第5話 同級生に会うと生きるのがより辛くなる

私は時々在京の大学時代の同級生らと会って飲んでいる。


若い時に同じ空間と時間を共有した者と過ごす時間は実に楽しい。

同時にどうしても自分と相手の現在の境遇を比べてしまい、あまりの落差に愕然とし、苦しくなる。


十年以上前からそうなのだが、皆それぞれの仕事でそれなりの経験を積んでそれなりの立場についていた。

当たり前のように結婚して女房や旦那がおり、子供がいる。

ローンを払いつつも立派な一戸建てやマンションに住んでいたりする。


私は何度も転職を余儀なくされ、非正規の社員という不安定な生活を強いられてきたからマイホームなんて夢のまた夢。

女ともずっと縁がないから結婚も子供も別次元か来世の世界の出来事である。


私だけ昔から変わっていない、いや、進歩していない。

私の目には幸福に映る彼らの境遇も、数々の試練と苦難の末に勝ち取り維持してきたものであろうし、私ほどお気楽に生きていたら決して得られなかったであろう。

彼らはそうして前進し続け、人として円熟していこうとしている。

それを前にすると、何ひとつ成し遂げておらず、何も持っていない私は自分に何ら価値を見出せない。


同級生だけではない、あちこちに建っている一戸建てから出てくる私より十歳以上は若そうな夫婦やその子供を見かけるたびに、「49年も無駄に生きてきた」ような気がして自己を否応なしに否定される。

私は完全に抜かれたと。


「人は人、自分は自分」とか「人と比べるな」とか気安く言う者は実に多いが、私はそんな聖人君子にはなれない。

追いつくどころか縮めるのが不可能なほど圧倒的な差を目の当たりにして、自分が底辺だと痛感させられても平気でいられるような便利な人間ではないのだ。

そういう人間がいるなら出てきてほしいくらいだ。

もし出てきたら、そいつはウソつきか脳に何らかの重大な欠陥がある奴であろう。


私が怠慢だったからだろうか?

仕事なり、結婚とそれに引き続くマイホーム購入なり、子育てなり、それら人生の課題ともいうべきものに挑戦せず、立ち向かわなかったからなんだろうか?


そうだろう、それは認める。

でも、言い訳をさせてもらえれば、立ち向かうべきそれら課題に、私はそもそも相手にされていなかったのだ。


正社員として入った会社全てから業務に適さないとして追い出された。

追い出されなかったのはかなりの低賃金な単純作業か、労働期間が限定的な非正規の仕事だけだ。

意中の女性にアタックして、二人立て続けに警察に通報されてから女に声がかけられなくなった。


そもそもスタートラインに立てていないのではなかろうか。


どう反省して、どう自分を変えればよかったんだろう?

変わったつもりがいつも同じような元の木阿弥になっていた気がするが。

どうしても前の敗北のようになる気がしてしまい、進むのが怖くなったのもある。


これでもまだまだ人生これからなんだろうか?


もういい。


ただ、分かって欲しい。

何をやろうとしても何もできなかった苦しみを。

そして、今はこんな私でも受け入れてくれる場所が欲しい。


ダメ人間の長い独り言だ。

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