第12話 君の事を思うと ※公爵side

 今日はやたらと身体が重い。

 疲労なのか、机上の書類の多さに嫌気がさしているのか、先程の報告のせいか。

 思い当たる節が多すぎてこれと言った決定打が見つからない。

 七年間働き詰めだったツケが回ってきたんだろうか。

 現実から目を逸らすように視線を横に滑らすと、ロゼがソファで微睡んでいた。


「疲れたんだろ。 眠ってて構わないぞ」

「いえ、そういう訳には……」

「いいから。 大人しく横になれ」

「でも閣下が仕事してるのに……」


 すんなりと甘えようとしない所が彼女らしいといえば彼女らしい。

 だがそれが悪い所でもあった。


「いいからこれでも被って寝てろ」

 

 壁に吊るしておいた外套でくるんでやると、ロゼは恭しく頭を下げた。


「……ありがとうございます」


 ようやく眠る気になったらしく、そのまま猫の様に身体を丸めて眠りについた。


 彼女は幼い頃に世話になった恩師ルカスの娘、ロゼ・アルバート。

 魔法が一切使えない魔力なしセロだ。

 『神からの賜物』だと言われている魔力を持たずに生まれたセロは、捨てられたり殺されたり売られたりと、彼らの人権など無視した扱いを受ける事が殆どだ。

 だが初めて会った時の彼女は本当にセロなのかと疑わしい程に、強い意志と生命力を鮮緑の瞳に宿していた。

『あぁ、彼女がルカス殿の娘だ』

 そう信じて疑わなかった。

 

「貴方をお守りする役目を頂けませんか?」


 魔力をもたない華奢な身体で何を言い出すかと思ったが、腕試しをしてみれば他の者よりも遥かに強かった。

 今いる騎士達が七年訓練を積んでも到底叶わないレベルだろう。

 生き抜く為に魔物と戦ってきた人間はやはり格が違う。

 世の中の女性は皆、淑やかだったり媚を売ったりするだけなんだという認識を見事に覆された。  

 本当に目が離せない。

 

「あれ、寝てしまいましたか」


 書類に目を通していると、書斎室からエメレンスが戻ってきた。

 すると特段大きな声をだした訳でもないのに、ロゼが驚いた様子で飛び起きた。


「も、申し訳ありません!」

「いや、僕も起こしてしまったみたいでごめんね。 まだ休んでていいから」

「ありがとうございます。 でも大丈夫です」


 ロゼは苦笑いを浮かべて、掛けていた外套を丁寧に畳んでいく。

 きっと軟禁生活の名残だろう。

 慣れない場所では安心して眠れないようだ。

 事情を知らないエメレンスは様子を伺いつつ、持ってきた数冊の本をロゼの前にドサリと置いた。

 

「一ヶ月の間に読んでおいて。 それらについて感想をまとめてきてくれたらいいから」

「はい……」


 ロゼは顔を顰めながら、一冊一冊手に取りパラパラと中身を確認する。

 まぁタイトルを見ていると、今の彼女に必要なものばかりだ。

 エメレンスなりの優しさだろう。

 するとエメレンスは俺の方へ向き直ると、にこやかに笑った。


「で、閣下はどうします?」

「何がだ?」

「お仕事ですよ。 僕で代われるようでしたらやっておきますから、今日は早く帰ったらどうです? 万全ではないでしょう?」

 

 こいつ、いつから気付いてたんだ。

 『大したことない』と言いたかったが、ロゼが心配下にこちらを見ている事に気づいた。

 困った部下も休ませる為には、俺が手本にならなきゃ駄目か。


「わかった。 済まないが後は頼む」

「お任せ下さい!」


 自分の仕事が増えたというのに、エメレンスは満面の笑みで敬礼をした。

 まぁ苦でないならいいんだが、本当に変わった奴だ。

 

