第15話 黒川は恋愛を研究したい
水泳に向けた健康診断ではなにをするのか。
簡単な検査だけだ。心電図とその他諸々。
健康手帳を確認したところ、大々的な検査は新学期のうちに済んでいた。今回はプラスアルファの内容だ。
授業の途中に駆り出され、大きな教室へと移動していく。男子と女子にわかれて並んだ。
待ち時間がそこそこあった。暇な間は、友和や明との会話を続けた。女子はいないので、配慮は抑えめでよかった。
やはり水泳の授業への関心が高まっていた。
他となると、夏らしいイベントに考えが向いていた。
島で実施される大規模な祭り、矢見祭。
矢見祭までに一発逆転を狙いたいと、友和は願望を露わにした。正直でよろしい。
「夏の魔法は存在するんだよ。祭りを経てカップルになる男女は山ほどいる。俺もワンチャンあるかもしれん」
「祈るばかりじゃなくて動かないとだよね」
「余裕が違うな……なにせ、一誠は三大美少女をよりどりみどりだもんな」
「否定はできない」
いま置かれている状況は、俺の努力とは無関係だ。
なのに、友和には努力を求めている。どの口がいえたことだろうか。
「ねえ、ちょっと思ったんだけどさ」
そっと切り出したのは、明だ。
「僕と一誠くん、友和くんはあわせて三人、これってどういうことかわかるかな」
「お、意味深な発言か?」
「三大美少女と人数が同じ、僕らはあぶれない」
「明も男だな! 夢があっていいことだ」
たしかに、と一瞬思った。
しかし、『最凶ヤンデレ学園』は主人公特化型のゲーム。定石通りなら、あぶれることはない。
本心からいえば、女子が全員に均等に行き渡ってほしい。
複数人の重い感情をひとりで受け入れるのは、容易ではないからな。
夢物語に浸っていると、順番が回ってきた。
検査自体は意外とすぐだった。終わった人から各自帰っていく。
歩いていると、踊り場でひとりの女子を見つけた。
彼女はぼうっと窓の外を眺めていた。後ろ姿だけでも綺麗で思わず見とれた。
「きた」
彼女はくるりと前を向いた。
黒川神奈だった。
「黒川さん、どうして立ち尽くしてたんだ」
「一誠くんを待ってた。理由にならない?」
どうだろう、と返した。
「順番なんてわからないけど、きっとくるという確信があった」
「直感というやつか」
「頭に電気がびりっと流れる感じがしたの」
「不思議なものだな」
いずれにしても、黒川の直感は的中した。
「話がしたい。場所を変えよう?」
踊り場から、近くの階にある空き教室に移った。
窓が開いていた。風が吹いて、黒川のさらさらとした髪がふんわり揺れた。
「……俺に話がある、ってのは」
「きのうの君のこと。瑠璃子と悠と懇意みたいだった」
「ふたりとは、その……いろいろあった」
そっか、と黒川はさらっといった。
「私だけ置き去りにされて、モヤモヤしたな」
「三大美少女のうち、ふたりだけ抜け駆けとなれば、モヤモヤしても仕方ないか」
「うん。本当に、意味がわからない。どうしていきなり、君こと志水一誠にアプローチしているのか?」
よく考えれば、違和感を抱いてもっともな点である。
「失礼だけど、一誠くんが私たちに釣り合うとは思っていなかった」
「過去形か」
「いまの一誠くんは、なにかが違う。たった数日で、別の歯車が噛み合って、新たなものが動き出している」
ミステリアスで物静かな黒川だが、洞察力は鋭いらしい。
どこまで見透かされているのだろうか。三大美少女は、誰ひとりとして気を抜けない存在らしい。
「きのうから、君を見ると頭がずきずきする。体が熱くなる。一度見るとまた見たくなる」
「いったいなにがいいたい」
「客観的に分析すると、恋の症状に近い。ゆえに、告白するのが筋だと」
「なんか客観的!?」
黒川は緊張などしていない。むしろ自分の感情に当惑しているように見える。
「自分のことながら、たった二日でガラリと自分が変わったようで、気持ちに合理的な説明をつけられそうにない。しかし、保留にしておくにもモヤモヤが解消される気配はない。よって――」
途中からしゃべるスピードが上がり、俺の中でも処理できそうになかったので、やむなく遮った。
「つまるところ、黒川さんは実験的に俺に告白したわけか」
「要約、助かる」
「しかし他ふたりの先約があるものでな」
「なら、恋人に固執はしない。友達からでいい。志水一誠なる人間を知れるのであれば、過程は考慮しない」
「じゃあその方向で前向きに検討しよう」
最初は「頭に電気が」などと直感的な発言をしていたけども。どうやらとても理屈っぽい性格らしい。
「非常にありがたい。良質な情報収集の実現を切に願っている」
「ああ」
「私は怖いのだ。これまでの自分からは考えられぬ変化を受け入れるのが。大きな感情に自分を飲み込まれそうな気がして」
「心配しなくていい。俺という実験対象ができたんだ。一歩前進してるんだし」
「……そうだな」
いうと、黒川は手を差し出した。
「研究への参加と、今後のさらなる発展を祈り、握手をさせて欲しい」
「わかった」
しっかり握手をした。
手はひんやりと冷たかったが、握るだけで懐かしさを覚えるような、抱擁感のある手だった。
「うっ……」
握り終えると、黒川は額を押さえだした。
「大丈夫か」
「いや、問題ない。頭がくらっとしただけだ」
「生理的に無理でしたとかではないよな」
「頭に電気が走っておきながら、それはないだろう」
「今度は直感を信じるのか」
「そうだ。データはあくまでデータ。最終的には自分の勘が正しいなんてのは多々ある」
さぁ、いくぞ。やりたいことを終えたんだ。
いって、空き教室を足早に去っていった。
俺の方は、頭が痛くなるなんてことはなかった。
が、手の感触が妙に忘れられず、引っかかった……。
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