第14話 憎悪
謹慎が解けたある日の午後。
久々に魔王室から外に出てみることにした。
無駄に豪華な扉のノブを掴む。よく見ると金のライオンの彫刻がノブにくっついていた。高そうだ。
廊下に出て、なんとなく『あ、謹慎くらってたダニエルくんだ』と言われるのが気まずくて、誰にもバレないよう隠密行動をしてみる。
——が、
「あ、いた。謹慎くらってた人質くん」
秒でバレた。
振り向くと、そこには痴女がいた。
やけに露出度の高い服を着ている。胸の先端の方だけを覆う水着のようなタイトドレスに黒レースのアームカバーをつけた痴女。下半身なんてハイレグでほぼ下着である。痴女。
「やっほー。人質くん。元気?」と痴女は馴れ馴れしく声をかけてくる。
俺は例によって跪いて顔を俯けた。この痴女具合は間違いなく幹部、と思ってのことだ。
「痴女——」と間違えて口走る。「——う、地上! 地上はやっぱり居心地が良いです。魔大陸までずっと海を渡って来ましたので」
「あーそうなの? あたし、船乗ったことないから、分かんないや」と痴女は首を傾げた。
「楽にしていいよ。あたしはメリー。ご察しの通り幹部の一人だよ」とウインクする。青いショートヘアが揺れる。綺麗な青色の髪を掻き分けるようにして大きな羊のような角が2本生えていた。
俺は立ち上がって「それでメリー様。どういったご用向きでしょうか」と神妙な顔で訊ねる。
「そんなに邪険にしないでよ。ちょっと人質くんに見せたいものがあるだけなんだから」
「見せたいもの?」
メリーは意味深に笑って「来れば分かるよ」と俺の手首を掴んで、歩き出した。
♦︎
やって来たのは
「メリー様……ここは?」と俺は嫌な予感がして訊ねる。
メリーは心底楽しそうに顔を歪めて笑うと「キミのお仲間の存在も知らせておこうと思ってね」と先を歩き出した。俺もそれに続いて建物に入る。
中に入って、すぐに足が止まった。
それを見た途端、肺をギュッと絞られたような息苦しさを感じ、言葉が出せない。俺はただただ目の前の光景に焦点を合わせるので精一杯だった。
「……ぁ」「う゛ぅ」「ぁああああああああ、ぅあぁあああああ!」「ひぐっ、ひっく、うっ、ぅ」
人間だ。
人間——男が十人以上はいる。
その誰もが薄汚れた布切れを纏って檻の中に、まるで動物でも閉じ込めておくかのように、密集して詰め込まれていた。
「捕虜……って言うんだっけ? 戦争で生け捕りにした奴らだよ」とあっけらかんとメリーは言う。
自分の呼吸が早くなるのを感じる。
これは……怒り? いや——違う。
罪悪感。魔族の側に、客として迎えられ、高待遇を受けている引け目。自分じゃなくて良かった、という安堵。
「……可哀想、って思った?」メリーが俯く俺を覗き込んで来る。「それって自分とは違うって認識してるから、そう思うんだよね。だって、捕虜同士はお互いのこと可哀想だなんて思わないじゃん?」
メリーの言う通り……俺はこの人たちを憐れんだ。そして、俺はこの人たちと同じではなくて良かった、と思った。安心した。
「おかしいよね。立場的には全く同じなのに。キミは魔王様と一緒にふかふかのベッドで寝て、魔王様と同じ物を食べるのに、この人たちは牢の中で拷問を受けてるんだから」
メリーの言葉が聞こえたのか、牢の捕虜たちが俺を憎悪の眼差しで睨みつける。誰も声は上げない。それをすれば、より酷い拷問が待っていると分かっているから。だが、目を見れば分かる。彼らの目は一様に俺にこう言っている。
——裏切り者。
「分かるよ」とメリーが俺の肩に手を乗せた。「キミと彼らはもう同じじゃない。キミは……私たちの側だ」
裏切りは許さないよ、とそう釘を刺すような瞳に俺は却って分からなくなった。
俺は——どっちなんだ。
魔族は憎い。
たくさんの人間を殺した。残虐な拷問もしている。子供の頃から教えられてきた。魔族は悪だ、と。
なら……人間は?
人間は——王は俺を売った。魔族に。勇者もだ。村の人間も両親と妹以外は異議を唱えなかった。どの街の人間も、俺を庇おうという動きは見られなかった。
俺は……王国民全体に、見捨てられたんだ。
——憎い。
人間も憎い。許せない。あの国王の顔面を踏みつけて唾を吐きかけ、命乞いをさせた後に殺してやりたい。
ならば俺は、誰のために……ここに?
