ダホメー(注2)その扉

飼いたい男(注1)、解体尾・床。彼に対する好感度は10段階で言えば2,4ですよ。ダホメー(注2)その扉。あぁそうなの。崩れて崖の下、実在する人だったんだその時不意に、ヨージ君(注3)の靴、でその課長補佐が独身(注4)だった時。の遠い防潮堤(注5)の暗闇の中に、右往左往。


(注1)「飼いたい男」・・・出川哲郎が「抱かれたくない男ランキング」上位常連だったのは伝説的な話だが、旧ジャニーズ事務所所属の元タレント、木島龍牙きじまりゅうがが長らく「飼いたい男」の上位常連であったことは知る人ぞ知る黒歴史である。木島龍牙はこの事務所所属のタレントとしては珍しくアイドルグループを組むこともなく単発でテレビに登場することが多かったが、彼があまりにも奇矯な性格だったため(某テレビ局のADの髪型が気に入らないと365個のウィッグを自ら購入し、毎日違うものを着用するよう強制した、等)、他の所属タレントに迷惑と悪影響を及ぼす、との配慮がはたらいたためとされる。もっともテレビの向こうで彼の何も知らない純朴な子犬のような美貌に、黄色い声を挙げていればいいお気楽な中年女性ファンにとっては、そんな裏方話は土星が今地球とどれだけ離れているかと同じくらい知ったことではない話であるのだから、実際に彼を飼ったところでそれが当該女性の人生にとってなんらプラスにならなくても構わなかったのである。そんな木島龍牙が液晶画面から姿を消す因となったのは、人も知る例のジャニー喜多川氏(2019年死去)によるジャニーズ事務所所属タレントに対する性加害問題に際しての彼の物議を醸した発言である。木島龍牙は最初に告発の声を挙げた元所属タレントの記者会見が大きく報じられた同じ日、自身のX(旧ツイッター)にて、「でもさあジャニーさんにヤられちゃったおかげで男にめざめちゃったやつだっていっぱいいたじゃん、〇〇とか××とか△△とかさあ偽善ぶるなよ」と投稿し、これが大々的な反響を呼んでしまったのだ。年齢の割にひらがなの目立つ酔っ払いの絡みのような幼稚な内容だったにも関わらず、あろうことか〇〇や××や△△の部分には今をときめく同事務所所属タレントの実名がしっかりと刻み込まれていたため、一時Yahooの「リアルタイム検索」は阿鼻叫喚の様相を呈し、木島龍牙への殺害予告まで飛び交う事態に発展した。木島龍牙の発言に対し、〇〇や××や△△は一様に沈黙を決め込む一方、ジャニーズ事務所は木島龍牙の発言を全く根拠のない不規則発言であるとして、同日付で木島龍牙との契約を解除したことを発表した。事件後どういう話し合いがなされたかは不明だが、木島龍牙に実名を公表された元所属タレントたちは今も活躍しており、彼らのファンの間でも木島龍牙の発言はおおむね「なかったこと」にされている。他方木島龍牙本人の消息は何らかの不可視の力学が作用しているのかこれまで杳として報じられたことはないが、新宿二丁目の某バーでよく似た人物が床掃除をしていたという目撃情報が事件から4カ月ほどしてネット空間を賑わせた。


(注2)「ダホメー」・・・ダホメー(現・ベナン)共和国では1965年11月29日、クリストファ・ソグロ軍参謀長がクーデターを起こし、かねて緊張関係にあったジャスティン・アホマデグベ大統領を追放したが、近年このクーデターにおけるニカラグア民兵組織「ベルゼハップ」の背後関係を指摘する論考が蓑田徹(内藤学園大学準教授)によってなされた。詳しくは内藤学園大学地域環境学部紀要(2021年度第2期3-11)45ページから54ページ参照。


(注3)「ヨージ君」・・・男性の名前が、特に彼の少年期において、書き言葉のレベルでカタカナ表記されることはそう珍しいことではない。これは愛称や親しみの意を込めてなされる慣例と見做されよう。だが成人してもどこか子供っぽさの抜けない男性に対しては、「アサッテ君」のごとく、その表記が存続することもある。これは暗に当人の幼児性やコミカルな人格を示唆するものとして我々にはおなじみである。しかし世間には時折、カタカナ名前が本名という人もあり、筆者は小学生のころ、一つ上の学年に「浅沼ケンジ」という名前の人がいるのに狼狽した記憶がある。ちなみにここでは名字は仮名にしてある。


(注4)「課長補佐が独身」・・・50代を過ぎてなお独身を貫く男性がそうする理由について正確な統計が存在するのかどうか、政府は今に至るまで「個人のプライバシー」を盾にコメントを控えているが、つまり政府としてもそういうことに興味がないというのが真相と見られている。この種の人たちを見分ける一番いい方法は、他の同僚との世間話の中で妻子の存在が垣間見えるかどうか、というオーソドックスなものだが、中には妻子の存在を何らかの理由で嫌い、一切その存在を匂わせない人間もいるので、既婚者好きの女子は注意すべきである。


(注5)「防潮堤」・・・防潮堤を描き続けたベルギーの画家レオン・スピリアールト(1881~1946)は未だ日本においては本格的な受容がなされているとはいいがたい。スピリアールトは月明かりの夜の海辺を彷徨し、しばしばそのまま夜を明かしながら、彼がもっとも愛したイメージを記憶に刻み付け、アトリエに帰宅してから制作に励んだ。スピリアールトの娘の一人は幼時から重度の不眠症を患っており、父の絵を見ながら時計の針の音を数えて朝を待つことをいつしか生きがいにするようになったと言われている。彼女は22歳の若さで世を去ったが、スピリアールトが描いた彼女の死顔のデッサンが、日本のある実業家のコレクションに入った、という目立たないニュースが2010年台初頭に美術関係者の間を駆け巡ったことがある。もっともこのデッサンは第二次大戦中のドレスデン空襲で焼失したとされており、日本に渡来したのは複製か、あるいはこの話自体全くのデマであった、ということに今ではなっている。

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