第3話


 部室の引き戸を閉じたわたしはくるりと反転すると、部室脇の壁にビタと背中を預け、すーはーと急ぎ呼吸を整えようとする。


 受験の日、助けてくれた悠流はるくんがわたしを見てあんなにも嫌な顔をした理由は……つまりそういうことだったのだろうか。


 と、いうか逆にどうして悠流はるくんがそうじゃないって決めつけてたのよ。

 どちらかと言えばそっちのほうが問題だ。

 以前住んでたドイツやフランスでも同性婚は公に認められてたじゃない。


 でも、男子同士がどうとかじゃなくて、さすがに今のはちょっと……しんどい、かも……。


 こんなにも今日という日を楽しみにしてきたのに。全てが水泡に帰したような気分だ……。

 

 じゃない、よね……。


 わたしは目をつむりり大きく首を横に振る。


 大切な人の、恩人の幸せを願えないなんて最低だよ。

 少なくともわたしはそんな人間にはなりたくない。


 大丈夫、たとえ悠流はるくんがそうだったとしても目的は達成出来る、はず。

 だって今日からわたしは、わたしたちは……。

 そう自分に言い聞かせ、うんとひとつ頷く。


 と、直後なにやら周囲に人影を感じ……。

 

 顔を持ちあげたわたしは、そこでようやく自分が複数の男子から取り囲まれていることに気が付いた。


「え、っとぉ……。わたしになにか用、ですか?」



△▼



 やけに騒がしいな。

 まあ十中八九、外で天野明香あまのあすかが勧誘でもされてるんだろう。


 初日からあんな超激レア物件が、しかもわざわざあっちからこんな辺境の地文化部エリアまで来てくれたんだ。どこの部だって見逃すはずがない。


(ったく、仕方ねえなぁ)


——「あの、わたし絶対合格します。また必ず会いに行きますからっ」


 誰から俺がここにいると聞いたのかはともかく、おそらくは俺に会いに来てくれたんだろう。


 受験の時の切なそうな彼女を思い出した俺ははぁと嘆息を挟み、だしつこく抱きついていた恵光えこうをぐいと引き剥がすと、部室の入口へと向かうことにする。


 次いで片手で引き戸をガラと開けると、案の定、すぐ脇の壁にもたれ掛かる及び腰の天野と、そんな彼女に覆い被さるように迫る数人の男子生徒が目に飛び込んでくる。


 そんななか、天野は部室から出てきた俺を見るや、まるで仔犬が助けを乞うような眼を向けてきて。一方、取り巻き連中の一人、隣の部の和田が俺を睨みつけてくる。


「なんだよ佐倉さくら。いま俺らがこのを勧誘してるんだけど? 別に問題無いだろ」


 部活間のいざこざは極力避けたいとこだが、男が寄ってたかって怯える女の子を取り囲むなんて見て気分のいいもんじゃない。


「問題ないだろって聞いてる時点で問題あるんじゃねぇの。見ろよ、怖がってるじゃねえか」


 俺の問いかけに天野明香あまのあすかはうんうんと大きく頷き、同時に背中まで伸びるさらさらの髪が揺れる。


 しっかし、こいつは……いつ見てもとんでもない可愛さだな。

 彼女にそんな気はなくとも、どんどんと人を寄せ付けてしまうのはある意味仕方のないことだとも思えた。

 

 と、同意を得た俺はずいと一歩前に出、同時に取り巻き連中が一歩後ずさる。


「ちなみにこいつ、俺の中学の後輩なんだ」

「はぁ? だから、なんだよ」

「え? だから……」


 なんだろ?


「な、なんでもいいだろ。っつうか、誰の許可得てここで勧誘してんだよ。ここはうちの部室前なんだから、うちに優先交渉権があるに決まってんだろ」


 強引な論理で押し通すと、今だと天野を部室に招き入れる。


「あ、ずりぃ!」


「待てお前ら。今日の綾音あやねさん、締切間近ですこぶる機嫌が悪いんだ。だからあんまここで騒がないほうがいいと思うぞ」


「うぐっ、マジっかよ……。し、仕方ねぇな……、てか、どうせあんな可愛いが文芸部なんかに入るわけねぇんだ。終わったらまた俺らにも勧誘させろよなっ」


 いや、落語研究部も文芸部とそう大差ないだろ。

 まあ俺的には天野が落語をしてるところを見てみたい気もするが……。


 なにせ捨て台詞を残したかったのだろう和田を先頭にすごすごと引き下がってゆく取り巻き連中である。

 

 しかし、さすが綾音あやねさん効果は絶大だな。

 誰もうちの部に入りたがらないのはきっと貴方のせいもあると思いますよ?