「よし、じゃあ屋敷に戻るぞ」


 俺は貸していた外套の袖に腕を通し、ロゼに帰宅準備をするよう促した。

 するとエメレンスは珍しく動揺して見せた。


「え……、お二人は一緒に住んでるんですか?」

「事情があってヴランディ家で保護している。 どうした?」

「いえ、人嫌いの閣下が女性を側に置くなんて意外だなと思いまして」

「別に、その必要があるからしたまでだ」

「そうですか……」


 何だその反応は。

 まさかエメレンスの奴、ロゼに好意を抱いてるとかじゃないだろうな。

 さっきも何かとロゼを気遣っていたし、服も自ら渡した様だった。

 まさかこんなにも早く目をつける男が出てくるとは想定外だ。

 俺は先程までロゼが着ていた服を、持ち主のエメレンスに差し出した。


「エメレンス、これを」

「え、もしかしてロゼが着てるのって……」

「俺のだ。 この方が勝手が聞く」

「確かにそうですけど……」

「ロゼを気遣ってくれて助かったよ。 この礼は必ずするから」

「……承知しました」

「じゃあ、後は頼んだ」


 そう言い残してロゼの肩を引き寄せた。

 小言の一つでも言うのかと思ったが、この時のロゼは意外にも大人しく、すんなりとこの場を離れることが出来た。

 まぁ勘のいいエメレンスだ。

 これが牽制だと気づくだろう。

 これで大人しく諦めてくれる事を願おう。


 ◇◇◇◇


 外へ出ると、既にユーリと御者が馬車を止めて待っていた。

 

「おかえりなさいませ。 お二人揃って以下がなさいましたか」

「ロゼの体調が気になってな。 仕事はエメレンスが請け負ってくれたから後は問題はない」

「私は大丈夫ですって! 閣下の方こそ大丈夫なんですか?」

「俺は別に問題はない」                                  

「エメレンス様が心配してたじゃないですか。 しらばっくれないでください!」 

「はいはい喧嘩せずにさっさと乗って下さい。 私は前におりますので、お二人でゆっくり休んでおいてください」

 

 ユーリが呆れた様子で俺達を馬車へと押し込むと、ようやく御者が馬を動かした。

 ゆっくりと流れていく景色はいつもと変わらない。

 だが向かいに座っているのはユーリではなく、懸命に睡魔と戦っているロゼだ。

 その様が面白くてつい見入ってしまう。 


「屋敷まではまだあるんだから寝たらいいだろ」

「そんな、訳にはいきません……」


 そう言いつつもロゼはコクリ、コクリと夢と現実を行き来している様だ。

 終いには馬車の揺れで椅子から落ちそうになったので、俺はロゼの左隣へと移動した。


「閣下……?」

「着くまで少し寝ておけ。 中は俺と二人なんだから、何も気兼ねすることもないだろう」

「ですが……」

「俺がいると眠れないか?」


 ズルい聞き方だったかも知れない。

 ロゼは困ったような顔で俺を見たが、やがて小さく首を左右に振った。

 ようやく甘える気になったらしく、俺がロゼの頭を引き寄せると徐々に身体を預けてきた。

 そして『ありがとうございます』と呟き、ゆっくりと目を閉じ眠りについた。

 野良猫がようやく自分に懐いたかのようだった。

 

 馬車の振動とロゼの小さな寝息が心地良い。

 だが今はロゼの安全確保の為にも眠るわけにはいかない。

 ここは仕方がない。

 今一番会いたくないあの人の事でも思い返そうか。


――――

 

