第24話 理想論と現実


 半ば無理やり彼の腕から逃げ出すことは考えた。今の彼の行動は間違いなく公私の境目を越えかけており、それに付き合う理由はないからだ。


 とはいえ、結果彼の行動が他方に向くのは避けたい。例えば後方支援の面々の手伝いに戻ろうとして、彼らが叱られてしまうのはあまりに申し訳ない。


「ネグロ殿……せめてどこに向かうかは教えて頂けませんか?」


 なけなしの抵抗の意思も込めてそう返せば、僅かに沈黙が降りる。


「……軍略会議用の大天幕だ」

「それは……外部の俺が入ってはまずいところでは?」

「今は会議もしていない。問題はない」


 問題ありに決まっているだろう。昔のような物言いで叱りつけたくなるのをやっとの思いで飲み込んだ。先ほどポールが口にしていた理想の騎士団長としての人物像とはまるで違う。


《ヴァイスが眠る前に甘やかしすぎた弊害では?》


 距離をとって後ろを飛んでいる青い鳥が無機質な声を紡ぐ。……これだけの距離があっても聴こえるというのは、もはや心のやり取りなのかもしれない。


(これ私のせいか?)

《他の誰のせいなんですか》


 そう言われると確かに他の誰のせいでもないのだろうが……それにしても、空想遊戯ゲームの話で聞いていた印象とも違いすぎないか?


《同意します。相手が主人公でなく、かの元皇太子殿下に似たあなただということを差し引いても印象差が大きいですが……当NPCの声が聞こえていない以上、これはリメイクによるストーリー変更の影響かと思われます》


 ……元々、この世界がゲームだと分かった時にリメイク……世界の今後を大きく変える作業があったことを私たちは知っている。その穴をつくような形で眠ったからこそ、私は死を免れたのだから。

 だが、その世界改変リメイクとやらが今この瞬間のネグロをこの強硬に陥らせているのなら……。


 ────私が今生きてここにいるのは、果たして正しい選択だったのか?



「着いたぞ。……お前に任せたいのはここの文献の整理だ。ここ数十年の警備記録が記されているというのに、量が多すぎるせいでロクな整理もされていない。お前ならば出来るだろう」


「余所の所属の人間に、警備記録を見せるなどと正気ですか?」


「ユーリスの許可も既に得ている。お前ならば悪用はしないだろうとの言だ」



 昨日の今日で、誰しも信頼が早すぎる。……信頼ではないか。彼らは無意識のうちに私にヴァイスを見ている。


(だが、それが真だとは告げられない。そうだろう?)


《あなたが世界を滅ぼすことを望まないのなら。救済をするのは聖女の力でなければなりません》


 バラッドの簡潔な肯定。

 やるべきことのピースは揃っている。あとは額縁の大きさを決めて組み上げるだけ。完成図が未だ何もわからない組み絵を。



 通された書類棚にて、巻物になっている記録の説明を受けて作業をはじめる。実際に触れたことはないがこうした記録があることはかつて皇宮にいたころに騎士たちから聞いていた。ここまで膨大な量だとは思わなかったが。

 ネグロはといえば、任せるだけ任せて置いて次の仕事へ向かってくれればいいものを。部屋に残って手伝いをするつもりのようだ。


 半ば皮肉にもなるが、その手伝いの塩梅が絶妙だ。こちらが必要としているものを目線と短い声で的確に判断し、機敏な動きで集めてくる。背丈も私より高いから、何を取るのを任せるのも順調だ。昔を否が応でも想起させる光景だった。違うのは関係性だけ。



 しばし業務のやり取りと沈黙が懐かしい。その奇妙な状況の中、口火を切ったのもネグロだった。



「ヴァイス。このままお前の思惑通りに行き、イェシルが私と戦うことになったとして、私は手を抜くことなどせんぞ」


 いいのか?と図るような視線をこちらへと向ける。

 ──困りますと伝えたら、どんな反応をするんだろうな。あぶくのように浮かんだ疑問をぶつけることはしないが。

 片付ける巻物のおおよその方針も決めた。5本ほどの筒をまとめて上段へと押し込む。


「今の俺たちの鍛錬を見てのお言葉かとは思いますが……無論です。まだイェシルとネグロ殿が戦うことになるかも定かではありませんからね。その選別も含めて情け容赦は無用です」


 先ほどはポールの意識をイェシルに向けるためにあんな物言いはした。だがネグロとイェシルを戦わせることが目的でも、況してや彼を勝たせるために動いているわけではない。


 俺が目指しているのはこの出来事を通してイェシルとアカネの距離が順当に近づくこと。そうでなくともバグの悪影響が物語とこの世界に及ぼされないようにすることだ。

 そのために重要なのはイェシルとアカネ、そしてポールの三人。ネグロ自身についての斟酌は実のところ重要ではなかった。



「……意外だな。お前はイェシルを何としても勝たせようとしているのかと思っていた」


「そんなことはありませんよ。最終的には彼の実力がものを言う話ですから。俺が手出しできる範疇ではありません」


 互いに作業をする手を止めぬまま、言葉だけが降り積もる。差し出された巻物を両手で受け止めれば、存外重い。


「なら何故、奴のために心を砕く?」

「アカネが望んでいますから。イェシルとポール殿の不和を解消できないかと。ネグロ殿も騎士団内の諍いが落ち着くことは望ましいことでしょう?」


 彼の立場だと介入することでややこしいことになるからこそ、静観していたと思っていたのだが……もしや違うのだろうか。


「聖女のため、か。……だが、聖女の手伝いをするのは一時の話なのだろう?」


「誰からそんなことを聞いたんですか……」


 巻物をしまった手を返し、棚の縁に体重を預ける。

 発端と経緯は分からないが伝手には間違いなくユーリス秘書長官が絡んでいるだろう。あの人が本気を出せば、この街の人々は皆口に戸を立てられない。


「ならば、その後のお前は何を目的に動く。……目的がないのなら、ここに籍を置けばいい」


「……お戯れを」

「本気だ」


 昨晩の食事の席の軽口を本気で取らずともと、続けるはずだった言葉は短い圧力に飲み込まされた。

 話が厄介にならないうちにそれとなく距離を置こうした空気を読み取ったのだろう、彼の腕が私の頭の真横、出口への逃げ道を塞いだ。

 黒曜の瞳が、熱を秘めたままこちらを射抜く。


「ユーリスはお前の評判と能力を買っている。それは私も同感だ。教会の慈善活動の枠にお前を置いておくのは、この国の損失だ。……ヴァイス、私の元へ来い」



 窓際から、青い小鳥が顔を出した。


《今の体勢を現実の世界では壁ドンと称します!多くの女性にとって理想の恋愛シチュエーションとして考えられております》

(理想!?これがか!?)

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