丘の上のソーダキャンディ
祐里(猫部)
1. It's hot.
偏差値五十、全校生徒数約千五百名、生徒数が多いことだけが特徴の普通の県立高校――これが、
「ほんと、よく俺らこんな坂道歩いてると思うよ。毎日が遠足だな」
三月中旬、寒風を運ぶ冬将軍が元気をなくし始めた頃、隣を歩く友人の
「そうかも。今日も弁当持って遠足かぁ」
「……あれ? 十和田は弁当いらないだろ。午前中で授業終わりなんだから」
「え? 午前中授業って今日からだったっけ?」
「そうだよ。俺は部活あるから持ってきたけど」
「あー、そうか……持ってきちゃったな」
その日も雑談をしながら学校まで歩き、違うクラスの野崎と廊下で別れた。自分の教室に入って席に着いても誰も声をかけてこない。それでいいと思っていた。最新のポータブルオーディオプレイヤーもあることだし、と。イヤホンを耳に詰めていれば、周囲の雑音はシャットアウトできるのだから。
生まれつき茶色がかった猫っ毛の髪を耳にかけ、周一はイヤホンを装着した。
◇◇
野崎が言っていたとおり、授業は昼前に終わった。鞄の底の弁当を家で食べるのも味気ないと、周一は寄り道をすることにした。自宅の最寄り駅からバスに乗り、子供の頃に一度行ったことのある丘の上の博物館前を目指す。
「けっこう長い坂だと思ってたけど、そうでもないな」
学校に行く時の坂道と比べるからだろうか、それとも体が小さかった子供の頃の記憶がそうさせるのだろうか。降り立ったバス停から歩くと思っていたよりあっさりと坂道が終わり、汗もかかずに行き着いた先は博物館の周りにある公園だった。
空にはちぎれた綿菓子のような雲があるだけで晴れており、風が弱く、暖かい。黒いブレザーと白いワイシャツ、えんじ色のネクタイにグレーのズボンという制服でちょうどいい気温だ。周一は記憶の中と同じ場所にベンチを見つけて腰掛けると、バスを降りてすぐに買ったパックのミルクティーと弁当を取り出した。
長いストローを差したミルクティーを飲みながら弁当を半分ほど食べ進め、ミートボールを口に入れようとした時だった。外国人の少女が、こちらに向かってずんずんと歩いてくるのが目に入った。
「これ、なに?」
彼女は周一の目の前で手に持っていたおにぎりを差し出しながら言った。もう片方の手にはコンビニエンスストアの袋を提げている。おにぎりを買ったはいいが漢字が読めず困っているのだろうと、周一は漢字を読んでやることにした。
「……明太子」
「めん、た……? なに?」
「ふぃっしゅこっど」
魚卵はfish codでいいんだよなと、周一の頭は目まぐるしく考える。それなのに、出てきた言葉は拙い英語だ。
「Oh! Fish cod!」
「いっつはっと」
「Hot!? Oh……」
辛いものは苦手なのだろうか、何故中身を確認せずに買ったのかと尋ねてみたいが、周一にそこまでの英語は話せない。hotは「はっと」という発音の方が近いと思い出せただけでも御の字なのだ。この会話はいつまで続くのかと困っていると、そんな周一の心を読んだかのように彼女は日本語で話し始めた。
「あなた、からい、すき?」
「ええと、好きだよ」
「すき? これをたべてください」
「え、いや、いいよ。きみのだろ?」
日本人より少し色の濃い肌に大きな目を縁取るまつ毛が印象的な少女は、周一が断っても頑なに明太子おにぎりを持つ手を引こうとしない。口を一文字に結び、真剣な表情を作っている。
「……じゃあ、もらうよ。ありがとう」
根負けした周一が明太子おにぎりを受け取ると、少女はほっとしたように少しだけ笑った。その表情の変化に一瞬見入ってしまい、慌てて逸らした視線の先に、彼女のウエストのあたりにぶら下がるカメラを見つける。
「カメラ? 写真撮るの好きなの?」
「はい、すき」
「今日も何か撮りに来たの?」
「はい、さくら、フィリピンあまりない」
彼女がフィリピン出身だということがわかり、何となく納得する。最近、すぐ近くの米軍基地に大きな空母が出入りしており、空母に乗る米兵の中にフィリピン人も多くなっていると聞いていたからだ。
「桜はまだ咲いてないけど……」
「Hmm……、はなのまえも、ほしい」
「はなのまえ……咲く前ってことか」
周囲に植えられている桜の木を見上げると、蕾がふくらんでいるように見える。
「なるほど、そういうのもいいかもね」
「はい」
そう返事をし、少女はあどけない顔を輝かせた。年頃は同じくらいだろうか、細い体には不似合いの大きなカメラを両手で持ち、軽い足取りで桜の木々を回り、写真を撮り始める。
楽しそうに動き回る焦げ茶色のポニーテールを視界に入れながら弁当とおにぎりを食べ終え、そういえば、と、周一は気付いた。彼女の方からくれたものとはいえ、おにぎりをもらってしまったのだ。お金を払うべきだろうか、それとも何か別のお返しをした方がいいだろうかと考えてみる。しかし鞄の中には、近所の駄菓子屋で買った飴しか入っていない。手作りのおいしい飴だが、小さなビニール袋に入っているだけで、見栄えは良くない。
「ごめん、ちょっといいかな。お金払うから」
近くの木を見上げていた少女に後ろから話しかけてみると、嫌そうな顔が振り向いた。
「おかね、いらない」
「いや、でも……」
「ねだん、しらない」
「……そっか、わかった。じゃあこれあげるよ」
明らかに嘘とわかるそっけない言い方に、思わず笑みがこぼれる。仕方ないなという風に、周一は鞄からごそごそと出した飴を彼女に渡した。ソーダ味の飴は、きれいな水色だ。子供向けにしては大きめの丸い形で、周りに白いざらめがついている。
「Wow! Thanks!」
たった二個しかない飴を少女は喜んで受け取り、ビニール袋から一つを指でつまんで空に透かした。遠くに小さな白い雲がいくつか浮かぶ、きれいに晴れた空に。
「おいしい」
丸い形にふくらんだ彼女の頬と周一の頬が、柔らかな春の風を受け止めた。
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