シーカーズ・ライン ~ぼくらにしか見えない糸~

林 草多

第0話 走りだす朝

わたしたちはいつだって透明な迷子だ。


 星間飛行 衝突する未来は 花火を散らして

 夜空を駆け抜けていく

 Staring, Staring 目を離さないで

 Smiling, Smiling 手を離さないで


 イヤホンから流れる思い出の曲と、目の前を流れる街並みの境界をフラフラと泳いでいた。わたしから自由を奪っているつり革の隙間から朝の白々しい光が雑居ビルに陰影を作っている。その目眩にも似た点滅をなるべく見ないように視線を車内に移した。通勤・通学のために詰め込まれた人々は、毎朝置物のように同じ配置についてどこか遠くを感じているように心ここにあらずの表情をしていた。

 ときおり誰かが咳払いをすることを除いて車内は静まりかえっている。電車が一定のリズムを刻むことだけが時間の流れを約束しているようだった。


 消えてしまいたい


 わたしは毎朝祈っている。学校と家事が繰り返す息の詰まるような日常の中で、わたしだけが前に進めずに取り残されている。わたしがモブだと感じている、目に映る人々の影こそがメインストーリーを持っていて、わたしだけが最初から存在していないかのように感じていた。だったら、いっそ誰からも見えないくらい透明になって消えてしまいたい。

 流れていた曲が静かに終わりを迎え、ひとときの静寂がわたしを孤独にした。


 ゴトン。

 下車駅が近づいていたのか車両が横に大きく揺れた。


 しまっ――

 身体がバランスを崩した拍子に、隣に立っていたスーツ男性の肘あたりに頭がぶつかる。とっさに顔を横に向けたから直撃は免れたもののぶつかった耳がじんじん痛んだ。

 遮断していた世界の均衡が崩れて右耳から男の舌打ちが聞こえた。えっ?ない。わたしのイヤホン。どこいった? 混乱したところに車掌のアナウンスが追い打ちをかける。


< まもなく西□□、西□□です。〇〇線はお乗り換えです >


 小遣いを貯めて買ったアイスグリーン色の無線イヤホンはぶつかった衝撃で片方をどこかに落としてしまったらしい。制服のスカートを手で押さえ自分の足元を見るが見つからない。


どこ? まずいまずいまずい。次で降りなきゃなのに。


 振り返って、また足元を見る。床面から突きでた何本もの足、その向こう側に淡い緑色のイヤホンを見つける。が、とても手を伸ばせる状況でもない。落ちているイヤホンの上に視線をやると、年配でも無いのに優先席に座っている男の子が目に入った。

 ほっそりとした首筋に似つかない大きめの黒い学生服。中学生だろうか。流行のシースルーマッシュの髪。前髪の間からのぞく目蓋はかたく閉じられていて、こげ茶色のまつ毛がのびている。綺麗な顔。


 電車はついに減速をはじめる。我に返ったわたしは人と人の間に腕を入れイヤホンを取ろうとするが、体勢がこのままでは届きそうもない。諦めかけたそのとき、その男の子は目を閉じたまま探るように足元のイヤホンに触れ、優しく掴み上げた。


< 西□□、西□□です >


 一番近いドアが開くと時間が動き出す。破裂した風船みたいに目の前の人々が吐きだされていく。座ったままの男の子は片方の手のひらに淡い緑色のイヤホンをちょこんと乗せるとまっすぐ顔を上げた。もう片方の腕には見慣れない白い杖を抱えている。


 あ――。


 花弁のようにゆっくりと開かれた彼の瞳は、金色こんじきの混じった朝の光を吸い込んで淡い緑色に輝いていた。どこまでも透き通っていてここじゃないどこかの風景を映していた。瞬間、よどんだ空気が外に吐きだされて、かわりに四月の色づいた香りが吹きこんでくる。


「わ、それっ。わたしの、です」

 ようやく絞りだした声。それでも緑色の瞳はわたしに焦点を合わない。そのかわりに、口元には友好的な笑みが浮かんだ。


「よかった。まだ降りてなくて。” ” 聞くんですね、ぼくも好きです」


 信じられないことだった。小さなイヤホンの音なんて彼に聞こえるはずはない。でも、細い細い糸を通じて、彼に繋がった。そんな確信もあった。


「あ、ありがとう」

 恐る恐るイヤホンを手に取るわたしの向こうで電車のドアが静かに閉まった。ちいさな振動と共に世界は滑り出し、当たり前の日常が通り過ぎていく。窓の外で線路沿いの桜が真横に降っていた。周囲のつまらない景色を置き去りにして素晴らしいどこかへたどりつける、そんな予感がした。 少なくともあの時はまだ。


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