8話 金眼の鬼(1)

 オーデンとの『禊』──とは名ばかりの逢瀬の後、ルネア達は国へ戻った。オーデンから、南北境界線の状況については、現状ではティ・ルフ王国への影響はないと聞くことができた。早く夫ヘラクに伝えて安心させてあげよう、とルネアは考える。ティ・ルフ国内、玄関口の【エルミの瞳】を過ぎ、その奥の首都トリアイナへ入ったあとも、王宮までは距離がある。ルネア達はいったんトリアイナ内に宿を取り、そこで一晩を過ごすことになった。


 夜分。ルネアは、人々が騒ぎ立てる声を聞いて目を覚ました。身体を起こし、寝ぼけ眼で周囲を見回してみる。物音の出どころは窓の外、街中のようだ。何かあったのだろうか。ルネアがベッドから離れて、夜着から外出用の簡易的な礼服に着替えていると、ドアが軽く二回叩かれた。

「姫様。御用ですか?」

「あ、ジョゼフ。ちょっと街に出たいの。なにか騒いでいるみたいだわ」

「御意」

 就寝している間、ドアを隔てて常に身を護ってくれているジョゼフが、ルネアが起きたことに気付いたようだ。ルネアは手早く支度を済ませると、ジョゼフを伴って街の中へと繰り出した。


 夜遅くにも関わらず住民たちが集まっている人込みを、ジョゼフが掻き分けていく。人の輪の中心に近付くにつれ、生々しい血の匂いが漂い始める。前を進むジョゼフが立ち止まったため、ルネアは彼の背中から顔を出すようにして背伸びした。


 目にしたのは、住人らしき男性がずたずたに切り裂かれ、倒れている光景だった。すでに息は無く、亡骸は見るも無残な状態になっている。辺りを血の匂いが立ち込めていて、野次馬たちは惨状を見ては口元を抑えて早々に立ち去っていく。


「退いて、退いて!」

 騒ぎを聞きつけた警官隊がやって来て、人込みを散らした。ルネア達も彼らの邪魔にならないよう、人の輪からは離れた位置に移る。

「何あれ? 喧嘩……にしては、陰惨すぎるわよねぇ……」

 ジョゼフの背中に向かってルネアが呟くと、ジョゼフが目線だけをこちらへ向けて、無言で頷いた。そもそも傷痕と殺し方が素人のそれではなく、明らかに殺し慣れている人間の所業に見える。


「ひでぇよなあ。きっと、金眼の鬼の仕業だぜ」

「今年入ってもう三人目だ……」

 野次馬の中にいた若者がそう呟いた。ルネアはそれを聞いてすぐに近寄り、小声で尋ねた。

「金眼の鬼?」

「そう……ってルネっ……!」

「しーっ!しー‼」

 若者は、話し掛けてきた女性の顔を見て仰天し、女王たる名前を口走りそうになったものの、何とか踏みとどまった。ティ・ルフ国内では、女王ルネアがお忍びで民草に混じることが割とよくあるのが、功を奏した、かもしれない。


「……金眼の鬼っていうのは、こういう惨い殺人を繰り返してる奴の呼び名です。奴の眼が金色だったのを見たってことで、そう呼ばれてます」

「瞳が金色……ですか」

 ジョゼフが繰り返すと、若者は頷く。

「黒い外套に身を包んでいて、姿はほとんど見えないそうなんですがね。夜闇に瞳がギラっと輝いて、不気味だそうで。そいつが、人を殺してる所を何人かが見てます」

「人を殺すって……何かの諍いなのかもしれないけど、どうしてあんな殺し方を?」

「さあ……それは分かりません」

 代わってルネアが訊いてみるが、若者は首を横に振るばかりだ。

「そう……」


 ルネア達は若者に礼を告げ、宿へと戻ることにした。警備隊が忙しなく働くのを見てか、野次馬たちの人影も少しずつ消えていく。

「金眼の鬼か……。何が目的なのかしら。いずれにせよ、民が被害に遭うのを放ってはおけないわね」

「はい。王宮に戻りましたら、私から警備隊、騎士団へも報告を上げます」

 先ほどまでと同様に、ルネアは前を進むジョゼフの背中に向かって喋り、小声でやり取りを交わす。南北境界線の問題に加えてさらなる問題が浮上してしまった。ルネアは苦々しい顔を浮かべ、腕を組んで唸り声をあげる。どうしたら民が平穏無事で、うまく解決できるだろうか、と考え更ける。そのせいで、前を歩くジョゼフがじっと視線を向けてきていることに、しばらく気付かなかった。


「あっ! 何よジョゼフ! 私、変な顔でもしてた?」

「いえ。姫様は大変表情豊かでいらっしゃるので、見応えがあるといいますか……。お心の憂いを晴らして差し上げたいと思うばかりです」

「ちょっと、嘘! 笑ってるじゃない!」

 ルネアは怒って、ジョゼフの背中にぽこぽこと殴りかかる。昔から、民や従者たちに『見ていて楽しい』という指摘を受けることが多いだけに、気を付けているのだ。だが今は真剣に考えていたので油断した。従者の剣士は苦笑いしながら、その罰を甘んじて受け入れるのであった。

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