メリーはさらに建物の奥に進む。
俺がそれについて歩くと、牢屋の中からペッと唾を吐きかけられた。
目を向けると捕虜の男が言った。「くたばれ、魔族もどきが」
男の目は憎しみを映していた。俺が国王に向けるような憎悪の炎を。
「ちょうど良い」とメリーがいつの間にやらこちらを向いていて、俺らのやり取りを見ていた。
「この男を出して」メリーが下級魔族に告げると下級魔族3人がかりで俺に唾を吐きかけた男を牢から出す。そしてどこからか持って来た
「キミがやりなよ」とメリーが俺に槍を渡した。
俺は困惑してメリーを見返す。
「刺すんだよ。いきなり殺しちゃダメだよ? 謝るまで足とか腕とかを刺すんだ。自分がどれだけ身の程知らずなのかを思い知るまで、ね」
男は「やめろ……やめてくれ」と首を小刻みに左右に振り、恐慌状態にあった。
無理だ。刺せっこない。いくら憎くても……嫌な奴でも……同じ人間なんだ。出来るはずがない。
「やらなくても魔王様には報告がいくから。彼がキミに唾を吐きかけたって。多分槍なんかよりもっと恐ろしい目に遭うよ、その人」
男は荒々しい呼吸を繰り返し、股間が濡れ、元から汚かった衣類がさらに汚れる。
「頼む。許してくれ。すまない、すまなかった! 俺が悪かった!」
男が必死に懇願する。
無理だ。
俺には——
固まって動かない俺を見かねて、メリーが唐突に槍尻にハートがついたピンク色の槍を出現させ、それを躊躇いもなく男の右腿に突き刺した。
空気を裂くような男の呻き声が走る。男は顔に血管を浮き上がらせ、激痛に抵抗するようにフーッ、フーッと荒く息を吐きだす。
「キミが遅いから、やり方分からないのかと思ってさ」とメリーがまたも同じ槍を出現させる。
「ま、待ってください! メリー様!」と俺は制止するが、メリーはそれを嘲笑うかのように今度は左腿に槍を突き刺す。
「あ゛あァァアアぁあァ!」と男は目に涙を溜めてまた呻く。メリーがまた槍を出現させる。
「さぁ、お次はお待ちかね! キャンタマだよぉ! アハハハ、子供作れなくなっちゃうね!」
男は小刻みに首を左右に振り続け、恐怖に顔が真っ白になっていた。もはや声すら出せない様子だった。
「メリー様!」と咎めるような俺の声を、やはりメリーは無視して「5……4……3……」とカウントダウンを始める。
くそっ、もう……これしか——。
俺は槍を男に突き立てた。男の心臓に。
男は「ぁ……が、ぁ」と呻き、吐血してから、息絶えた。
「あーあー。人質くんはお優しいねぇ」とメリーがケラケラ笑う。
頭の中でぶちっ、と何かが切れる音が聞こえる。俺はメリーに殴り掛かりたいのを、必死に堪える。握った拳がぶるぶると震えた。憤怒でどうにかなりそうだった。だが、どう頑張ったところで今の俺には勝ち目はない。
「魔王様の命令ですか?」どうにか怒りを飲み込んで訊ねる。メリーは愉快そうな顔で「そうだよ」と笑った。
「魔王様は『魔族を教えてあげて』とおっしゃったの。魔族とは人間を殺す者のこと。だから、殺人の経験をさせてあげようって思ってね」
リンゴは果物、とでも説くかの如く、メリーはごく自然にそう言った。
——魔族とは人間を殺す者
その言葉に俺は戦慄した。
嫌な汗が背中を伝う。
ダメだ。
こいつだけはダメだ。野放しにしておいてはいけない。危険すぎる。
多分メリーは道で人間を見かけたら、蚊を潰す程度の感覚で殺すだろう。笑いながら。
♦︎
日も傾き、窓から入り込んだ夕陽が魔王室の床を染める頃、俺は椅子に座り込んで考えていた。
俺が為すべきことは何か。
メリーを殺すことか。魔王を殺すことか。
そもそも人間を守る価値はあるのか?
確かにあの捕虜たちは気の毒だ。できることなら解放してやりたい。
だけど、人間側も魔族の拷問は行っている。それも事実だ。権力者の間では、魔族の奴隷が流行っているのだ。本来人間の奴隷は、一応身体的な暴力は禁じられている。性行為も『性奴隷』として売られた場合以外は強制できない。
だが、魔族はその適用外なのだ。どんなに痛めつけようと、食事を抜こうと、無理やり犯そうと、全て合法。だから、人型で美人な魔族程高く売れるのだ。
そんな苦しむ魔族——人間に苦しめられる魔族だってこの世界にはたくさんいる。
人間か。魔族か。
俺は、どうすべきなのか。
夕焼けが次第に黒く闇に染まっていく。
一寸先も見えない闇は、まるで俺の未来を啓示しているかのようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます