第34話 あまつ才


 胡乱な顔になった私の反応をものともせず、宝石を売る男はなめらかな口調で語り出した。


「十日くらい前になるか? 向こうの服屋の親父が絶賛してたんだよ。白い髪をした男が当たり前のように服に込められてた価値を見抜いて提言をくれたって! その上で値段が上がった服を嫌な顔一つしないで買ってくれた、聖人様みたいなお人がいたらしい」


「…………」


 心当たり、あるなぁ。

 若干遠い目をした私に何らかの悟りを得たのだろう。「やっぱりか!」と膝を打った店主はそのまま大きく声を張り上げた。


「おいお前ら!ここに例の目利き聖人様がいるぞ!」

「本当か!?」「あの素材に詳しいっていう!?」

「うちの店に掘り出しもんがあるか見ちゃくれねぇか!? 勉強料は払うからよ!」


 俄かに周囲が活気付く。殺気立つと形容した方がもはやいいかもしれない。近隣の店に立っていた誰も彼もが宝石や美しい布の入った箱を手にこちらへと駆け寄ってきた。


 ……。

 …………うん、これは下手に断った方が後で厄介になるな。


 彼ら自身に悪気はないだろうが、ここで突っぱねて真っ直ぐ向かった場合、彼らを統括しているであろう商会内での心象が下がりそうだ。それよりは即座に終わらせて先に進んだ方がいい。ため息をわざと分かるように吐き出してから、後ろで控えていたネグロに対して振り返った。

 以前ならば間違いなく腰の剣に手を置いていたであろう彼は、不服そうな顔ながらもそこまでには至っていなかった。彼が大人になったからか、或いは私の立場が違うからか。


「一人一分として……十五分以内で終わらせます。申し訳ありません、しばしお待ちくださってもいいでしょうか? その間にネグロ殿も用を済ませてくださって構いませんし」


「……人がいいな、お前は」


 口に出されないのを良いことに目に浮かんでいる不満を黙殺する。そのまま目の前に並ぶ商人たちに向き直った。


「お代は要りませんが、急いでいるので端的に失礼します。それでは足りないというのなら後で正式な依頼と共に教会の聖女の元までお越しください」

『ピルルルル……』


 こうなったらこの歓声も彼女の手柄としてしまおう。

 カバンの中でバラッドが寝息のような音を立てたのが、あっという間に紛れていった。



 …………

 ……



「この三枚はストレンジャの生糸を使ってますね。他はあいにく。聖歌を聴かせると光を放つかどうかで判断ください」「こんな上質なプラチナがよく混じってましたね……加工すれば皇室に献上できる度合いですよ?」「あいにく全て贋作ですね。ここにサインがないのとそもそも年代が異なります。悪質な気もするので取引先そのものの見直しをお勧めします」「俺としては好ましい色ですが質そのものは高くありませんね。砕いて細工にするのも一つの手かと」「エーテルの質としてはそちらの奥にある方が高いですね。研磨して杖や法具に加工すれば価値が上がると思います」「目利きが良くできていますね。値段通りの価値かと。付加価値をあげたいのならアヴィスターは性質上保護術向けですからそちらの方面で売り込んでもいいのでは?」


 並べられたものを一瞥しては価値を伝えると、その度に驚嘆の声が上がり一斉に皆が板に文字を記した。皆が皆一様に仕事熱心だ。目利きの方法だけでも教えれば一気に伸びるだろう。


