1-2「我道心牙は勇者である」

 この春から新高校二年生となった我道心牙がどう しんがが目を覚ますと、そこはであった。やけに近い太陽と広い広い青い空の下、心牙は雲の上に仰向けに寝かされているのだ。

「またか……」

 少しだけ悪態をついてから上半身を起こし、眼で見て手の感触で自身の肉体に異常がないか確認する。

 違和感と僅かな痛みはあれど、肉体にある筈の大きな傷は残らず消えていた。盛大に破れたはずの学校指定の制服も、修復済みである。

(そろそろこの光景を見ないようになりたいが)

 と、我道心牙は思う。

 心牙がいる場所は、文字通りの「雲の上」の神の国、すなわち天国である。見渡す限り一面の白い綿毛のような見た目の地面と、青い青い広い空のコントラストは、何度見ても気が狂ってしまいそうだった。

「おぉ勇者よ、死んでしまうとは情けないですなー。毎月毎月ゲームオーバーは吾輩が知る限りでは最低記録ペースですなー。」

 背後から聞き慣れた声をかけられたので、心牙は立ち上がって振り返る。

 そこにはがいた。

 それは「メイド服を着たピラミッド」としか言いようがない存在だ。「頭」は砂漠色のピラミッドで、その壁面にはデフォルメされた猫の顔が描かれている。ピラミッドの下にはミニスカ改造メイド服を着た褐色の肌の人間の女性の胴体がある。が、「首」が無い。ピラミッドと褐色ミニスカメイド服は接続されておらず、空間がすっぽりと空いていた。

「蘇生ありがとうございます、ジャジャさん。いつも通りポイントから天引きでお願いします。」

 メイド服を着たピラミッドこと、ジャジャミラ・バステットに向かって心牙は軽く頭を下げて礼を述べる。

 礼を言われたジャジャミラは、得意気になったのか、その豊満な胸を張った。

「愛の守護者にして悪の敵対者、愛情にして豊穣、太陽の目にしてご家庭の獅子。「愛猫愛護」バステットが四代目、ジャジャミラ・バステットにかかれば、容易いことですなー!」

 心牙はほぼ毎月一回は聞いているテンプレ名乗り口上に自嘲混じりの苦笑で答える。

 心牙だって一カ月に一回のペースで意識不明の重体ゲームオーバーになりたいわけではない。いくら後遺症もなく蘇生出来るからといっても、痛みがないわけではないのだ。

「そうそう、今回のクエスト、適正レベルとクエスト内容の表記が目茶苦茶でしたよ」

 心牙はズボンのポケットからスマホを取り出し、起動させる。最早見慣れたソシャゲ風のアプリアイコンをタップして起動。これまたソシャゲ風のログイン画面からログインしてUIを操作、目的のページ――すなわちクエスト掲示板から先程まで受けていたクエストを表示させる。

 そこには「適正レベル:初心者可」「クエスト内容:暗黒に誘われ彷徨える子羊、魔狼になりし時、浄化に光によりてその闇を打ち払わん(悪心討伐)」という内容が書かれていた。

「実際には、クエスト開始とほぼ同時に魔王が現れて人間を襲い始めたので、応戦しようとしたら、一撃で神剣を破壊されました。クエスト詐欺ですかね?」

 心牙が当時の状況を説明する。

 我道心牙は勇者である。レベルは1で、とても弱いクソ雑魚。それでも2年ほどの実戦をアルバイトとして文字通りほぼ月一のペースで何度も死にかけゲームオーバーながらまだ勇者を続けている。

 現代に生きる勇者は、世界の不条理バグを修復するデバッカーとしての役割を担う。

 心牙の説明を受けたジャジャミラが腰に手を当ててスマホの画面をマジマジと見つめる。

「これは……ファロゥマディンのクエストですなー。おーい、ファロゥマディン!!!」

 温厚なジャジャミラが珍しく怒りを含んだ声色でその名を叫ぶ。ややあって、どこからともなく巨大な鳥が優雅に羽撃いているかのような音が聞こえてくる。

 下からだ!と気付いた時にはもう遅い。ジャジャミラが軽く後ろにジャンプした直後、足元の雲を割って「何か」が勢いよく飛び出した。飛び出した勢いのまま、驚く心牙に向かって「何か」が突撃をする。

 咄嗟のことで避け入れず、心牙と「何か」は縺れ合い絡み合いながら数メートルほど雲の上を転がっていく。ようやく静止したところで心牙は自分が呼吸しにくい状態になっていることに気付く。顔に何か柔らかくほんのりと温かいものが押し付けられているからだと実感が遅れてやってくる。

(お、女ぁ!?)

