3 合理性――Are you right? ――(5)

「お目覚めかしら」


 起きると、エイクの顔が目の前にあった。


 部屋の中もエイクの姿も何も変わらない。


 窓からは夕陽が差し込み、まるで昼寝していただけなのかと思える程だ。


「あれから、どれほど経った?」


「正確な時間を図ることに意味はないわ。実際に見て観た方が――」


「合理的と言うわけか」


 人形はベッドと関節を軋ませながら立ち上がった。


「ふふ、本当、よく儲けさせてもらったわ。おかげでこんな物まで手に入った」


 エイクは、ハンディタイプのビデオカメラを手にして言った。


 暢気に部屋やセールを撮って楽しんでいる。


「俺を起こしたということは街から出る時が来たのだろう。さあ、早く行こう」


「ええ。街からは出るわ。だけど、その前にどうしてもセールに手伝ってもらわなきゃいけないことができたの。そのビデオカメラを持ってついてきて」


 エイクは一方的に言って、セールにビデオカメラを押し付けてくる。


 セールは訳がわからないまま従った。


                     *


 街の一画、市庁舎前の広場にはたくさんの人間が集まっていた。


 二人は広場を見下ろせる建物の屋上に陣取る。


 軍隊のように整然と並んだ人々の先には、主のいない十字架が何十と並んでいた。


 人々は話し声一つなく、何かを待っている。


『さて、こうして街の全員が集まり、厳正で合理的な投票の結果、皆の尊い食糧になる方々が決定した訳であります。非合理的な挨拶は省き、開票の結果をお知らせします――』


 偉そうな髭を生やした中年男性が、拡声器を使って、声を張り上げた。


「エイク、彼は何を言って――」


「見ればわかるでしょう」


 エイクはにべもなく答え、辺りを警戒するように見回している。


 やがて、彼女の言う通りになった。


 名前と居住区の分類番号を読み上げられた人々が、前に進み出る。


 男たちが一人につき数人がかりで、十字架に対象者を逆さに括りつけていく。


『では、一秒でも長く生きている家族といられるようにとの、合理的な配慮の下、ご家族の代表者の方に解体して頂きましょう。その後、すぐさま食糧の分配に移りたいと思います』


 レンズ越しにその光景を撮影していたセールは、思わず一人の人物にズームした。


「彼は……」


 見覚えがある顔だった。


 あの日、食糧配布場所で見かけた少年だ。


『父さん。解体するにはまず、どこかの動脈を切って、血抜きをする必要があるね。僕は首の頸動脈が合理的だと思う。苦しみも血抜きにかかる時間も一番短いはずだから』


『ああ。そうだな。父さんも賛成だよ』


 男性は、既に片足と両手の指を失っていた。


「ああ、あの人ね。漁の最中、事故にあったらしいわ」


 天気の良し悪しを話すようにエイクは言った。


『それから、昨日話したことは覚えているね』


『うん。肉体労働は事故や病気の際に潰しが効かない上に、これから食糧不足で労働環境が悪化していくから、知的労働にシフトした方が良いという話だね』


『ああ。そうだ』


 男性は満足げに微笑んだ。にも関わらず、身体は拘束から逃れようと必死に抵抗している。


 それは、本人の意思ではなく、本能の勝手な抵抗に思えた。


『おそらく、僕は知的労働に適正があると思う。下級から中級の職は得られるはずだよ』


 少年が淡々と言った。


『それでは初めてください』


 市長の掛け声で、少年に包丁が手渡される。


『それじゃあ。いくよ』


 少年は躊躇なく、刃を男性の首に滑らせた。


                           *


「なぜ、俺がこれを撮影せねばならない?」


 セールは身体を震わせながらも、なぜか目を逸らしてはいけない気がして、撮影を続けた。


「人形のあなたが撮った方が手振れが少ないと思ったのだけれど……そうでもなかったわね」


 セールの質問の意図が上手く伝わらなかったらしく、エイクは鬱陶しそうに答えた。


 仕方なく、セールは自身をを納得させる合理的な理由を探す。


 エイクだって、酔狂でこんなことをしている訳ではないだろう。何か目的があるはずだ。


 残酷な光景を映像におさめる理由を必死に考える。


 そうだ!


 きっと、エイクはこの惨状を広め、合理性だけを広める空しさを教えようとしているのだ。


 そのように結論づけると自分の行動にも意味があるように思えてきた。


「さすが反応が早いわね。もう限界か……セール、ばっちり、撮影したわね?」


 エイクは独り言のようにそう言うと、セールを一瞥した。


「ああ……ああ!」


 セールは呻くように叫んだ。


「じゃあ、もういいわ。さっさと街から逃げるわよ」


「……逃げる?」


 見れば、屋上へと続く階段から、カマキリのような刀とカブトムシの甲殻みたいな鎧で武装した人間が姿を現した。


「これだけ合理的な人間がいれば、皆の注目が広場に集まっている間に、いるかいないかわからない旅人を虫のおかずにしようと考える輩もいるに決まっているでしょ?」


「しかし、この街の人々は、皆、合理的な正義を愛する人たちで――」


「合理的な牧師もいれば、合理的な殺人者もいるわ。やっぱりあなたのその目は綺麗ごとしか見えないのね。丸ごと取り替えた方がいいんじゃない?」


 向かってきた一体の刀をガラスの靴で軽く弾いて、鋏で袈裟切りにする。後に続く人間は、その光景を見て、それ以上エイクに手を出そうとはせず、地面に頽れた死体に群がりはじめた。


「素晴らしい合理的な判断ね」


 エイクは皮肉っぽく言うと階段に向かって一直線に走る。


 セールはハンディカメラを抱えて、慌ててエイクを追いかけた。


                 *


 湖の先には、相も変わらずお菓子の森が続いていた。


 今日もおいしそうな実が熟し、食欲をそそる匂いを運んでくる。


「この一か月、何も口にしてないでしょう? あそこのプリンのきのこを食べてみれば? きっと、おいしいわよ」


 ハンディカメラの映像を確認しながら、エイクがからかった。


「いや。俺はいらない。これからはやりたくないことは、やりたくないと主張することにした」


 セールはふっきれたように言う。


「非合理ね」


「ああ、非合理だ」


 二人はそう言うと、顔を見合わせて静かに笑い合った。



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