先輩と後輩と諸行無常

青毛の子

先輩と後輩と諸行無常

 「お疲れ様でした!」

 可愛い後輩たちと〆の挨拶をして、みんなで部室の片付けをした。今日も稽古を終え、帰路につく。とっくに夕暮れを過ぎており、まるで黒の画用紙に一点だけ朱色をさしたような空だった。私はいつものように通学カバンを自転車のカゴに置き、高校生活最後の大会に思いを馳せていた。

 ふとハンドルを握る手に違和感を覚えた。うっかり部活で使った手袋をつけっぱなしでいた事に気がついたのだ。明日朝一番に返すことも考えたが、もしも家の中で紛失してしまえば完全に私の責任になってしまう。私は回れ右をして学校へ戻った。最終下校時刻はまだだったので廊下の電気はつけっぱなしだった。私は足早に3-1教室に向かった。

 真っ暗な部屋の中に怪しい人影が見えた。身長は私より一回りほど大きく、ぼんやりと佇んでいるようだった。

「…あの。もう教室しまってますよ。」

私は電気を付けながら慎重に話しかけた。人影の正体は大人の女だった。クリーム色のロングヘアにオーバーオールを着ている。その姿はまさに、気品にあふれるお嬢様といった具合だった。

「あら失礼。もう出るわ。」

「それはそうですけど、あなたこの学校の先生?違いますよね?すぐとなりが職員室です。叫んだらすぐに……」

女は取り乱して

「ああ!違う、違うの!私はこの学校の演劇部のOG!先杯せんぱいっていうの。よろしくね。」

と言ってきた。

「へえ…。」

私は訝しげな表情で『まだ疑っているぞ』という意思表示をした。

「どうしても未練があって…あの世からお忍びで来ちゃった。」

「未練?あの世?」

「実は私…幽霊なのよ!」

そういうと女は物理法則を無視した空中浮遊を見せつけ、私の体を貫通し、机の上に腰掛けた。…わざとらしく背筋を伸ばして。

「……はぃい!?」

 あまりにオカルトな現象に打ちのめされ、私は半狂乱になった。先杯と名乗るその女はそんな私を見て、ニヤリと笑いながら話を続けた。

「私が現役の頃使っていた小道具の“気配”を頼りにやってきたのよ。早速で悪いのだけれど、この指輪を持ってB棟の東館2階まで連れて行ってくださらない?」

あんぐりと口を空けたまま、私は頭の中で飛び回る思考をなんとかまとめ上げようと努めた。

 え?え?この人が、いや女が、ていうか先杯さんが幽霊で?この学校のOGで?演劇部の……

「先輩?に当たる?いや、いらっしゃる?」

「あら!あなたも演劇部の子だったのね?どう?信じてくれた?」

私はかろうじて首を縦に振った。

「ええ、一旦信じることにします。なぜ…B棟なんかに用があるのですか?」

先杯は軽く驚くと、

「決まってるでしょう?部室がそこにあるからじゃないのよ。」

「えっと…」

「どうしたの?早く案内して?私この小道具の指輪に取り付いているから自由に歩けないのよ。」

私は大きく深呼吸をした。

「何を仰りたいのかわかりませんが、演劇部の部室はまごうことなき、この3-1教室です。」

 先杯は絶望に打ちひしがれた表情をしてスルスルと床下に沈んでいった。

「え…嘘でしょう?だって、舞台は?幕は?照明は?楽屋は?何一つここにはないじゃない!」

頭だけ残した彼女はヒステリックにまくし立てた。入部してから学校内で縁のない単語の数々に私はいちいち驚いていた。

「そんなものウチにあったんですか!?」

「あったわよ!それがなくてどうやって演劇作るっていうのよ!?…あ、あ、信じられない。昔はみんながあの広い部室で稽古していたのに。」

 みんな…?嫌な予感がよぎるものの、聞かずにはいられなかった。

「みんなって何人くらいですか?」

「ざっと18人。」

「じ、じうはちにん……。」

野球部かよ。いや、それ以上か?

 先杯はハッとして

「まさか…今の部員はいくらかしら?」

言いたくない。どうせろくでもないことになる……。

「…3人です……。」

 がっくりと肩を落とした私達の間に、弘法が筆で書いたような『沈黙』の2文字が流れていった。先杯がゆっくりと口を開いた。

「オーディションとかもなさそうね。」

芸能界だけの話かと思っていた。

「そんなことしたら、誰一人として舞台に立てませんから。」

いつの間にか、先杯が先ほどとは打って変わって、俗っぽい態度で私と接してきていることに気がついた。

「…大会のオーディション、お落ちになったんですか。」

「えーそうよ!落ちたのよ!昔は学校全体を牽引する素晴らしい部活だったのに、この体たらく…名前書けば受かるFランのようね。」

好き勝手に言われるこの現状にだんだんと腹が立ってきた。

「はあ…でも、オーディション。落ちたのですよね。」

「あなたは何もしないで出られるんでしょう!?」

金切り声を上げる先杯だったが、私の感情バロメーターはもはや恐怖より苛立ちのほうがまさっていた。

「別に演劇部の没落は、今に始まったことじゃないです。私が入学するときからこんな感じでしたよ。」

先杯は生意気な野良犬でも見るかのような目をして黙っている。瞬間、私の怒りのバロメーターは音を立てて爆発した。

「それに今お話してても、先輩は不躾で、非常に失礼な上っ面だけの金箔人間です!そういうところ、見抜かれたから落ちたんじゃないんですか?」

先杯はワナワナと震えている。私はトドメを差すために言い放った。

「舞台にも立ったことない人が偉ぶらないでください。」

「@&$$?)^o^(935&$$&&#×$$7698+L>+*L`*?>$@@××××××××―――!!!!!!!!!」

化け物の様相となった先杯は聞いたこともない罵声を浴びせると胸ぐらに掴みかかってきた。私はなんとかかわし切ると四つん這いになって息を整えている彼女に

「大人げない。」

と吐き捨てた。

「で、未練ってなんですか?さっさといなくなって欲しいんです。」

呆れ果てた私に幽霊を恐れる気持ちはもうなかった。

「未練…未練はね…一度きりでいい。舞台に立つことよ。」

私はため息をついて

「じゃあ永久に無理ですね。部室に舞台はないし、部員以外を大会に出すことは反則ですから。永遠に孤独な現世を堪能してください。」

と言った。すると先杯はすがるように訴えてきた。

「も、もう一つあるのよ…未練…。ところであなた、ずっと聞きそびれていたけれど、お名前はなんていうのかしら。」

私はしぶしぶ答えた。

子雨灰こうはいです。」

「そう、そうなのね……。じゃあ子雨灰ちゃん。私は今からあなたの先輩よ。」

先輩?もとからあんたはOGだろ…。

「もう一つの未練はね…私は現役時代後輩を持ったことがなかった…。だから、だから、私が先輩として!明日から!指導していきます!」

「……ぇぇえええええ!?」


 ―繁栄の時代を謳歌した先輩幽霊と、『無様』がお似合いの後輩三人が力を合わせて最後の大会に臨み、優勝をかっさらっていくのはまた別のお話……―

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