宇宙を構成する最小単位は二人。フーのアートを観測する最小単位は……?

「天」に描くは、「才」能の極み。魔法のように描かれるそのアートをイメージしながら、私もそれをいつまでも眺めていたいと思わされました。
 振り返る過去なんて、文字通り過ぎ去っていて。ガラクタであろうと、アートに昇華してしまえるのは、その天賦の才たる所以ですね。あの頃の僕らは何にだってなれた。それはきっと色だけじゃなくて。そんな色々な色鮮やかな思いも一緒に乗せて飛んで行ったのだと思います。え? どこへかって? 「未来」という誰も観測しえない無限の可能性へです。
 無情にも次元の壁に潰されてしまった海の生き物たち。海が消えた日。あの日、フーに魅せられたアートを思い出しながら、僕はあの日に戻ろうとする。でもできない。
 まるで本の世界に閉じ込められたように、折りたたまれた世界の中。人々や生物の歴史毎強引に折りたたんで製本されたその本から何とか逃れたのは、幸か不幸か。その本のページを捲ることさえできれば、あの日に戻れるのに……と思いつつ、そのページだけがっちりと隣り合うページと糊付けされているかのような絶望感に打ちひしがれました……。
 会えた。そんな一言が口をついて出ました。次元断層というそのわずかなスペースに垣間見えるのは、芸術そのものなのかもしれません。フーの「芸」当はぼくとフーを再び出合わせる「術」になっていたのですから。
 それはまるで、命の灯火のように。姿形を変えながら、次々に生み出される……夜空という「海」に「出される」アートの数々。儚くも強い強いその輝きは、ぼくの頭の片隅(スペース)どころか、脳内いっぱいに煌めいていつまでもその輝きを放ち続けるのだと思います。
 つらい過去からは目を背けても良い。もとより「背」に目なんてついていなから。ただ、それが一番最高の思い出と背中合わせなのはなんとも歯がゆいばかりです。こんな背中合わせ、希望と絶望の背中合わせなんて……さよならの言葉は一方通行。
 でも、ぼくがその一方通行の標識さえ取っ払ってしまえば……なんて、ほんの少しだけ願わせてください。

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海が消えた日