 俺がヴランディ家に養子に入った頃には既に、ロゼの父親、ルカス・アルバートは熊のような巨体で長剣を振るう風変わりな男で、魔物以上に恐ろしいと巷で有名だった。

 暫くしてルカス殿が指導係になったと聞いた時は、正直生きた心地がしなかった。


「ほら、さっさと起きろ!」


 鍛錬に疲れて休んでいたらいきなり水を吹っ掛けてくる。


「何すんだ! 普通に起こせばいいだろ!」

「己の力もろくに活かせない奴が偉そうな口を聞くな。 ほら始めるぞ」

「くそっ……義父上に言いつけてやる」

「残念だな、ヴランディ卿には許可はとってある。 観念してついてこい!」


 養父ヴランディ卿の古い友人だった事もあって指導役を請けたらしく、魔法が上手く使えなかった俺は死物狂いでルカス殿から剣の指導をうけるしかなかった。

 だが本当は魔法を習うよりも遥かに楽だった。

 魔法を使おうとすると、いつも魔力の制御が効かず暴発しがちだった為に苦手意識が強かったからだ。


「おいキアノス。 何故お前は魔法を学ぼうとしない」

「魔法を使うより剣を振るう方が性に合ってる。 ルカスだってそうだろ?」


 騎士団にいる者の殆どは魔法を使って魔物を倒すのだが、ルカス殿が魔法を使う所はこれまで一度も見たことがなかった。


「やる気のないお前と一緒にするな。 俺にはちゃんと理由がある」

「理由?」


 するとルカス殿は少女の様に目をキラキラと輝かせ、そそくさと胸ポケットから一枚の写真を取り出した。


「見ろ、これが俺の可愛い娘だ!」


 そこに写っていたのは自分より年下らしき赤髪の少女。

 若葉のようにイキイキとした瞳に思わず釘付けになった。


「確かに、可愛いかも……」

「何だその中途半端な反応は! 世界一可愛いだろ!!」

「せ、世界一可愛いです! ……でも、それと魔法を使わない理由とどう関係してるんだ?」

「俺の娘はセロだ」

「え……」

「何だ、その顔は」


 この頃でもセロが家族にいるという話を進んで話す人間など居なかった。

 だがルカス殿は包み隠さず愛娘への愛を語り始める。

 そのデレデレ具合に引いたりしたけれど、

周囲の目など気にしない姿は子どもながらに格好いいと思った。


「魔力があろうがなかろうが、俺にとっては大事な娘だ。 少しでも長生きしてほしいし、幸せになってほしい。 その為には生き抜く術を教える義務がある」

「じゃあ魔法を使わないのって……」

「察しがいいな。 ようは魔法が必要ない位に強くなればいい。 言っとくが今のロゼは熊ぐらいは軽く倒せるぞ」

「本当に?!」

「俺の娘だからな」


 ルカス殿はフフン、と鼻を高くした。

 あんな可愛らしい女の子が強い事にも驚いた。

 だがそれ以上に剣術について語り合えるのではないかとワクワクして堪らなかった。


「なぁ、会わせてくれよ! 会って一緒に打ち合いしてみたい!」

「あぁん? お前、ひよっこの分際でロゼに手を出そうってのか?!」

「いや、そういう意味じゃ……」

「お前なんざ百年早いわぁ!!」


 このやり取りの後、どうなったのかは言うまでもない。


「覚えとけ。 セロにとっては魔力は奇跡の力だ。 出来ないからって放置するんじゃない。 守りたいものを守れる位にはしておけ。 それが魔力を持つ者の使命だ」

「……」

「まぁお前の場合は一先ず剣の道を極めるのが最優先だ。 だが魔法も使えれば、それが戦況をひっくり返す切り札になるかもしれん。 ヴランディ家の主になる気があるならそれぐらいやってみせろ。 そうなったらロゼに会わせてやってもいい」

「本当か?!」

「あぁ、本当だ」

「約束だぞ!!」


 だがそれは、数年後に起きた厄災によって一生叶わぬものになってしまった。

 それでも俺の頭を撫でながら語ったあの言葉は、今でも俺の中で生きている。

 

 

「お父様……」


 ロゼの声に驚いて目が覚めた。

 どうやら俺までうたた寝していたらしい。 

 顔を覗き込むと、まだ気持ちよさそうに眠っていた。

 エメレンスと違って安心してもらえているんだろうが、男として少し複雑でもある。

 まぁ言い出したのは俺の方だから仕方がない。


 昨晩泣きそうになりながらも気丈に振る舞う姿がいじらしく、気づけば彼女に触れていた。

 未婚女性の髪に触れるなんて無礼な事だと知りつつも、あの時は衝動が抑えられなかった。

 そして月明かりの下でもわかるぐらいに頬を染めたロゼを見た瞬間、驚きと愛おしさで胸が熱くなった。


 本当はずっとずっと昔から、俺は君を想っていたんだ。


 あの時ロゼが『俺の事を知っていた』と答えたら、迷う事なく想いを告げる事が出来ただろう。

 『婚約者になってくれ』と迫る事も出来ただろう。

 だがルカス殿は見事なまでに俺の存在を隠していたせいで、一から関係を築く事を余儀なくされた。

 あぁ、さすがだ。

 偉大な恩師がほくそ笑んでる姿が安易に想像できる。

 ロゼに会うのに七年もかかったのも、ルカス殿の采配なのかもしれない。

 だが生きてる間に会わせてくれたのだから、それなりに俺の努力を認めてくれたと思おう。

 

「ルカス殿、これからは俺がロゼを守り愛していくと誓う。 必ず幸せにするから」


 俺は力の抜けたロゼの手を取り、薬指にキスをした。


 俺の『騎士の誓い』は君に捧げよう。

 だからもう探さなくていいように、ずっと俺の側に居てくれ。

 

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