 喋りすぎて若干喉が痛みを訴えだしたころには列もなくなる。思ったよりも時間をかけてしまったな。振り返ればネグロが商人の一人と何やら話をしているようだった。


「ネグロ殿、お待たせしました」


「いいや。こちらも一区切りがついたところだ。……本当に十五分以内で終わらせるとはな」

「そう申しましたから」


 一度約束したものを反故するつもりはないし、そもそも出来ると思ったから口にしたのだ。そう告げればネグロの口角が弛む。


「お前らしい。それにしても多方面に渡り博識だな」


「?そうでしょうか」


「自覚していないのか。……全く、それでは聖女も苦労するだろうな。成り行きで協力を得た相手がここまで優秀な男ともあらば」


「……アカネには十分良くしていただいてますよ」


 また勧誘へと話が移り変わりそうな空気に苦笑いを浮かべる。だがネグロ自身も無理に押すつもりはないようで、存外穏やかな調子で首を横に振る。


「それを疑うつもりはない。そうでなければ強引にでも連れ去るつもりだが……」

「ご冗談を」

「冗談ではないが……まあいい。だが、今の記憶が朧げな状態で聖女の隣にいることを望むのは何か目的があるのか? 場合によっては力になるが」


 これまでとは少し趣が異なる調子に瞳を瞬かせれば、ネグロの黒い瞳とかち合う。


「……以前にも言ったが、私はお前について何も知らない。お前自身の好みにしても望みにしても、知りたいと思うのは迷惑か?」


 むぐ、と口が奇妙な形に歪むのを自覚する。


「はぁ……その物言いは狡いですよ」

「お前にはすげなく断られ続けているからな。趣向返しと思って許せ」


 小さく笑う姿はこれまでも見る機会が少なかった、私を出し抜いた時に見せる誇らしげなものだった。それこそ騎士になってからは片手で足りる回数しか見なかった姿。

 ただでさえ私はこの子に色んな意味で弱いというのに。伝えてはいけないラインを慎重に見極めながらも口を開いてしまう。


「最初はなりゆきでした。元々記憶喪失の状態で寄る辺のない俺を匿ってくれて。でも、今の彼女の立ち位置は俺からしても異様だ。教会の中に立場はありながらも、人一人におよそ乗せるべきではない重責が乗せられている」


 聖女と呼ばれても一市民として生きていた少女にはあまりに重いものだ。


「だから、放っておけなかったのはあります。……さすがにずっと共にいるわけにはいきませんが、基盤が安定する間くらいはと思いまして」


 彼女が皇宮に滞在する前には離れねば、余計な危険すら呼び込む可能性がある。バグの問題の解決と、彼女の意思確認は必要だけど。


「……その後はどうするつもりだ?」


「実を言うと……何も考えていないのです。気ままに旅をするのもありかとは思っていますが」


 本当にしたいこと、いつかすべきだと思っていたこと。国を治める役割は今となってはブランの使命で、あの子の治世の邪魔をしたいわけでもないのだから。


 それならせめて、この十二年間彼らが守ってきた国を見たい。何の立場でもない市井の側から皇国の民のためにできることがあるならば。


「…………」

「……ネグロ殿?」


 相槌はない。振り返り顔を覗き込めば、髪と同じ赤い眉の合間には深い溝が刻まれている。


「つまりお前は、いつかはこの街を離れるつもりなのか」


 鎮痛な響きは、あの大天幕での吐露を否が応でも想起させられた。空洞になった疵を覗かせた顔。


「……そうですね、いつかは」


 出会って間もない子どもだった頃のネグロを思い出してしまえば、今やそれを黙って見過ごすことは出来なかった。手を伸ばせば、抵抗なく頬を撫でることができる。最後に触れた時の丸みはすっかり消え、頬骨の硬さと肌のなめらかさが伝わる。


「ですが約束しましょう。もしそうなったとして、何も言わずに消えるようなことはしません。今の俺にとって、あなたはすでに親しい友人のようなものなのですから」


「……!」


「……っ、」


 予備動作なしにそのまま抱きしめられる。……先ほど彼の頬を触れていた私が言えた話ではないが、昔よりも随分接触が増えた気がする。


「言ったな? なら……約束しろ。私の知らぬ間に、私の手の届かぬところに消えてくれるな」


 ──これはいつか、未来の私の首を絞める約束だったかもしれない。そう思っても問いかけに首を縦に振る以外の選択を、その時の私は持ち合わせていなかった。

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