第5話 視線と熱

 ヴァイス様と、敬称をつけて名を呼ぶネグロの顔立ちは逞しくなっている。

 中性的な幼さはすっかりと抜け、武人として完成された造形。だというのに均衡の取れたしなやかな指は今、私の頬に触れている。


まずい…………!!)


 この世界を崩壊させないために、正体は隠さねばならないのだ。彼に私が元皇太子だと気取られてはいきなり全てが水の泡となる。


「……初めまして。ネグロ騎士団長様。失礼ですがどこかでお会いしたことが……?」


「……っ!!」


 記憶喪失だという話にしていて助かった。空惚けて微笑みと共に問いかければ、指の動きが止まる。

 ネグロの行動に固まっていたイェシルもはっと気がついたように手を右往左往させた。



「え、ええっと!どうしたんですか団長!?ひょっとしてヴァイスと顔見知りだったり……?」


「気づかないのか?……いや、十二年前とあればお前はまだ騎士団にも入っていない頃だから仕方がないが。彼のこの耳下腺管の辺りからオトガイ筋にかけての曲がり方! かのヴァイス皇太子殿下にそっくりそのままではないか!!」


「…………。……いやすんません、それは多分本人知っててもよく分かんねぇですね」


 イェシルがどん引きの表情を浮かべる。

 気持ちはわかる。私もちょっと怖い。


 耳元の辺りから顎にかけてのラインをなぞってこの辺りがそっくりだろう!?と言われて同意を示せるものはそうそういない。



「落ち着いてくださいって。ヴァイス様が行方不明になられたのも今から十二年前でしょう? 当時十八歳ということだったから、生きてりゃ団長よりも年上のおっさんですって。時間を止めて眠ってたなんてわけあるまいし」


 …………それがあるんだなぁ。

 至近距離にあるネグロの顔が未だ離れないからか、図星と疑惑への緊張からか先ほどから心臓の鼓動が鳴り止まない。


「何より目や髪の色! オレは皇帝陛下を肖像画でしか見たことはありませんけど、それにしたって似ても似つかない。これで兄弟っていうのは無理があります」


「…………そうだな」


 イェシルの言葉に空返事をしながら、ネグロの指は再び私の頬に触れ、親指の腹が瞳の少し下をなぞる。

 私よりもいくばくか高い体温が移ったのだろうか。嫌に顔が熱い。


「ね、ぐろ、騎士団長、様?」

「……呼び捨てで良い」


「そういう、訳には。……では、ネグロ殿と。その、ネグロ殿。申し訳ありませんがそろそろ離していただけませんか……?」

「…………」


 ぱっと手を離される。

 若干の身長差で顔を固定されていたからだろう。知らず知らずしてつま先に力が入り過ぎていたようだ。息を吐き出して体の力を抜く。


「……失礼した、ヴァイス。貴殿が私の敬愛される方に似ていたもので」


 十二年前のネグロを知っているからこそ分かる。彼は心から動揺を隠せないようだった。


「構いませんよ。……温情をかけてくださりありがとうございます。それでは一晩の宿をこちらでお借りさせてください」

「…………ああ」


 頭を下げてきびすを返す。部屋の扉を潜ってしばらくしても、彼の視線が背中に注がれているような錯覚がした。



 ◇



「ごめんな、ヴァイス」


「どうしたんだ急に」


 扉を出て間もなく、イェシルがずいぶんと覇気のない表情で頭を下げてくる。


「ネグロ騎士団長の件だよ。すんなり許してくれそうだなって思ったら、俺がつけた名前のせいで一悶着ありそうだったじゃん?」


「……まあ、そもそも名をもらった時にはこんなことになるとは思っていなかったからね」


 いっそイェシルが付けてくれたからという言い訳をくれた分良かったとまで思っている。


「ま、今日は聖地に踏み込んだ影響がないか一泊して様子見ってことになったし。何か足りないものとか不安なことがあるなら遠慮なく言ってくれよ?」


「ああ。ありがとう。寝泊まりの部屋はどこになるのだろうか」


「申請すれば泊まれる空き部屋があるから、そのうちの一つだな。念のため俺も一緒に泊まることになるけど……いいか?」


「もちろん。イェシルも巡警の仕事の途中だったのだし、あとは私一人でも……」


「大丈夫大丈夫。部屋を借りる手続きと報告はするから部屋に行くのは遅くなるけど、くつろいでくれていいから」


 手をひらひらと振った彼は無邪気に笑みを浮かべる。


「明日はどっちみち非番だったからさ。……君がこれからどうするかは知らないけど、何にしてもその服のまま過ごす訳にもいかないだろ?」


 言われて改めて身体を見下ろす。長く伸びた髪もローブの下のぼろぼろの服も今にも裂けて使い物にならなくなりそうな靴も。確かにこのまま放置はできなかった。


 ……それどころか、今の自分には何もないのだ。バグを修正する目的はあれど、生きるために必要なものと、それを手に入れるための手段が。

 漠然とした不安を抱きながら足元に視線を落としていると、ことさら明るい声がイェシルから聞こえてきた。


「明日は街の案内ついでに、必要なものをそろえる手伝いをしてやるよ! 金がないってんなら出世払いで貸してやるし」


「……それはありがたい申し出だが……どうしてそこまでしてくれるんだ?」


 偶然あの森で出会っただけの、身元もわからない男だ。ここまで至れり尽くせりをしてもらう理由が分からない。それこそ私が記憶喪失と偽る極悪人の可能性だってある。


「……オレはさ、騎士ってものに憧れてたんだ。困ってる人に手を差し伸べる正義の存在になれたらと思ってた。だから君があの湖のほとりで迷子みたいに佇んでたのを見て、放っておけなかったんだ」


「そうか……。優しいんだね、イェシルは」


「どうだろうなぁ。オレの自己満足のために君を利用してるとも言えるんだし」


 眉をさげてわらう姿は、多少の罪悪感を抱いているようにも見えた。


「自らがしたいと思って行う選択全てを自己満足の型に押し込める必要などない。少なくとも俺はこうして手を差し伸べてくれて助けられているんだから」


「……!そっか、なら良かった」


 眉をさげて笑うその姿は、泣く寸前のようにも見えた。

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