自身が今までに読んできた創作や関わってきた人達をモチーフにしました。要するにキメラですね。

    登場人物として物語に出すキッカケになったのは山線・川線氏のコメントがきっかけです。非常に身勝手極まりない話で申し訳ないのですが、創作のタネを早くも行き詰まっていた私に降らせてくれて本当に感謝しています。

    「鈴木」の直接的な人物像のモチーフとしては、高校の知り合い二人を参考にしています。性格は真反対ですが、どちらも根はいい奴で、何よりも絶対に上位校へ合格してやろうという意志と気概を持った好人物でした。

    後期試験後、片方が私と同じく浪人したと知り、更には卒業後の集まりにも出席しなかった為、心配で個人的に連絡を取ってみたのですが……、

    電話越しに小一時間会話し、いつも通りの調子でネタも交えながら楽しい時を過ごせました。本人曰く、「落ちたのは悔しいけどやるしかねぇ(意訳)」だそうです。「それだ!!!」と閃き、本話のオチに形を変えて採用することにしました。
    そのまま載せたらただの根性論になってしまうので……。

    編集済
  • はじめに(暫定)への応援コメント

    高校卒業後、1年間浪人生活を行ない(予備校に通いました)、大学院生時代に、「仮面浪人」をしました。

    高校卒業後の「浪人生」時代は、「何者でもない」という居心地の悪さが辛かったことを覚えています。

    「仮面浪人」時代は「仮面浪人」とはいえ、所属している研究室には毎日顔を出し、学術論文を読みながら、という「半分受験生、半分大学院生」でした。

    どうしても「医者」になりたい、と思って勉強していたので、そんな感じでしたが、何とか医学部に引っかかることができました。

    この時は、一応「大学院生」という身分だったので、高校卒業後の「何者でもない」感に苛まれることがなかったのは、よかったと思います。

    「宅浪」するなら、モチベーションを保ちつつ、毎日の課題を着実に進めていくことが大切だと思います。

    頑張ってください。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!!

    やはり何事にもモチベーションは大切ですよね……。

    半強制的だった学校生活や日々の宿題は、寧ろありがたいものだったのだな、と今更ながら痛感しています。

    医学部、医学校に行った奴、それから目下浪人しながら目指している奴を何人か知っていますが、共通して思うのは、やはり「数年先を見据えて」行動できていた事だと思います。

    「数年先を見据えて」行動をするというのは、医者になるという「夢」が無いと出来ません。「夢」があるからこそ、高校生という余裕のない生活の中でモチベーションを保って行動できていたのでしょう。……中にはそんなものが無くてもどうこうなる天才もいますが。

    僕も「夢」を抱いていない訳ではありませんが、今思うと、それを求める心とビジョンが少し弱かったような気もします。

    天才ではないなりに、この一年は頑張らないといけませんね…