 心牙の呼吸を阻害しているのは、女性の胸であった。何か誰かが心牙の頭を抱えるようにして抱き着いているのだ。ただし、体温が低いのか人肌程の温かみはなく、どこか不気味で、どこかで嗅いだような柘榴の香りが鼻に詰まりそうだった。対して抱き着いてきた女?は心牙の頭の匂いを嗅いでいるようだった。

 女?に抱き着かれて匂いを嗅がれていると気付いたところで何かが変わるわけではない。手足をばたつかせてもがいてみたところでしがみつく「何か」はビクともしない。いっそヒトではない「何か」に神器でも叩き込んでみるかと心牙が考え始めた時である。

「ファロゥマディン、話をややこしくするのはやめるですなー」

 ジャジャミラが「何か」の首根っこを片手で掴んでひょいと持ち上げる。

 ようやく開放された心牙は酸素不足でやや朦朧とする額を思わず右手で抑える。深呼吸を一つ、ボヤけていた視界がクリアになり、「何か」と目が合った。

 最初の感想は「キレイだな」だった。

 均整の整った顔立ち。切れ長の目。美しい金の瞳。微かな笑みを浮かべた口元。シルクのように白く美しい長い髪。歳の頃は心牙と同じくらいミドルティーン

 だが、その肌は美白を通り越して遺灰か遺骨のように不気味に白く、本来白目であるはずの部分は夜の帳より黒い。

 大きな白い一枚布をピンや紐で留めたような簡素な服装とは裏腹に、頭には黒いドラゴンの頭骨が、背中には骨だけの黒翼が、腰の後ろ辺りからは黒蠍の尾部がゆらゆらと見え隠れしている。

 何より、ほんのり香る柘榴の匂いには覚えがあった。

「お前、ファロゥマディンか?」

 我道心牙を逆天竜魔神王ファロゥマディンがそこにいた。

「如何にも!我は背理にして真理、不条理にして理不尽、そして誘惑の魔王にして堕天の主!逆天竜魔神王ファロゥマディン!ファリファー・ファラフナズ・ファロゥマディンなり!我が勇者よ、よくぞ覚えていた!」

 美しい顔立ちには似つかわしくないドラゴンの頭骨のようなものを少女が微笑み浮かべて少しだけ熱を帯びた口調でそう告げる。

「俺を殺しかけたんだ、そりゃあ覚えてるよ」

 心牙は立ち上がりながら言葉を返す。同時にファロゥマディンもジャジャミラから解放された。

 見れば、大きな角が一本不自然に途切れている。先程の戦いで心牙が叩き折った部位と重なる。

「ファロゥマディン、祷り手プレイヤーとクエスト内容との食い違いが発生していますなー。既に複数回の祷り手プレイヤー殺しキルの報告と、クエスト募集内容と実態の乖離が報告されていますなー。それを含めて説明を求めますなー。」

 ジャジャミラがファロゥマディンの肩をむんずと力強く掴んで問い質す。語気には怒りの炎が静かに燃えているかのような圧がある。

 ジャジャミラに対して振り向いたファロゥマディンは、心牙に向けていた微笑みから一転して冷たい無表情となり、口調も冷淡なものとなった。

「我が権能によって迷いし子羊、魔狼になりし時――訪れぬままに勇者来たれり。我、勇者を安らかな眠りに誘い、魔狼を生み出さんとするも、勇者抗い我と善き善き戦いせり」

「つまり、何ですかなー?準備の段階でクエストを開始してしまい、アドリブで祷り手プレイヤーと戦った、と、そういうわけですかなー?」

「然り」

 ファロゥマディンはやや自慢げに告げた。

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