episode.14 街へ


 ――翌日


 

 快晴の空が自然と気分を高揚させる。


「こんなに急でよろしかったのですか?」

 エントランスでリラはノアに尋ねる。

「ああ」

 ノアは手で庇を作りながら、眩しそうに青々とした空を見上げていた。

「今日は天気が良さそうだな」

「ふふ。そうですね。どこへ行きますか?」

「街に出てみようか」

「良いですね!」


 久々の本格的な外出が嬉しくて、リラは早起きをした。おかげで普段よりもお化粧やヘアセットに時間をかける事が出来た。


 今日の服装は涼しげな薄青色のワンピースだ。前後で丈が異なっているアシンメトリーなスカートは、足下に向かうにつれて緩く広がっている。上はブラウスのようなデザインになっており、丸い襟首が可愛らしい。大きめに結えた、胸元のクリーム色のリボンが目を引く。スカートの裾には白いレースがあしらわれており、なんとも軽やかである。髪はメイドにサイドを編み込んでもらっていた。


 ノアはリオンからローブを受け取るとそれを羽織った。群青が混ざったような紺色のローブは生地こそ薄いが、丈は長く、彼の膝の下辺りまである。肩や袖口には目立ちにくい同系色の糸でささやかな刺繍が施されていた。一見簡素だが、じっくりと見ると作り手の高い技術と拘りが感じられる。



 ただ、一つリラが強く思ったのは、

「暑くないですか? こんなに晴れてるのに」


 襟首を整えながら、ノアはリラに視線を寄越した。

「多少な。ただそれ以上に、顔を人に見られると面倒な事が多い」

「まあ。大変ですね……」

 リラは例の噂を思い出す。良くない噂が出回っているせいで、気軽に外出することも出来ないのだろうか。ローブの紐を首元で結びながら言った彼は、リラには心なしか寂しそうに見えた。フードを目深に被りながらノアは言う。

「出発しよう」

 ぼうっとしていたリラは急いで返事をする。

「あ……、はい!」

 ひと足先に歩き始めたノアの側に駆け寄る。

「気を付けていってらっしゃいませ」

 恭しく礼をしたリオンに見送られ、二人で屋敷を出た。

 


 街から屋敷までの道中でリラはワクワクしていた。

「私、街に行くの初めてです! 何があるのですか?」

「服、食べ物、雑貨……。大抵何でもある」

「そうなのですね! 色々見て回りたいです」

「そうだな。適当に気になった店に寄ろう」

 リラが少し早足で歩いていることに気付いたノアは歩幅を狭める。さり気ない配慮がリラをこそばゆい気持ちにした。




 街に着く。


「ここが、街……!」


 通りは人で溢れていて、左右には飲食物や雑貨を売っている露店が所狭しと並んでいる。人々の話し声や笑い声があちこちから聞こえてくる。昼時ということもあり、とても賑やかな様相を呈している。まるで街全体が生きているみたいだ。


 フードを被り直しながら、ノアはリラに話しかける。

「逸れないように気を付けろ」

「はい!」

 リラが大きく頷くと、ノアは前を向き直す。露店の間を二人で並んで歩いていると、お肉を焼く匂いや揚げ物を揚げる美味しそうな匂いが漂ってくる。中々目にかかることが出来なそうな珍しい食べ物がいっぱいだ。油分や塩分を豊富に含んでおり、食べるのに罪悪感を感じてしまう食べ物はどうしてこうも魅力的に映るのか。



 丁度昼を回った時間帯だ。小さくお腹が鳴ったリラは美味しそうなサンドイッチを売っている店で思わず足を止めた。

「昼だな。寄ろうか」

 頭上から降ってきた声に、リラは嬉々として振り返る。

「いいんですか?」

「勿論」



 リラが店の売り台の前に立つと、店番をしていた中年の女性が愛想の良い笑みを浮かべる。頬がふっくらとした顔付きをした、優しそうな人だった。小麦色に焼けた肌が健康的で、活発な印象を受ける。


「いらっしゃい! 綺麗なお嬢さん!」

「ふふ、ありがとうございます。サンドイッチを二つ頂けますか?」

 リラは右手の指を二本立てて、女性に示す。

「はいよ!」

 リラまで元気をもらえそうなほど、女性は活力に満ちた返事をした。

 箱の中で整列しているバケットを一本取り出す。箱の蓋が空いた時、香ばしい小麦の香りがした。長いバケットを程良い長さに切り分け、真ん中にナイフで切れ込みを入れた。バターナイフでこんもりと盛られたバターを掬い取り、内側にたっぷりと塗り付けながらリラに尋ねる。

「あたしにもお嬢さんと同じぐらいの歳の娘がいてねえ。あんた、いくつだい?」

「十七です」

 女性はスライスしたハムを敷き、惜しげも無く挟んでいく。チーズが挟まれる頃にはパンから溢れ出てしまいそうだった。気持ちよくなってしまう大胆さだ。

「あれま! うちの娘と一つ違いじゃないか。今年で十六になるんだ」

「すごい偶然ですね!」

「今は都合があって、離れて暮らしていてね。お嬢さんを見ていると、あたしも娘に会いたくなるよ。元気にしているかねえ、あの子」

「娘さんはどのような方なのですか?」

 紙で包んだサンドイッチをリラに手渡すと、二つ目を作り始める。リラはほんのりと温かいそれをノアに渡した。

「明るくて人懐こい子だよ。元気すぎて、ちょっとお転婆がすぎるがね。……あんたに会えたのも何かの縁だ。綺麗なお嬢さん、お代は半分でいいよ! なんだか本当に自分の娘に作っている様な気持ちになってきてねえ」

 女性にそう言われリラは慌てる。

「いいえ、そういうわけには……!」

 女性はもう一つのサンドイッチをリラに渡す。リラは昨日ノアの忘れ物をリオンに代わって届けた礼として、リオンから幾らかのお小遣いを渡されていた。リラは心の中でリオンに感謝しながら、昨日もらったばかりの銅貨を二枚取り出した。

 


 それを女性に渡そうとした時、ローブの袖がふわりと視界に割り込んだ。


「いい。仕舞っておけ」


 リラの動きをやんわりと遮ったノアが女性の手に金貨を一枚置いた。庶民の間で主に流通しているのは銅貨で、銀貨一枚で、銅貨約百枚分の価値がある。街で暮らしている人たちは、一ヶ月で銀貨一枚ほど稼ぐのがやっとだろう。そのお金で果たしてサンドイッチが何個買えるだろうかと考えながら、リラは驚いていた。店番の女性も口を開けて固まっている。


 彼は幾分か柔らかい声音で言った。

「お釣りは結構ですので、お受け取り下さい」

「ええ!? ちょっとあんた、こんな大金貰えないよ!」

 女性は返そうとしたが、ノアは彼女の手の中に金貨を握らせた。

「娘さんのためにでもお使い下さい」

「だけどこれは流石に……」

「受け取って下さい」

 尚も戸惑っている女性にノアは、

「では私たちはこれで失礼します。ありがとうございました」


 場を去ろうとする彼の様子を見て、リラは急いで女性にお礼を言う。

「ありがとうございました。楽しかったです!」

「楽しんで帰りなよ! こちらこそありがとうね!」

 女性は爽やかな笑顔を向け、手を振った。リラは彼女に手を振りかえして店を出た。

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