 しっしっと追い払った後、俺も戻り部室の戸を閉める。

 すると、今度は恵光えこうが怯える眼で俺に泣きついてきた。


「どうしたんだよ、恵光えこう

悠流はるぅ、会うなり天野あまのさんがキッて睨みつけてくるんだよぉ」


「に、睨みつけてなんてっ。人聞きの悪いこと言わないでください。わたしはただ、佐倉さくら先輩の相手がどんな人なのかなって……」


「俺の相手って……、もしかしてお前、さっき俺らが抱き合ってたのを見てなにか勘違いしてないか?」


「え。それ、どういうこと……ですか」


 と、そこで思い出す。

 何よりいま天野の存在を彩音あやねさんに気付かれたら厄介だ。

 

 そう思い、ちらと奥に座る彼女を見やる。

 どうやら今は一心不乱にノートPCに向かい合っているようだ。いい文面でも思い浮かんだのだろうか。


 俺は今がチャンスとばかりに、狭いながらも天野を部室の片隅に連れてゆくと、これこれと事情を説明する。


 すると、


「そうだったんですねっ」


 まるで花が咲いたみたく、ぱぁっと安堵の表情を見せる天野。

 いや、逆にそれ、俺がすべき表情だと思うんだけど……。


「誰、この?」

「ひっ」


 急に肩越しにぬっと顔を出されびくっと肩が跳ねる。


彩音あやね……さん」


 彩音さんは170センチそこそこの俺より5センチほど身長が高く、その独特の風貌も相まり威圧感がマジで半端ない。

 と、肩越しの彼女に俺が声を掛けると、対面に立つ天野がむっとしたような気がした。


「えと、このは、俺と恵光えこうの中学の後輩でですね」

「初めまして、天野明香あすかです」


 そう言うと丁寧に腰を折る天野。


「へえ。で、なに。見学にでも来てくれたの?」

「いや、違うんすよ。このが部室の前で男子連中に囲まれてたから、かくまっただけで」


「じゃあ丁度いいじゃん。かくまうう代わりに手伝ってもらおうぜ」


 にひっと口角を上げる彩音さんに対し、天野が目をぱちくりとさせる。


「ちょ、綾音さんっ。天野、大丈夫だ。何もやらなくていいからな」


 と、次の瞬間には「ぬおっ」と彩音さんに脇へどかされており、彼女は天野へ歩み寄ると膝を曲げ端的に内容を伝え始める。


 それを聞いた天野は、


「分かりました。その演技? をやれば、ここにいてもいいんですよね」


「ああ。さっきのみなとみたく抱きつけとまでは言わねえ。ただ、出来れば相手の胸に両手を添えながら、真剣に台詞を言ってくれると助かるんだけどな」


「分かりました。やってみます」

「おい、天野」


 抱きつかないにしろ、好きでもない男の胸に手を添えるなんて嫌に決まってる。


「いいんです先輩。わたし中学の時は演劇部に入ってたので」


 そう言うと天野は俺に向けにこっと微笑んだ。

 なに、この急な熱血漫画風展開……。

 

 次いで彩音さんが俺らに目で合図し、どちらか一方に前へ出ろと指示してくる。

 

 そうなれば天野だって容姿の良い方がいいに決まってる。そう思い、俺は恵光えこうを前に押し出した。


 実際、中性的な恵光の容姿はかなり恵まれてるほうだと思う。


 俺が頷くと恵光も頷いて見せ、同時に俺は一歩下がった。

 すると、なぜか天野にじとっとした目をぶつけられる。


「あの。わたし、佐倉さくら先輩がいいんですけど」

「え。いや……、俺はいいよ」


 俺が手で遮ると、天野は首を横に振る。


「じゃあ言い直します。佐倉先輩じゃなきゃ嫌です」


 ったく、なんなんだよ。

 言っても痴漢から助けただけだろ……。


 彼女が会いに来た理由もまだ聞けてないし、そもそも俺みたいな普通の奴に何の用があるんだって話で。


「おい、佐倉。ここまで言ってるんだ。付き合ってやれよ」


 って、アンタが言うなよアンタが。


 とはいえ、もはや天野も俺が出るまでテコでも聞かないといった感じではある。


 調子狂うなぁ。

 マジで今まで会ったことのないタイプで何を考えてるのかまるで掴めない。


 俺は内心で溜息をきつつも、仕方ないと自分に言い聞かせ、


 嫌々ながら天野の正面に立った。




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